第136話 学園序列戦、開幕――無順位の公爵令息と上級生の誇り
王国暦八二二年、新春月二十五日。
王立アストレア学園。
中央闘技場。
数千人を収容できる観客席が、朝から異様な熱気に包まれていた。
円形の闘技場を囲むのは、三重の魔法障壁。
その外側には、王国騎士団から派遣された監督官と、学園所属の治癒術師たちが配置されている。
そして、中央の巨大な掲示板には金色の文字が輝いていた。
《春季学園序列戦・予選第一日》
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、選手控室から闘技場を見下ろしていた。
「……すごい人数だな」
思わず呟く。
学園の公式序列戦。
全学年の希望者が参加し、予選を勝ち抜いた者だけが上位序列者への挑戦権を得る。
剣術、魔法、体術。
使用できる技術に大きな制限はない。
ただし、殺傷目的の攻撃と、戦闘不能者への追撃は禁止。
危険な攻撃は審判と防護結界が遮断し、勝敗は場外、降参、戦闘不能、または審判の判定によって決まる。
「レオン様」
背後から声がした。
振り向くと、エレノアが立っていた。
今日は黒を基調とした護衛騎士の制服。
銀色の髪は後ろでまとめられ、腰には愛用の長剣が下がっている。
「ご準備は整っておりますか?」
「うん。問題ないよ」
俺が笑うと、彼女は静かに頷いた。
「本日の対戦相手は、三年生のガルド・ヘルマン様です」
「重剣術の使い手だったね」
「はい。序列第四十七位。土属性の身体強化を得意とされます」
……。
なるほど。
無順位の俺に対して、いきなり上級生の序列保持者か。
「それと、レオン様」
「うん?」
「相手の方は、昨日の公開練習で『公爵家の坊ちゃんに実戦を教えてやる』と仰っていたそうです」
……。
俺は、思わず苦笑した。
「……随分、気合いが入ってるね」
「どうか、お気をつけください」
エレノアは真剣な表情だった。
俺は、彼女の肩へ軽く手を置いた。
「大丈夫。油断はしないよ」
……。
その言葉を聞いて、彼女はようやく微笑んだ。
「……はい。信じております」
◇
観客席の貴賓区画。
セレスティア・ルミナスは、闘技場を見下ろしていた。
隣にはリゼット、エリシア、シャルロット。
そして、カイルの姿もある。
「いよいよね」
セレスティアが微笑む。
「レオンの初めての序列戦」
リゼットは、少し緊張した様子で両手を握っていた。
「……相手の方、かなり大きいですね」
エリシアも、心配そうに頷く。
「レオン様なら大丈夫だと思いますけど……」
シャルロットは、楽しそうに笑った。
「心配いらないわよ」
「……シャルロット様?」
「レオンの本当の強さは、あんなものじゃ測れないもの」
……。
その言葉に、カイルが頷いた。
「同感だな」
そして。
「むしろ、相手の先輩が可哀想になってきた」
……。
そのとき。
観客席の後方から、一人の青年が近づいてきた。
「――失礼、フィオーレ嬢」
エリシアが振り向く。
そこには、白い制服を着た三年生の男子生徒が立っていた。
整った茶髪。
柔らかな笑顔。
胸元には、上級生の徽章。
「……マティアス先輩?」
三年生の治癒魔法研究会副会長。
マティアス・リーヴェルト。
彼は、丁寧に一礼した。
「以前から、あなたとお話ししたいと思っていました」
「……私と、ですか?」
「ええ」
マティアスは、穏やかに微笑んだ。
「あなたの治癒魔法は、学園でも高く評価されています」
……。
「もしよろしければ、今度の休日、私と一緒に王都の聖堂へ行きませんか?」
……。
エリシアは、少し驚いたように目を見開いた。
「……お誘い、ありがとうございます」
そして。
静かに首を振った。
「ですが、申し訳ありません」
……。
「私には、大切に想っている方がいますので」
……。
マティアスの表情が、少しだけ変わった。
「……それは」
エリシアは、闘技場を見た。
ちょうど、黒髪の少年が入場口へ向かっている。
「……レオン様です」
……。
その言葉に、マティアスは静かに息を吐いた。
「……なるほど」
そして。
「……噂は、本当だったのですね」
……。
エリシアは、少しだけ頬を赤くした。
「……はい」
……。
マティアスは、穏やかに微笑んだ。
「……分かりました。ご返答、ありがとうございます」
……。
彼は、丁寧に一礼して去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、セレスティアが小さく笑った。
「……エリシアも、随分はっきり言うようになったのね」
……。
エリシアは、恥ずかしそうに微笑んだ。
「……もう、自分の気持ちを隠したくありませんから」
……。
シャルロットが、楽しそうに頷いた。
「……いいことね」
だが。
その直後。
「――シャルロット嬢」
今度は、別の声が響いた。
振り向くと、三年生の青年が立っていた。
赤茶色の髪。
鋭い眼差し。
腰には、装飾の施された長剣。
序列第十二位。
剣術科の実力者、ディートリヒ・アーベル。
「……ディートリヒ先輩」
シャルロットが、少し驚いたように声を上げた。
彼は、静かに一礼した。
「お身体の具合は、いかがですか?」
「……ありがとうございます。順調に回復しています」
「それは何よりです」
……。
ディートリヒは、少しだけ表情を引き締めた。
「……実は、以前からお伝えしたいことがあります」
……。
シャルロットは、首を傾げた。
「……何でしょう?」
……。
「私は、あなたを尊敬しています」
……。
「剣術の才能も、その努力も」
……。
そして。
「……一人の女性としても、強く惹かれています」
……。
観客席の空気が、わずかに変わった。
……。
ディートリヒは、真っ直ぐ彼女を見た。
「……もし、よろしければ」
……。
「私と、交際を前提にお付き合いいただけませんか?」
……。
シャルロットは、少しだけ目を見開いた。
そして。
静かに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
……。
「ですが、申し訳ありません」
……。
「私には、ずっと想い続けている人がいます」
……。
ディートリヒの表情が、わずかに揺れた。
「……それは」
……。
シャルロットは、闘技場を見た。
そして。
「……レオンです」
……。
その声は、迷いがなかった。
……。
ディートリヒは、しばらく黙っていた。
そして。
「……なるほど」
小さく笑った。
「……ヴァルディス公爵令息、か」
……。
彼は、静かに頷いた。
「……承知しました」
……。
「ですが、剣士としては、ぜひ一度手合わせ願いたいものです」
……。
シャルロットは、微笑んだ。
「……きっと、驚かれると思いますよ」
……。
その言葉に、ディートリヒは少しだけ目を細めた。
「……楽しみにしています」
◇
闘技場。
第一試合。
《レオンハルト・ヴァルディス》
対するは。
《ガルド・ヘルマン》
……。
俺は、静かに入場した。
観客席から、大きな歓声が上がる。
「レオンハルト様だ!」
「七属性の使い手!」
「魔将を倒したって、本当なのか!?」
……。
俺は、少しだけ苦笑した。
……噂って、すごいな。
対面には、巨大な体格の上級生が立っていた。
ガルド・ヘルマン。
身長は、俺より頭二つ分ほど高い。
肩幅も広く、背中には大きな重剣。
……。
「……お前が、レオンハルトか」
低い声。
俺は、軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
……。
ガルドは、鼻で笑った。
「……礼儀だけは立派だな」
……。
俺は、静かに剣を抜いた。
……。
「……一つ、教えてやる」
ガルドが、重剣を肩へ担いだ。
「実戦ってのは、噂や肩書きじゃ勝てねえんだよ」
……。
俺は、頷いた。
「……その通りですね」
……。
ガルドの眉が、ぴくりと動いた。
「……何?」
「俺も、そう思います」
……。
その返答に、ガルドは一瞬言葉を失った。
……。
審判が、右手を上げる。
「――両者、構え!」
……。
俺は、剣を中段へ構えた。
ガルドは、巨大な重剣を持ち上げる。
……。
「――始め!」
◇
ガルドが、地面を蹴った。
ドンッ!
石床が、激しく震える。
土属性の身体強化。
その巨体からは想像できない速度だった。
「――《岩砕重斬》!」
巨大な重剣が、斜め上から振り下ろされる。
……。
俺は、半歩だけ右へ動いた。
……。
重剣が、目の前を通過する。
ズガァン!
石床が、砕けた。
……。
ガルドが、目を見開く。
「……なっ!?」
……。
俺は、静かに言った。
「……いい踏み込みですね」
……。
「……舐めるな!」
ガルドが、重剣を横へ振った。
……。
俺は、剣を斜めに立てた。
ギィン!
金属音。
だが。
正面から受け止めたわけではない。
相手の刃を、俺の剣の側面へ滑らせる。
そのまま、重剣の軌道を外側へ流した。
……。
ガルドの重心が、わずかに崩れる。
……。
俺は、左足を踏み込んだ。
「――《風裂閃》」
風属性の魔力をまとわせた剣が、鋭く走る。
……。
ガルドは、慌てて重剣を引き戻した。
ギィン!
二本の剣が、再び交差する。
……。
だが。
俺の剣は、止まらなかった。
一撃目。
二撃目。
三撃目。
……。
すべて、異なる角度からの斬撃。
……。
ガルドは、防御するだけで精一杯だった。
「……くっ!」
……。
俺は、静かに思った。
……なるほど。
力は強い。
だが、剣の戻しが少し遅い。
……。
次の瞬間。
俺は、剣を引いた。
……。
ガルドが、勝機を見たように叫ぶ。
「――そこだ!」
……。
重剣が、真っ直ぐ突き出された。
……。
俺は、身体を半身にする。
剣先が、胸の横を通過した。
……。
そして。
相手の手首へ、剣の平を軽く当てた。
「――《雷縛》」
紫電が、一瞬だけ走る。
……。
ガルドの腕が、硬直した。
「……ぐっ!?」
……。
その隙に。
俺は、重剣の鍔元へ剣を差し込んだ。
手首を返す。
……。
ガキィン!
巨大な重剣が、宙へ舞った。
……。
観客席が、静まり返る。
……。
俺は、剣先をガルドの喉元へ向けた。
……。
「……ここまでです」
……。
審判が、目を見開いた。
そして。
「――勝者!」
……。
「レオンハルト・ヴァルディス!」
……。
次の瞬間。
闘技場が、爆発したような歓声に包まれた。
……。
俺は、静かに剣を下ろした。
……。
ガルドは、しばらく呆然としていた。
そして。
「……参った」
……。
低い声で、呟いた。
「……俺の、完敗だ」
……。
俺は、微笑んだ。
「……ありがとうございました」
……。
その瞬間。
観客席から、さらに大きな歓声が上がった。
……。
そして。
学園序列戦。
俺の初戦は。
静かな、圧勝で幕を閉じた。




