第149話 黒翼の裁きと帝国の影
黒翼事件の主犯格、セルディオ・クロイツが拘束されてから三日。
ルミナス王国の王宮では、神託院最高評議会を招いた緊急審議が開かれていた。
玉座に座る国王アレクシス・ルミナスの表情は厳しい。
その前には、神託院最高評議会議長オルディス・レインハルトが深く頭を下げていた。
「陛下。このたびの不祥事、神託院を代表してお詫び申し上げます」
「謝罪だけで済む問題ではない」
国王の声が議場に響く。
「王都の防衛結界を危険にさらし、学園を襲撃させ、勇者候補を禁術の実験台にした。これほどの行為を、組織の内部で誰も止められなかったというのか」
オルディスは顔を上げられなかった。
セルディオの研究室からは、膨大な量の禁術資料と実験記録が押収されていた。
その中には、カイン以外の適性者を対象とした計画書も含まれていた。
ただし、実際に人体実験が行われたことを裏付ける記録は、現時点ではカインの件しか確認されていない。
国王は続けた。
「神託院特別研究局の活動を即時停止する。関係者は王国監察官の調査を受けよ。押収した資料は王宮と独立監察団の共同管理とする」
「……御意」
「そして、カイン・ヴェルナーの勇者適性候補資格は正式に取り消す」
議場が静まり返った。
かつて勇者候補として期待された少年は、自らの行動によって、その資格を完全に失ったのだった。
学園襲撃、禁術への加担、王都の危機。
それぞれの責任については、今後の審理で判断される。
国王は最後に、アルフォンス・ヴァルディスへ視線を向けた。
「アルフォンス。レオンハルトは、よく王都を守ってくれた」
「ありがたきお言葉。しかし、息子は当然のことをしたまでです」
「当然のこと、か」
国王は苦笑した。
「王都全域の魔力網を、一人で制御することが当然であってたまるものか」
議場に小さな笑いが起こった。
だが、アルフォンスの表情は変わらない。
「息子は力を誇示するために動いたのではありません。守るべき人々がいたからこそ、力を使ったのです」
その言葉に、国王は深く頷いた。
「……そうだな。それこそが、あの少年の価値なのだろう」
* * *
同じ日の午後。
王立学園の庭園には、穏やかな日差しが降り注いでいた。
レオンハルトは、ようやく訪れた静かな時間を楽しんでいた。
隣にはエレノア。
銀色の髪には、以前レオンが贈った青い宝石の髪飾りが輝いている。
「こうして何事もなく歩けるのは、久しぶりな気がするな」
「本当にそうですね」
エレノアは微笑んだ。
「ですが、レオン様。事件が終わったからといって、無理をなさってはいけませんよ」
「分かってるよ」
「本当ですか?」
「……たぶん」
「レオン様」
少しだけ厳しい声に、レオンは思わず笑った。
エレノアもつられて笑みをこぼす。
そんな二人の前に、セレスティアとリゼット、エリシアが現れた。
「レオン。ようやく見つけたわ」
「どうしたんだ?」
「どうしたんだ、じゃないでしょう?」
セレスティアは腰に手を当てた。
「王都を救った英雄が、何もなかったように学園を歩いているんですもの」
「英雄だなんて、大げさだよ」
「大げさではありません」
リゼットが珍しくはっきりと言った。
「レオン様の魔法制御は、本当にすごかったです。わたし、今でも信じられません」
エリシアも頷く。
「負傷した衛兵の方々も、皆さん感謝していましたよ」
「みんなが協力してくれたからだよ」
レオンはそう答えた。
実際、誰か一人でも役割を放棄していれば、王都の被害はもっと大きくなっていたはずだ。
すると、セレスティアがふっと表情を和らげた。
「……それでね、レオン」
「うん?」
「前に約束した王宮の温室。今度の休日、予定は空いている?」
レオンは思い出した。
学園序列戦の後、セレスティアから誘われていた約束だ。
「ああ。もちろん空けてあるよ」
「本当?」
セレスティアの顔がぱっと明るくなる。
「よかった。では、楽しみにしているわ」
その横で、エリシアが控えめに手を挙げた。
「あの……わたしとのお出かけも、忘れていませんよね?」
「もちろん。エリシアの希望する場所へ行こう」
「……はい!」
エリシアが嬉しそうに微笑む。
リゼットは少し迷った後、胸の前で両手を握った。
「レオン様。わたしも、今度魔法の研究をご一緒したいです。できれば……二人で」
「いいよ。新しい術式の相談かな?」
「……はい。それも、あります」
彼女の頬が赤くなる。
エレノアは、その様子を静かに見つめていた。
レオンが誰にでも優しいことは知っている。
そして、その優しさに惹かれる少女が増えていることも。
少しだけ胸が締めつけられた。
けれど、彼女は目を伏せず、レオンの隣に立ち続けた。
「レオン様」
「どうした、エレノア?」
「私にも、休日のお時間をいただけますか?」
レオンは目を瞬かせた。
「もちろん。エレノアとはいつも一緒だけど……」
「護衛としてではなく、です」
その言葉に、セレスティアたちが一斉にエレノアを見た。
エレノアは少し頬を染めながらも、まっすぐに続ける。
「以前の街歩きのように、ただ二人で過ごしたいのです」
レオンは優しく微笑んだ。
「分かった。今度は俺の方から誘うよ」
「……ありがとうございます」
エレノアの笑顔は、いつもよりずっと柔らかかった。
その光景を少し離れた場所から見ていたシャルロットが、ため息をつく。
「……まったく。油断も隙もないんだから」
隣のルシウスが首を傾げた。
「シャル姉様、何がですか?」
「ルシウスには、まだ早い話よ」
* * *
一方、王都の地下拘置施設。
カイン・ヴェルナーは、魔力を封じる拘束具をつけられたまま、狭い独房に座っていた。
勇者候補資格の正式取り消し。
学園への立ち入り禁止。
そして、これから始まる審理。
彼が望んでいた未来は、完全に崩れ去っていた。
「……何でだよ」
カインは呟く。
「俺が主人公のはずだったのに……」
誰も答えない。
それでも彼の頭から、レオンハルトの姿は離れなかった。
圧倒的な魔法。
人々から向けられる感謝。
そして、自分には決して向けられなかった少女たちの笑顔。
「……レオンハルト……」
その名前を口にした瞬間、胸の奥で嫉妬が燃え上がった。
だが、今の彼には何もできない。
* * *
さらに西方。
ヴァルガルド帝国の皇城では、国境軍の再編成が進められていた。
軍議室の中央に立つのは、深紅の髪を持つ若き女将軍。
ヴァレリア・ローゼンベルク。
彼女は机上の地図を見つめ、眉をひそめた。
「王国への軍事的圧力を強める……ですか」
「皇帝陛下のご意向だ」
老将軍が答える。
「だが、王国にはヴァルディス家がいる」
「承知しています」
ヴァレリアは腕を組んだ。
「黒獅子アルフォンス、銀月の魔女エレオノーラ、黒狼レオナード、白銀の女帝イザベラ……。いずれも一軍に匹敵する実力者と聞きます」
「そして、その息子だ」
老将軍が低い声で言った。
「七属性を操る少年、レオンハルト・ヴァルディス」
ヴァレリアの金色の瞳が鋭く光る。
「……面白い」
彼女は小さく笑った。
「一度、この目で確かめてみたいものですね」
その会話を、軍議室の扉の外で聞いていた少女がいた。
白金の髪に紫の瞳。
帝国第一皇女アナスタシア・ヴァルガルド。
彼女は胸元で手を握りしめた。
「……戦争だけは、避けなければ」
しかし、皇城の外では既に軍旗が掲げられ始めていた。
帝国の大軍が動き出そうとしている。
その事実を、まだルミナス王国の人々は知らなかった。




