第147話 観測者の誤算
神託院地下第三実験室。
薄暗い研究室の中央で、セルディオ・クロイツは観測水晶を見つめていた。
水晶の内部には、王都の魔力網を表す複雑な図形が浮かんでいる。
その中心に、七色の光が灯った。
「素晴らしい……!」
セルディオの口元が歪む。
「七属性を同時展開しながら、王都の魔力導管を一本ずつ制御している……。これほどの術式処理能力が存在するとは」
彼は興奮した手つきで記録板に数値を書き込んだ。
火属性の波形。
水属性の循環。
闇属性の封印特性。
観測水晶には次々と情報が流れ込んでくる。
セルディオは確信していた。
この記録さえ手に入れば、レオンハルトの七属性魔法を解析できる。
いずれは同じ力を人工的に再現し、神託院の手で制御することさえ可能になるだろう。
「カイン・ヴェルナー……。お前も少しは役に立ったな」
その声に、感謝の色はなかった。
カインは実験材料にすぎない。
勇者候補という肩書きも、本人の願望も、セルディオにとっては都合のよい道具だった。
だが、記録板に書き込んでいた手が突然止まった。
「……何?」
観測水晶の内部で、七属性の波形が変化した。
規則正しかったはずの魔力が、互いに矛盾する数値を示し始める。
火属性の出力が最大値を示した直後、同じ場所で水属性の出力が最大値を示す。
光属性の魔力が観測されたかと思えば、その発生源には闇属性しか存在しない。
「あり得ん……。観測機構が故障したのか?」
セルディオは急いで補助水晶を起動した。
しかし、二つ目の水晶にも同じ異常が現れる。
さらに三つ目。
四つ目。
すべての記録が、互いに食い違っていた。
そのとき、水晶の奥から少年の声が響いた。
『ずいぶん熱心に調べているんですね』
セルディオの背筋が凍った。
『でも、他人の魔力を勝手に覗くのは感心しませんよ』
「レオンハルト……!」
『あなたが使っているのは観測術式じゃない。正確には、王都の防衛網に寄生する呪術ですね』
水晶の中に、七色の小さな星が浮かんだ。
セルディオは理解した。
自分が観測していた波形は、レオンハルトが意図的に流した偽装情報だったのだ。
そして、その偽装を読み込ませる間に、少年は観測術式の接続先を逆探知していた。
「馬鹿な……! 観測対象から術者を逆探知するなど……!」
『仕組みが分かれば、難しいことではありません』
少年の声は穏やかだった。
それがかえって恐ろしかった。
『あなたがカインに何をしたのか、直接聞かせてもらいます』
セルディオは即座に水晶を叩き割った。
破片が床へ散らばる。
だが、研究室の扉には既に七色の封印が浮かんでいた。
「……くそっ!」
セルディオは壁際の緊急脱出口へ駆け寄った。
黒翼の紋章が刻まれた鍵を押し当てる。
石壁が左右に開き、地下通路が姿を現した。
彼は研究記録の一部を鞄へ押し込み、暗い通路へ飛び込んだ。
その直後、研究室の扉が外側から激しく叩かれた。
「神託院監察室だ! 開けろ!」
王宮から派遣された監察官たちだった。
セルディオは舌打ちしながら通路を走った。
「まだ終わりではない……。七つの星は、必ず我らのものに……!」
しかし、彼が逃げ込んだ通路の奥にも、既に小さな七色の光が灯っていた。
* * *
王立学園、第三訓練場。
レオンハルトは空中に浮かぶ七色の星を見つめていた。
観測術式の逆探知は成功した。
発信源は神託院地下第三実験室。
ただし、相手は非常用の脱出経路を用意していたらしい。
「……逃げ足は速いな」
「レオン様、術者の居場所が分かったのですか?」
エレノアが尋ねる。
「神託院の地下だ。王宮の監察官が動いている。ただ、逃走経路が複数あるみたいだね」
「では、私も追跡に――」
「待って。君には、もう一つ頼みたいことがある」
レオンは拘束されたカインへ視線を向けた。
黒翼の紋章は消えかけていたが、完全には消滅していない。
「カインの身体に残った呪印を封じる。その間、誰にも近づけないでほしい」
「承知しました」
カインは地面に横たわったまま、唇を噛みしめていた。
「……あいつが……俺を利用したっていうのか」
「そうだ」
レオンは短く答えた。
「お前の身体を王都の魔力網につなぎ、俺が魔力を使うよう仕向けた。お前が勝つことなんて、最初から計画に入っていなかった」
「ふざけるな……!」
カインは拳を握った。
「俺は……俺は勇者になるはずだったんだぞ……!」
「それは、他人を傷つけていい理由にはならない」
レオンの声が少しだけ厳しくなった。
「リゼットやエリシアにしたことも、学園を襲ったことも、全部お前自身が選んだ行動だ。利用されたからといって、責任が消えるわけじゃない」
カインは何も言い返せなかった。
レオンはそれ以上責めず、右手をかざした。
「――《七彩神星封印・静環》」
七色の細い光が、カインの右腕から胸元へと走る。
黒翼の呪印だけが身体から切り離され、掌ほどの封印球へ収められた。
カインの呼吸が落ち着く。
エリシアが近づき、慎重に状態を確認した。
「呪いの侵食は止まっています。ですが、しばらくは治療と監視が必要です」
「頼むよ、エリシア」
「はい。レオン様も、少しは休んでくださいね」
レオンが苦笑すると、エレノアがその横で頷いた。
「まったくです。王都を丸ごと救った直後なのですから」
「そんな大げさなことじゃ……」
「大げさです」
二人の声が重なった。
少し離れた場所では、セレスティアが王宮からの報告を受けていた。
「王都の被害状況がまとまり始めたわ。魔力炉の爆発はすべて回避。防壁も復旧したそうよ」
「よかった……」
リゼットが胸を撫で下ろす。
シャルロットとルシウスも、最後の避難者を安全な場所へ案内し終えて戻ってきた。
「レオン!」
シャルロットが駆け寄りかけ、途中で足を緩めた。
まだ無理は禁物だと、自分で思い出したのだ。
「……約束どおり、無茶はしなかったわよ」
「ありがとう、シャル姉」
「だから、あなたも約束を守って。今度こそ、ゆっくり休むこと」
レオンは笑って頷いた。
そのとき、学園の正門から重厚な足音が響いた。
黒い外套をまとったアルフォンスと、銀髪を揺らすエレオノーラが現れる。
その後ろには、レオナードとイザベラもいた。
「レオン!」
母エレオノーラが真っ先に駆け寄り、息子の両肩を確かめた。
「怪我はありませんね?」
「はい、母上。俺は大丈夫です」
「まったく……。あなたはいつも、私たちを驚かせるのですから」
アルフォンスは王都の空を見上げた。
既に黒い魔法陣は消え、夕暮れの雲が静かに流れている。
「王都全域の魔力網を、破壊せずに救ったか」
父は息子へ向き直った。
「見事だった、レオン」
レオナードが豪快に笑う。
「ははっ! 俺たち四人で必死に支えていた結界を、最後は一人で直しちまうんだからな!」
「あなたも少しは見習いなさい、レオナード」
イザベラが涼しい顔で言う。
「何だと? 俺は十分働いただろうが!」
久しぶりに響く家族のやり取りに、周囲の緊張がようやく緩んだ。
だが、アルフォンスの表情はすぐに引き締まった。
「レオン。神託院の件は王国として徹底的に調べる。お前はしばらく、学園のことに専念しなさい」
「分かりました、父上」
レオンは頷いた。
ただし、胸の内には一つの疑問が残っていた。
黒翼の紋章。
七つの星を求める者たち。
そして、神託院の地下に隠されていた古代の術式。
セルディオ一人で、これほど大規模な計画を準備できたとは考えにくい。
* * *
同じ頃。
王都から遠く離れた、ヴァルガルド帝国の皇城。
軍議室には、国境の地図が広げられていた。
「ルミナス王国の王都で、大規模な魔力異常が発生したとの報告です」
帝国軍の将軍が告げる。
玉座に座る皇帝は、しばらく黙って地図を見つめていた。
「……王国の防衛網に異常か」
「はい。ただし、既に復旧したという続報もございます」
「復旧しただと?」
将軍は一枚の報告書を差し出した。
「公爵家の少年が、七属性の魔法を用いて王都全域の魔力網を制御したとの情報が……」
皇帝の目が細くなる。
「ヴァルディス家の息子か」
その場にいた一人の少女が、静かに顔を上げた。
白金色の髪に、紫水晶のような瞳。
帝国第一皇女、アナスタシア・ヴァルガルド。
「お父様。その少年について、詳しくお聞かせいただけますか?」
皇帝は答えず、国境の地図へ視線を戻した。
そして、低い声で命じる。
「国境軍の配置を見直せ。王国の力を、改めて測る必要がある」
その言葉が何を意味するのか。
まだ、誰も知らなかった。




