第132話 銀髪の恋人疑惑――五人の乙女と悪役公爵令息
王国暦八二二年、新春月二十日。
王立アストレア学園。
冬の柔らかな日差しが差し込む教室で、俺――レオンハルト・ヴァルディスは、いつもと変わらない朝を迎えていた。
少なくとも、そう思っていた。
「なあ、レオン」
隣の席から、カイル・アッシュフォードが妙に楽しそうな顔を近づけてきた。
「お前、昨日、女の子とデートしてたんだって?」
「……は?」
思わず、教科書をめくる手が止まった。
「どこからそんな話が?」
「王都の中央商業区だよ。銀髪の美少女と手を繋いで歩いてたって、もう結構な噂になってるぞ」
……なるほど。
昨日、エレノアと出かけたことか。
「エレノアと街を歩いただけだよ」
「だけ、ねえ」
カイルは、わざとらしく腕を組んだ。
「手を繋いで、菓子店で仲良くタルトを食べて、髪飾りまで贈ったらしいじゃないか」
「……よく知ってるな」
「そこまで目撃されてるんだよ!」
カイルが机を軽く叩く。
「お前なあ、それを世間ではデートって呼ぶんだぞ!」
……。
確かに、そう言われると否定しづらい。
エレノアの休日に付き合うつもりだったけど、俺自身も随分楽しんでしまった。
彼女が苺のタルトを食べて嬉しそうに笑っていたこと。
髪飾りを渡したとき、目に涙を浮かべていたこと。
夕暮れの展望庭園で、俺の肩へそっと寄り添ってくれたこと。
思い返すと、自然に口元が緩んだ。
「……まあ、楽しかったよ」
「おい、その顔!」
カイルが大げさに身を乗り出す。
「お前、絶対に自覚してないだろ!」
「何を?」
「それだよ、それ!」
そんなやり取りをしていたときだった。
教室の扉が、静かに開いた。
「……レオン」
聞き慣れた声。
振り向くと、セレスティア・ルミナスが立っていた。
王国第一王女。
そして、幼い頃からの大切な友人。
だが、今日はいつもより少しだけ表情が硬い。
その後ろには、リゼット・クローディアとエリシア・フィオーレまでいる。
……あれ?
三人揃って、どうしたんだろう。
「おはよう、セレスティア」
俺が挨拶すると、彼女は小さく頷いた。
「おはよう。それで、レオン」
「うん?」
「昨日、エレノアさんと街へ出かけたというのは本当?」
……。
カイルが、隣で肩を震わせ始めた。
こいつ、絶対に面白がってるな。
「本当だよ。神殿で一緒に頑張ってくれたお礼も兼ねてね」
「……そう」
セレスティアは、少しだけ視線を落とした。
リゼットが、おずおずと口を開く。
「あ、あの……髪飾りを贈られたというお話も……?」
「うん。青い宝石がついた銀細工のものだよ」
「……そう、なんですね」
リゼットは、自分の指先を見つめた。
俺の左手首には、彼女から贈られた銀と紫水晶の腕輪がある。
七属性に合わせて輝きを変える、大切な贈り物だ。
その腕輪へ目を向けたリゼットに、俺は微笑んだ。
「リゼットの腕輪も、昨日の神殿で役に立ったよ。魔力の流れを確認しやすかった」
「……っ!」
リゼットの顔が、ぱっと明るくなる。
「ほ、本当ですか?」
「うん。いつもありがとう」
「……よかったです」
彼女は、胸元で両手を合わせた。
一方、エリシアは困ったように微笑んでいた。
「レオン様。エレノアさんは、とても嬉しかったと思います」
「そうだといいな」
「ただ……」
エリシアは、少し頬を赤らめた。
「わ、私も、いつかレオン様と二人でお出かけしてみたいです」
……。
俺は、彼女を見た。
「もちろん。今度、都合のいい日を決めよう」
「……はい!」
エリシアが、花の咲くような笑顔になった。
すると。
「レオン」
セレスティアが、俺の袖を軽く引いた。
「私も、約束してほしいことがあるの」
「何?」
「今度の休日、王城の温室へ来てくれない?」
……。
王城の温室か。
幼い頃、セレスティアとよく遊んだ場所だ。
「いいよ。久しぶりだね」
「……ええ」
彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「昔みたいに、二人でゆっくりお話ししたいわ」
……。
そのとき。
背後から、楽しそうな声が響いた。
「へえ。皆、随分積極的なのね」
振り向く。
そこには、シャルロット・ヴァルディスが立っていた。
蒼風の剣姫。
俺の一つ年上の従姉。
そして、冬の夜会で俺に想いを告げてくれた少女。
「シャル姉?」
「レオン。私との約束、忘れてないでしょうね?」
……。
あ。
庭園の散歩。
神殿の調査で延期になっていたんだった。
「もちろん、覚えてるよ」
俺は、頷いた。
「今日の放課後、屋敷の庭園を一緒に歩こうか」
シャル姉の表情が、ぱっと明るくなった。
「……本当?」
「うん。ただし、無理はしないこと。医師からも軽い散歩までって言われてるだろ?」
「分かってるわよ」
彼女は、少しだけ頬を膨らませた。
「もう、レオンは心配性なんだから」
……。
その様子を見ていたカイルが、小さく呟いた。
「……すげえな」
「何が?」
「お前の周り、もう恋愛小説の主人公みたいになってるぞ」
……。
俺は、苦笑するしかなかった。
◇
昼休み。
学園の中庭。
俺たちは、いつものテーブルを囲んでいた。
セレスティア。
リゼット。
エリシア。
そして、シャル姉。
四人の間には、どこか不思議な緊張感が漂っている。
「……それで」
セレスティアが、静かに口を開いた。
「エレノアさんのこと、皆はどう思っているの?」
……。
リゼットが、少し考えた。
「……とても、素敵な方だと思います」
エリシアも頷く。
「はい。レオン様をずっと支えてこられた方ですし」
シャル姉は、紅茶のカップを置いた。
「私も、エレノアのことは好きよ」
……。
「でも、だからこそ油断できないわね」
……。
俺は、思わず首を傾げた。
「……油断?」
四人が、同時にこちらを見た。
……。
「レオン」
セレスティアが、ため息をついた。
「あなた、本当に分かっていないのね」
……。
何をだろう。
俺が答えに困っていると、シャル姉が笑った。
「まあ、いいわ」
そして。
「でも、私たちだって負けるつもりはないから」
……。
その言葉に、リゼットとエリシアも小さく頷いた。
セレスティアは、穏やかに微笑んだ。
「ええ。皆で決めたことだもの」
……。
俺は、冬の夜会で交わした言葉を思い出した。
誰かの気持ちを軽く扱わない。
曖昧な言葉で誤魔化さない。
そして、一人一人と誠実に向き合う。
……。
俺は、静かに頷いた。
「……分かってる」
四人を見渡す。
「俺も、皆との時間を大切にしたい」
……。
その瞬間。
セレスティアの頬が、少しだけ赤くなった。
リゼットは、嬉しそうに微笑む。
エリシアは、胸元で両手を握った。
シャル姉は、照れ隠しのように紅茶を口へ運んだ。
……。
俺は、ふと思った。
こんな日常が、ずっと続けばいいな。
◇
放課後。
ヴァルディス公爵邸の庭園。
冬の花々が咲く小道を、俺とシャル姉はゆっくりと歩いていた。
「……気持ちいいわね」
シャル姉が、深く息を吸った。
「ずっと屋敷の中にいると、身体が鈍っちゃう」
「だからって、いきなり剣を振り回すのは禁止だよ」
「……分かってるってば」
彼女は、少しだけ笑った。
だが。
しばらく歩いたところで、俺は足を止めた。
「シャル姉、少し休もう」
「……まだ平気よ?」
「うん。でも、疲れる前に休む方がいい」
……。
シャル姉は、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……本当に、優しいんだから」
小さく呟いた。
庭園のベンチへ腰を下ろす。
俺は、彼女の魔力循環を軽く確認した。
以前、禁術の魔力増幅器によって傷ついた魔力回路。
今は順調に回復している。
だが、完全ではない。
「……うん。昨日より安定してる」
「本当?」
「うん。もう少しで、軽い訓練も増やせると思う」
……。
シャル姉は、嬉しそうに微笑んだ。
「……よかった」
そして。
俺の肩へ、そっと頭を寄せた。
「……レオン」
「うん?」
「……あの夜会で言ったこと、覚えてる?」
……。
俺は、静かに頷いた。
「……もちろん」
……。
シャル姉は、少しだけ頬を赤くした。
「……なら、いいの」
そして。
「……私、待ってるから」
……。
その声は、穏やかだった。
だが。
確かな想いが込められていた。
俺は、彼女の手へそっと自分の手を重ねた。
「……ありがとう、シャル姉」
……。
冬の庭園に、柔らかな風が吹いた。
◇
同じ頃。
公爵邸の廊下。
エレノアは、昨日レオンから贈られた髪飾りを手にしていた。
銀細工の小さな花。
中央に輝く、青い宝石。
……。
「……レオン様」
彼女は、小さく呟いた。
昨日のことを思い出す。
繋いだ手。
苺のタルト。
夕暮れの展望庭園。
そして。
『俺にとって大切な人なんだ』
……。
その言葉だけで、胸が温かくなる。
だが。
今日、学園で起きたことも、すでに耳に入っていた。
セレスティア。
リゼット。
エリシア。
シャルロット。
皆、レオンを心から想っている。
……。
エレノアは、静かに目を閉じた。
――私は、どうしたいのでしょう。
今までなら。
ただ、レオン様の幸せを願うだけで十分だった。
でも。
昨日、あの人と手を繋いだとき。
自分の中にある願いを、はっきりと知ってしまった。
……。
――私も、あの方の隣にいたい。
……。
エレノアは、髪飾りを胸元へ抱いた。
そして。
静かに微笑んだ。
「……いつか、必ず」
……。
「……私の想いも、お伝えします」




