第144話 偽りの勇者覚醒――黒炎の暴走と学園最強たちの敗北
王国暦八二二年、春月一日。
王都ルミナス、神託院地下特別研究局。
黒い魔力が、実験室の床を這っていた。
「魔力出力、安定域に入りました」
研究員の報告に、セルディオ・クロイツは薄く微笑んだ。
観測硝子の向こうでは、一人の少年が右腕を持ち上げている。
カイン・ヴェルナー。
かつて勇者適性第二位と判定されながら、数々の問題行動によって候補資格を停止された少年だ。
その右腕には、黒い紋様が脈打っていた。
「……すげえ」
カインが呟く。
掌の上で、黒い炎が燃え上がる。
以前の炎魔法とは比較にならない密度だった。
試験用の鉄人形へ向けて腕を振る。
「――《黒炎斬》!」
黒い斬撃が走った。
轟音とともに、鉄人形が真っ二つになる。
「はは……はははっ!」
カインは笑った。
「見たか! これが俺の本当の力だ!」
観測室では、研究員たちが青ざめていた。
「局長補佐……被験者の魔力回路に異常な侵食が見られます」
「侵食率は?」
「右腕から胸部へ進行中です。さらに、結晶と被験者の間で魔力の逆流が……」
「問題ありません」
セルディオは報告書を閉じた。
「想定内です」
「しかし、このままでは本人の意思が――」
「必要なのは、意思ではありません」
セルディオの声が冷たく響く。
「必要なのは、七つの星を持つ者を引き寄せることです」
研究員が息を呑んだ。
「……レオンハルト・ヴァルディスを?」
セルディオは答えず、壁に刻まれた黒翼の紋章を見つめた。
その中心では、魔剣グリムヴェインから採取された残留魔力の結晶が脈動している。
魔剣そのものは、王国の厳重な封印下にある。
古代魔将ヴァルグリムも、すでに消滅した。
それでも、かつて魔将を宿した魔剣に残された魔力の痕跡には、利用価値があった。
「さあ、カイン君」
セルディオが囁く。
「あなたの力を、世界に示してください」
◇
同日午後。
王立アストレア学園、第三訓練場。
「――もう一度だ!」
レオナルド・バルフェルトの大剣が、地面を叩いた。
土属性の魔力が衝撃を吸収し、石床に淡い光が走る。
対するアーヴィン・グランフェルトは、雷をまとった剣を構え直した。
「今の踏み込みは悪くない。だが、右側が空いていたぞ」
「分かってる!」
レオナルドが笑う。
「だから次は塞ぐ!」
二人の攻防を見ながら、俺は訓練場の端で腕を組んでいた。
学園序列戦が終わってから、上級生たちとの合同訓練が始まっている。
昨日まで競い合っていた相手が、今日は互いの弱点を指摘し合っている。
いい光景だと思う。
「レオンハルト様」
隣からクラウディア先輩が声をかけてきた。
「先ほどの雷魔法と剣術の連携、どう評価されますか?」
「かなり良くなっています。ただ、雷を剣先に集中させる瞬間だけ、足の動きが止まっていますね」
「なるほど……」
彼女は手帳へ書き込んだ。
少し離れた場所では、リゼットが術式の記録を取っている。
エリシアは訓練後の回復を担当し、セレスティアは生徒会の連絡を終えて見学に来ていた。
シャル姉は医師から激しい運動を止められているため、今日は観客席で見守っている。
エレノアは俺の傍らに立ち、訓練場の出入口へ時折目を向けていた。
平穏な午後。
そのはずだった。
――ドンッ!
訓練場の外で、鈍い爆発音が響いた。
全員が振り向く。
続いて、悲鳴。
「何だ!?」
カイルが駆け出そうとした瞬間、俺は異質な魔力を感じ取った。
黒い炎。
そして、覚えのある不快な波動。
「……まさか」
俺は立ち上がった。
そのとき、訓練場の扉が乱暴に開かれた。
「――レオンハルトォッ!」
現れたのは、カイン・ヴェルナーだった。
右腕に黒い紋様を浮かべ、全身から黒炎を揺らめかせている。
彼の背後では、学園の警備結界が破損し、駆けつけた警備員たちが倒れていた。
「カイン!?」
セレスティアが険しい表情になる。
「あなたは学園への立ち入りを制限されているはずよ!」
「うるせえ!」
カインが吐き捨てた。
「俺は勇者だ! こんな学園の規則なんかに縛られる人間じゃねえ!」
アーヴィンが剣を下ろさずに前へ出た。
「カイン・ヴェルナー。これ以上の乱暴は許さない」
「……あ?」
カインの口元が歪む。
「何だ、お前」
「アーヴィン・グランフェルト。三年生だ」
「……ああ」
カインが笑った。
「レオンハルトに負けた、元序列第一位か」
アーヴィンの眉が動いた。
しかし、彼は冷静だった。
「私が敗れたことと、君の違反行為は関係ない」
「なら、試してやるよ」
カインが右腕を持ち上げる。
「今の俺が、どれだけ強いかをな!」
黒炎が爆発した。
「――《黒炎爆刃》!」
「全員、下がれ!」
アーヴィンが叫び、雷剣を振り抜く。
《雷閃障壁》。
紫電の壁が黒炎を受け止めた。
激しい衝撃。
アーヴィンの靴が石床を削る。
「……重い!」
「ははっ! どうした、序列第一位!」
カインは次々と黒炎を放った。
レオナルドが横から踏み込む。
「調子に乗るな!」
《岩王剛断》。
大剣が黒炎の塊を砕く。
しかし、飛び散った炎は消えず、石床にまとわりついた。
「何だ、この炎!?」
クラウディアが即座に氷の結界を展開した。
「通常の炎ではありません! 触れないで!」
《氷華封陣》。
氷の柱が黒炎を囲む。
だが、黒い火は氷を燃やすように侵食し始めた。
三人の表情が変わる。
カインは、それを見て笑い声を上げた。
「見ろよ! 学園の上位三人が、俺一人に手も足も出ねえ!」
「……違う」
アーヴィンが低く呟いた。
「私たちは、君を殺さずに止めようとしているんだ」
「負け惜しみか!」
黒炎の槍が、アーヴィンへ向けて放たれた。
彼は剣で受け流したが、黒い魔力が雷の術式に絡みつく。
魔力回路が軋む。
「ぐっ……!」
レオナルドが前へ出る。
「アーヴィン!」
しかし、その瞬間。
カインが笑った。
「遅え!」
黒炎が、訓練場の観客席へ向かった。
そこには、避難途中の下級生たちがいた。
「きゃああっ!」
アーヴィンの顔色が変わる。
「まずい!」
だが。
黒炎が生徒たちへ届くことはなかった。
「――《水鏡封環》」
俺が左手を上げる。
透明な水の輪が空中に現れ、黒炎を一瞬で包み込んだ。
ジュッ、という小さな音。
黒炎は跡形もなく消えた。
訓練場が静まり返る。
カインの笑顔が固まった。
「……は?」
俺は、ゆっくりと彼を見た。
「カイン」
声を荒らげる必要はなかった。
「学園の生徒を巻き込むつもりなら、ここで止める」
カインは歯を剥き出しにした。
「……やっと出てきたな、レオンハルト!」
黒炎が、再び燃え上がる。
「見せてやるよ!」
彼の金色の瞳が、赤黒く輝いた。
「これが、本当の勇者の力だ!!」
◇
神託院地下特別研究局。
観測装置の水晶に、訓練場の光景が映っていた。
研究員が叫ぶ。
「局長補佐! 被験者が学園へ侵入しました! 監察区画の警報も発動しています!」
「承知しています」
セルディオは平然と答えた。
「監察官たちが到着すれば、実験は中断されます!」
「その前に、目的を達成します」
セルディオは黒翼の紋章へ指を触れた。
観測水晶の中で、カインの右腕が赤く脈打つ。
「さあ……」
彼は微笑んだ。
「七つの星を持つ者よ」
「その力で、彼に触れてください」
黒い結晶の奥で、細い魔力の糸が一本、静かに伸びた。




