第131話 銀髪の少女との休日――専属メイドが見せた恋する素顔
王国暦八二二年、新春月十九日。
王都ルミナス。
冬の朝。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、自室の鏡の前に立っていた。
今日は、学園も休み。
そして。
エレノアと街へ出かける約束の日だった。
「……さて」
俺は、普段の制服ではなく、落ち着いた色合いの私服へ着替えていた。
黒い上着。
白いシャツ。
そして、動きやすい長ズボン。
……まあ、普通だな。
そのとき。
コンコン。
扉が、軽く叩かれた。
「……レオン様」
聞き慣れた声。
「どうぞ」
扉が開く。
そして。
俺は、思わず目を見開いた。
「……エレノア?」
そこに立っていたのは。
いつものメイド服でも、騎士服でもない少女だった。
淡い水色のワンピース。
白いカーディガン。
銀色の髪は、柔らかく下ろされている。
そして。
胸元には、小さな青い宝石のペンダント。
……。
「……どう、でしょうか」
エレノアが、少し不安そうに尋ねた。
「……変では、ございませんか?」
……。
俺は、しばらく言葉が出なかった。
……綺麗だ。
普段から整った顔立ちをしているとは思っていた。
でも。
こうして私服姿を見ると、また違った印象がある。
「……すごく似合ってるよ」
俺は、素直に答えた。
「綺麗だ」
……。
その瞬間。
エレノアの頬が、真っ赤になった。
「……っ!」
「……エレノア?」
「……い、いえ!」
彼女は、慌てて視線を落とした。
「……ありがとうございます」
……。
その声は、少しだけ震えていた。
◇
王都の中央商業区。
休日の街は、多くの人々で賑わっていた。
焼きたてのパンの香り。
露店に並ぶ果物。
色鮮やかな布地。
そして、街角で演奏する楽師たち。
俺とエレノアは、人混みの中を並んで歩いていた。
「……レオン様」
「うん?」
「……こうして、仕事以外で街へ出るのは、久しぶりです」
「そうなんだ?」
「はい」
エレノアは、少しだけ微笑んだ。
「普段は、お屋敷と学園の往復がほとんどですので」
……。
俺は、少し考えた。
「……じゃあ、今日は好きなところへ行こう」
「……え?」
「エレノアが行きたい場所、全部付き合うよ」
……。
彼女は、驚いたように俺を見た。
「……本当でございますか?」
「もちろん」
俺は、笑った。
「今日は、エレノアの休日だからね」
……。
彼女は、しばらく黙っていた。
そして。
「……では」
少しだけ頬を赤くして。
「……一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「何でもどうぞ」
……。
「……手を、繋いでもよろしいですか?」
……。
俺は、少し驚いた。
「……手?」
「……はい」
彼女は、恥ずかしそうに視線を落とした。
「……人が多いので、はぐれないように」
……。
なるほど。
確かに、今日は人が多い。
俺は、笑った。
「……いいよ」
そして。
右手を差し出した。
……。
エレノアは、そっとその手を握った。
細い指。
温かな手のひら。
……。
彼女の頬が、さらに赤くなった。
「……ありがとうございます」
……。
俺は、少し笑った。
「……そんなに緊張しなくても」
「……レオン様が、平然としていらっしゃるのが不思議です」
……。
「……そうかな?」
「……はい」
彼女は、小さく頷いた。
「……とても」
……。
その言葉の意味を。
俺は、まだ十分に理解していなかった。
◇
最初に訪れたのは、小さな菓子店だった。
店内には、焼き菓子や果物のタルトが並んでいる。
「……わあ」
エレノアが、小さく声を上げた。
……。
俺は、少し驚いた。
普段の彼女は、あまり感情を大きく表に出さない。
でも。
今は、目を輝かせている。
「……甘いもの、好きなんだ?」
「……はい」
彼女は、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「実は、とても」
……。
俺は、笑った。
「じゃあ、好きなのを選んで」
「……え?」
「今日は、俺がご馳走するよ」
……。
エレノアは、慌てて首を振った。
「……い、いえ! そのような……!」
「……駄目?」
……。
彼女は、困ったように俺を見た。
そして。
「……では」
小さく、微笑んだ。
「……お言葉に甘えさせていただきます」
……。
彼女が選んだのは、苺のタルトだった。
俺は、蜂蜜を使った焼き菓子を注文した。
窓際の席に座り、温かな紅茶を飲む。
……。
「……美味しいです」
エレノアが、幸せそうに微笑んだ。
「……よかった」
俺も、笑った。
……。
そのとき。
彼女が、少しだけこちらを見た。
「……レオン様」
「……ん?」
「……一口、召し上がりますか?」
……。
俺は、少し驚いた。
「……いいの?」
「……はい」
エレノアは、フォークで小さくタルトを切り分けた。
そして。
俺の方へ差し出す。
……。
「……どうぞ」
……。
俺は、少し笑った。
「……ありがとう」
差し出されたタルトを口にする。
甘酸っぱい苺。
柔らかなクリーム。
……。
「……美味しい」
俺がそう言うと。
エレノアは、嬉しそうに微笑んだ。
「……よかったです」
……。
その頬は、ほんのり赤かった。
◇
午後。
俺たちは、王都の大通りを歩いていた。
その途中。
小さな装飾品店の前で、エレノアが足を止めた。
「……綺麗ですね」
彼女が見つめていたのは、銀細工の髪飾りだった。
小さな青い宝石が、花の形に並んでいる。
……。
俺は、少し考えた。
そして。
店主へ声をかけた。
「すみません。これをお願いします」
……。
エレノアが、驚いたように振り返った。
「……レオン様!?」
「エレノアに似合いそうだと思って」
……。
俺は、髪飾りを受け取った。
そして。
彼女へ差し出した。
「……よかったら、使って」
……。
エレノアは、しばらく動かなかった。
「……私に、ですか?」
「うん」
俺は、笑った。
「いつも頑張ってくれてるからね」
……。
彼女は、ゆっくりと髪飾りを受け取った。
その青い瞳が、わずかに潤んだ。
「……ありがとうございます」
……。
俺は、少し驚いた。
「……エレノア?」
「……大丈夫です」
彼女は、微笑んだ。
「……嬉しくて」
……。
俺は、静かに頷いた。
「……そっか」
……。
その後。
エレノアは、髪飾りを銀髪へつけた。
青い宝石が、冬の陽光を受けて輝く。
……。
「……どうでしょうか?」
彼女が、少し恥ずかしそうに尋ねた。
俺は、素直に答えた。
「……すごく似合ってる」
……。
エレノアは、幸せそうに微笑んだ。
◇
夕暮れ。
王都の高台にある、小さな展望庭園。
そこからは、王都の街並みが一望できた。
赤く染まる屋根。
遠くに見える王城。
そして、冬の空。
俺とエレノアは、並んでベンチに座っていた。
「……綺麗ですね」
エレノアが、静かに呟いた。
「……そうだな」
俺は、頷いた。
……。
しばらく、二人で景色を眺めていた。
やがて。
エレノアが、口を開いた。
「……レオン様」
「……うん?」
「……今日は、本当にありがとうございました」
……。
俺は、笑った。
「俺も楽しかったよ」
……。
彼女は、少しだけ視線を落とした。
「……私」
……。
その声は、少しだけ震えていた。
「……レオン様と、こうして過ごせる日が来るなんて、思っておりませんでした」
……。
俺は、彼女を見た。
「……どうして?」
……。
エレノアは、静かに微笑んだ。
「……私は、使用人ですから」
……。
「……レオン様のお側にいられるだけで、十分だと思っていました」
……。
俺は、少し考えた。
そして。
「……エレノア」
「……はい?」
「俺は、君をただの使用人だと思ったことはないよ」
……。
彼女の瞳が、大きく見開かれた。
「……レオン様」
「ずっと、一緒にいてくれただろ?」
俺は、笑った。
「だから、俺にとって大切な人なんだ」
……。
エレノアは、しばらく何も言わなかった。
やがて。
その青い瞳から、一筋の涙が零れた。
……。
「……エレノア?」
「……申し訳ございません」
彼女は、慌てて涙を拭った。
「……嬉しくて」
……。
俺は、静かに微笑んだ。
「……泣かなくてもいいのに」
……。
彼女は、小さく笑った。
「……レオン様は、本当にずるい方です」
……。
「……また、それ?」
俺が苦笑すると、彼女も笑った。
……。
そして。
少しだけ、俺の肩へ身体を寄せた。
「……もう少しだけ」
……。
「……こうしていても、よろしいでしょうか?」
……。
俺は、頷いた。
「……もちろん」
……。
夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
……。
エレノアは、静かに目を閉じた。
――この人を、愛している。
その想いは、昔から変わらない。
けれど。
今は、少しだけ違う。
ただ守るだけではなく。
同じ景色を見て。
同じ時間を過ごして。
そして。
いつか。
自分の想いを、きちんと伝えたい。
……。
そんな未来を。
彼女は、初めて強く願っていた。
◇
同じ日の夜。
王立アストレア学園、神託院連絡室。
カイン・ヴェルナーは、机の前に立っていた。
その向かいには、神託院の監察官と学園の教官が座っている。
「カイン・ヴェルナー」
監察官が、静かに口を開いた。
「今回の件について、正式な調査結果が出た」
……。
カインは、黙っていた。
「禁足地への無断侵入」
「封印魔導具の持ち出し」
「そして、神殿の封印を破壊した行為」
……。
監察官は、書類を閉じた。
「これらは、極めて重大な問題だ」
……。
カインは、唇を噛んだ。
「……でも、俺は」
「言い訳は、後で聞こう」
……。
監察官は、静かに続けた。
「勇者候補としての資格は、当面停止とする」
……。
カインの顔が、凍りついた。
「……は?」
「学園での特別待遇も、一時停止する」
……。
「……ふざけんな!」
カインが、机を叩いた。
「俺は、勇者候補なんだぞ!」
……。
監察官は、表情を変えなかった。
「だからこそ、責任がある」
……。
「勇者とは、力を持つ者ではない」
……。
「その力を、正しく使える者だ」
……。
カインは、言葉を失った。
……。
監察官は、最後に告げた。
「今後の処分は、追加調査の結果を踏まえて決定する」
……。
カインは、拳を握り締めた。
「……くそっ」
……。
その瞳には。
悔しさ。
怒り。
そして。
レオンハルトへの、消えることのない対抗心が宿っていた。
……。
彼は、まだ知らなかった。
本当に自分を苦しめているものが。
レオンハルトではなく。
自分自身の、歪んだ願望であることを。




