第145話 魔将の残滓では届かない――圧倒的な実力差と王都を狙う黒翼
王国暦八二二年、春月一日。
王立アストレア学園、第三訓練場。
黒い炎が、天井近くまで噴き上がっていた。
「ははははっ!」
カイン・ヴェルナーは笑っていた。
右腕から溢れる黒炎が、床の石材を焦がし、空気を歪ませている。
彼の目に映るのは、ただ一人。
レオンハルト・ヴァルディス。
「どうだ、レオンハルト!」
カインが叫ぶ。
「これが俺の本当の力だ! もう以前の俺とは違う!」
俺は、静かに彼の右腕を見つめていた。
……やっぱり。
この魔力には覚えがある。
以前、忘却の神殿で戦った古代魔将ヴァルグリム。
あいつが宿っていた魔剣の、残留魔力だ。
ただし、魔将そのものが復活したわけじゃない。
魔剣に残っていた力の欠片を、無理やり人体へ流し込んだらしい。
「……カイン」
俺は口を開いた。
「その力、どこで手に入れた?」
「何だ?」
「魔剣グリムヴェインの残留魔力だろう」
カインの表情が変わった。
「……知ってるのか?」
「知ってるよ」
俺は頷いた。
「その魔剣に宿っていた魔将は、俺が倒したからね」
「…………は?」
カインが固まった。
俺は続けた。
「今の君が使っているのは、あの魔将の力の一部だ。しかも、かなり不安定な状態で身体に取り込んでいる」
「……何を」
「そのまま使えば、魔力回路が壊れるよ」
「黙れ!!」
カインが怒鳴った。
「俺は勇者だ! お前みたいな悪役に、説教される筋合いはねえ!」
悪役。
その言葉に、俺はわずかに眉を動かした。
……妙な言い方だな。
だが、今は問いただしている場合じゃない。
周囲には生徒たちがいる。
アーヴィン先輩たちも、まだ訓練場から退いていない。
「エレノア」
俺は静かに呼んだ。
「はい、レオン様」
「皆を避難させて。アーヴィン先輩たちにも手伝ってもらって」
「承知しました」
エレノアは即座に動いた。
「アーヴィン様、東側の通路をお願いします。レオナルド様は負傷者の搬送を。クラウディア様は退避経路の防護を!」
三人が頷く。
「分かった!」
「任せろ!」
「こちらは私が守ります!」
セレスティアも生徒会の連絡魔導具を取り出した。
「フィオナ会長へ連絡するわ。学園全域に避難指示を出してもらう」
エリシアは倒れた警備員たちへ駆け寄った。
「負傷者はこちらへ! 治療を始めます!」
リゼットは訓練場の結界盤へ向かった。
「……レオン様、結界の補助術式を起動します!」
シャル姉は立ち上がりかけたが、俺と目が合うと足を止めた。
「……分かってる。無理はしないわ」
「ありがとう、シャル姉」
彼女はルシウスとともに、避難する下級生たちへ声をかけ始めた。
俺は、カインへ向き直った。
「……待たせたね」
「ふざけやがって!」
カインの黒炎が膨れ上がる。
「俺を無視して、何を余裕ぶってんだ!」
「無視してないよ」
俺は静かに答えた。
「君を止める前に、周りの安全を確保しただけだ」
「――《黒炎滅殺刃》!!」
カインが腕を振り抜いた。
黒い炎が巨大な刃となり、俺へ迫る。
その威力は、確かに学園の上級生たちを圧倒するものだった。
だが。
俺にとっては、それだけだった。
「――《水環》」
左手を軽く動かす。
薄い水の輪が、黒炎を包んだ。
次の瞬間、巨大な炎の刃が消えた。
轟音も、爆発もない。
ただ、消えた。
「…………は?」
カインの口が開いた。
俺は一歩進んだ。
「次は?」
「……っ!」
カインが歯を食いしばる。
「舐めるなぁぁっ!!」
黒炎の槍。
黒炎の鎖。
黒炎をまとった斬撃。
次々と放たれる攻撃を、俺は歩きながら処理していく。
槍は風で逸らす。
鎖は土の壁へ絡ませる。
斬撃は剣で軌道を変える。
一つとして、俺の身体へ届かない。
カインの顔から笑みが消えた。
「……何で」
彼が呟く。
「何で、当たらねえんだよ!」
俺は答えた。
「攻撃の前に、右肩が動く。魔力の流れも一方向に偏っている。次に何をするか、全部分かるんだ」
「……くそっ!」
カインが地面を蹴った。
黒炎をまとった拳が、俺の顔へ迫る。
俺は半歩だけ身体をずらした。
そして、彼の手首を掴む。
「――《水鏡封環》」
透明な魔力の輪が、右腕を包んだ。
「ぐあっ!?」
黒炎が、急速に弱まっていく。
俺はそのまま手首を返し、カインの体勢を崩した。
膝が石床につく。
「……終わりだよ」
「……な」
カインが、震える声を漏らした。
「……何でだよ……」
俺は彼の右腕を見下ろした。
「だから言っただろう。その力は、俺が倒した魔将の残滓だ」
「……嘘だ……」
「嘘じゃない」
「……俺は、勇者なんだぞ……!」
「勇者かどうかは、今の行動とは関係ないよ」
俺は静かに告げた。
「人を傷つけて、自分の強さを証明しようとするなら、止める。それだけだ」
カインの瞳が揺れた。
「……こんな……」
彼の声が掠れる。
「……こんなはずじゃ……」
そのときだった。
――ドクン。
俺の手の中で、カインの右腕が脈打った。
……?
――ドクンッ!
黒い紋様が、突然赤く輝く。
カインが悲鳴を上げた。
「ぐああああっ!!」
俺はすぐに異常を察知した。
……違う。
これはカイン自身の魔力じゃない。
外部から、何かが干渉している。
「エレノア!」
俺は声を上げた。
「全員、結界の内側へ!」
「はい!」
彼女が即座に応じる。
同時に。
カインの胸元へ、黒翼の紋章が浮かび上がった。
◇
神託院地下特別研究局。
「――反応確認!」
研究員が叫んだ。
「七属性の魔力が、被験者の封印術式へ接触しました!」
セルディオが目を細める。
「……ようやくですね」
観測水晶には、レオンハルトがカインの右腕を押さえている姿が映っていた。
「これで、起動条件は満たされました」
研究員が、震える声で尋ねる。
「……本当に、王都全域へ展開するのですか?」
「ええ」
セルディオは静かに頷いた。
「被験者は、鍵にすぎません」
彼は黒翼の紋章へ手を触れた。
「七属性の魔力に反応して開く、古代の魔力共鳴網」
「その起動に必要なのは、七つの星を持つ者の接触です」
研究員が青ざめた。
「……そんなことをすれば、王都の魔力炉や防護結界にまで影響が……!」
「だからこそ、価値があるのです」
セルディオは微笑んだ。
「王都を守るため、彼は自分の力を使わざるを得なくなる」
「そのときこそ、七属性の魔力構造を完全に観測できる」
黒い結晶が、赤く輝いた。
「さあ、レオンハルト・ヴァルディス」
「あなたの真の力を、見せてください」
◇
王立アストレア学園。
カインの身体から、黒い光の柱が立ち上がった。
轟音。
訓練場の結界が軋む。
遠くの空に、黒い魔法陣が浮かび上がる。
一つ。
二つ。
三つ。
王都の各所で、黒い光が灯り始めた。
「……何だ、あれ!?」
カイルが叫ぶ。
セレスティアが顔を青ざめさせた。
「王都の防護結界に、異常反応が出ているわ!」
リゼットも結界盤を見つめていた。
「……レオン様! 魔力の流れが、王都全体へ広がっています!」
俺は、空を見上げた。
……なるほど。
そういうことか。
カインは、ただの囮だった。
あいつの身体に仕込まれた術式が、俺の魔力を検知して起動したんだ。
だが。
……残念だったな。
俺は、静かに右手を上げた。
七属性の魔力が、指先へ集まる。
《七彩神星陣》を使うこともできる。
だが、その前に。
まずは、術式の構造を確かめる必要がある。
王都の防護結界と繋がっている以上、力任せに破壊すれば被害が出る可能性があるからだ。
俺は、カインの右腕へ視線を戻した。
「……カイン」
彼は、苦しそうに俺を見上げた。
「……な、何だよ……」
「君は、利用されたんだ」
「……は?」
「誰かが、君の身体に術式を仕込んでいる」
カインの瞳が、大きく開かれた。
「……そんな……」
俺は、静かに続けた。
「君が手に入れたと思っていた力は、王都を巻き込むための仕掛けだったんだよ」
カインは、言葉を失った。
……。
そのとき。
遠くの空で、黒い魔法陣がさらに大きく広がった。
王都の鐘が、緊急警報を告げ始める。
ゴォォォン。
ゴォォォン。
ゴォォォン。
俺は、静かに息を吐いた。
……さて。
ここからが、本当の問題だ。
カインを倒すだけなら、もう終わっている。
だが。
王都を守るには、少しだけ慎重に動く必要がある。
俺は、エレノアへ視線を向けた。
「エレノア」
「はい、レオン様」
「父上たちへ連絡を。王都の結界を調べてもらいたい」
「承知しました」
彼女は即座に通信魔導具を起動した。
俺は、黒い空を見上げる。
……誰が仕組んだのか知らないけど。
これ以上、好きにはさせない。
七色の魔力が、静かに輝き始めた。




