第130話 英雄の帰還――黒獅子の誇りと公爵家の温かな食卓
王国暦八二二年、新春月十八日。
夜の帳が下り始めた王都ルミナス。
ヴァルディス公爵家の馬車が、屋敷の正門をくぐった。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、窓の外に見える屋敷の灯りを眺めていた。
《忘却の神殿》での戦いは、無事に終わった。
古代魔将ヴァルグリムは消滅し、魔剣グリムヴェインも封印した。
同行した騎士団や調査員にも、大きな被害はない。
ひとまず、最善の結果だったと思う。
「レオン様」
隣に座るエレノアが、静かに声をかけた。
「お屋敷に到着いたしました」
「うん。ありがとう」
「……本日は、本当にお疲れさまでございました」
俺は、彼女を見た。
銀髪の少女は、いつものように微笑んでいる。
だが、その青い瞳には、どこか安堵したような色があった。
「エレノアもね」
俺は、笑った。
「君がいてくれて、助かったよ」
彼女は、少しだけ頬を赤くした。
「……そのお言葉だけで、十分でございます」
馬車が止まる。
扉が開かれ、冷たい夜風が入り込んできた。
そして。
「レオン!」
聞き慣れた声が、響いた。
◇
屋敷の玄関前。
そこには、母上が立っていた。
エレオノーラ・ヴァルディス。
銀月の魔女と呼ばれる、王国屈指の魔法使い。
普段は優雅で落ち着いている母上だが、今は少しだけ表情が違っていた。
「母上、ただいま戻りました」
俺が頭を下げると、母上はすぐに近づいてきた。
そして。
ぎゅっ。
「……母上?」
抱きしめられた。
しかも、かなり強く。
「……お帰りなさい、レオン」
耳元で、優しい声が響く。
「無事で、本当によかったわ」
……。
俺は、少しだけ目を伏せた。
母上は、俺がどれほど強いか知っている。
それでも。
心配してくれていたんだ。
「……ただいま、母上」
俺は、静かに答えた。
「約束通り、帰ってきました」
母上は、少しだけ身体を離した。
そして。
俺の頬へ、そっと手を添えた。
「……ええ」
柔らかな笑顔。
「それが、一番嬉しいのよ」
……。
その後ろから、低い声が響いた。
「レオン」
父上だった。
アルフォンス・ヴァルディス。
黒獅子の異名を持つ、公爵家当主。
威厳に満ちた姿。
だが、その瞳には、確かな安堵があった。
「父上」
俺は、姿勢を正した。
「ただいま戻りました」
父上は、ゆっくりと頷いた。
「……よく帰った」
そして。
俺の肩へ、大きな手を置いた。
「報告は受けている」
「……はい」
「古代魔将を討伐し、神殿の暴走を止めたそうだな」
「はい」
父上は、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……立派だった」
短い言葉。
だが。
その一言には、深い重みがあった。
「ありがとうございます、父上」
俺は、素直に頭を下げた。
父上は、少しだけ笑った。
「だが、今夜は仕事の話は終わりだ」
「……え?」
「家族が待っている」
……。
その言葉に、俺も笑った。
「……はい」
◇
大食堂。
扉を開いた瞬間。
「レオン!」
シャル姉が、椅子から立ち上がった。
「お帰りなさい!」
「ただいま、シャル姉」
彼女は、こちらへ駆け寄ろうとした。
だが。
「シャルロット」
母上が、静かに呼び止める。
「まだ無理に走ってはいけませんよ」
「……あっ」
シャル姉は、少し恥ずかしそうに足を止めた。
「……分かってます」
……。
俺は、思わず笑ってしまった。
「シャル姉、まだ安静にしてないと」
「……だって」
彼女は、少し頬を膨らませた。
「レオンが帰ってきたんだもの」
……。
俺は、彼女の前へ歩いた。
「心配かけたね」
「……本当よ」
シャル姉は、小さな声で答えた。
そして。
俺の上着の袖を、そっと掴んだ。
「……無事でよかった」
……。
俺は、静かに頷いた。
「ありがとう」
そのとき。
「レオン兄様!」
ルシウスが、元気よく声を上げた。
「魔将を倒したって、本当ですか!?」
「……うん」
「すごいです!」
彼は、目を輝かせた。
「僕も、早く兄様みたいに強くなりたい!」
……。
俺は、苦笑した。
「まずは、腕をちゃんと治してからだよ」
「……はい!」
ルシウスは、元気よく頷いた。
その様子を見て、母上が笑った。
「ふふっ。本当に、レオンのことが大好きなのね」
「もちろんです!」
ルシウスは、胸を張った。
……。
俺は、少し照れくさくなった。
◇
夕食が始まった。
温かなスープ。
焼きたてのパン。
香草を使った肉料理。
そして、冬野菜の煮込み。
一日中、神殿の中にいた身体には、どれもありがたかった。
「……美味しい」
俺が呟くと、母上が嬉しそうに微笑んだ。
「今日は、あなたの好きなものを用意させたの」
「ありがとうございます」
……。
そのとき。
父上が、静かに口を開いた。
「レオン」
「はい」
「今回の件について、王国騎士団から正式な報告が届いている」
……。
俺は、スプーンを置いた。
「……何か問題が?」
「いや」
父上は、首を振った。
「むしろ、その逆だ」
……。
「お前の判断によって、神殿の封印構造が保たれた。調査員たちは、非常に高く評価している」
……。
俺は、少し驚いた。
「……そうですか」
「それに」
父上は、続けた。
「同行した護衛騎士の働きも、素晴らしかったそうだ」
……。
その瞬間。
食卓の端に控えていたエレノアが、わずかに顔を上げた。
「……私、でございますか?」
父上は、頷いた。
「そうだ」
そして。
「石像守護者への対応、勇者候補の保護、そしてレオンとの連携」
……。
「よく務めを果たした」
……。
エレノアは、深く頭を下げた。
「……身に余るお言葉でございます」
母上も、優しく微笑んだ。
「エレノア、あなたも無事でよかったわ」
「……ありがとうございます、奥様」
……。
俺は、少し考えた。
そして。
「父上」
「何だ?」
「エレノアにも、席についてもらえませんか?」
……。
一瞬、食卓が静かになった。
エレノアが、驚いたようにこちらを見る。
「……レオン様?」
俺は、笑った。
「今日は、エレノアも一緒に帰ってきたんです」
……。
「だから、一緒に食事をしたいなと思って」
……。
父上は、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……構わん」
……。
母上が、嬉しそうに微笑んだ。
「そうね。今日は、皆で食べましょう」
……。
エレノアは、慌てて首を振った。
「……い、いえ! 私は使用人でございますので……!」
だが。
シャル姉が、笑った。
「……いいじゃない、エレノア」
ルシウスも、元気よく頷いた。
「一緒に食べましょう!」
……。
エレノアは、困ったように俺を見た。
俺は、笑った。
「……たまには、いいだろ?」
……。
彼女は、しばらく黙っていた。
やがて。
小さく、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その声は、少しだけ震えていた。
◇
食事の後半。
話題は、自然と学園のことへ移っていった。
「……そういえば、レオン」
母上が、楽しそうに口を開いた。
「最近、セレスティア殿下とはどうなの?」
……。
俺は、危うく紅茶を吹き出しそうになった。
「……母上!?」
シャル姉が、すぐに反応した。
「……お母様!」
……。
母上は、にこにこと笑っている。
「ふふっ。だって、気になるんですもの」
……。
「リゼットさんも、エリシアさんも、あなたのことが大好きでしょう?」
……。
俺は、言葉に詰まった。
「……それは」
……。
シャル姉が、少しだけ頬を赤くした。
「……私だって」
……。
小さな声。
だが。
しっかりと聞こえた。
……。
その瞬間。
母上の笑顔が、さらに深くなった。
「まあ!」
……。
俺は、頭を抱えたくなった。
……。
そして。
ふと、隣を見る。
エレノアは、静かに紅茶を飲んでいた。
だが。
その青い瞳が、ほんの少しだけ揺れているように見えた。
……。
俺は、思わず声をかけた。
「……エレノア?」
「……はい?」
「……大丈夫?」
彼女は、少し驚いたように瞬きをした。
そして。
いつもの微笑みを浮かべた。
「……はい。もちろんでございます」
……。
だが。
その笑顔の奥に。
何か、言葉にできない感情が隠れているような気がした。
◇
夜。
自室へ戻る廊下。
俺は、エレノアと並んで歩いていた。
「……今日は、ありがとう」
俺が言うと、彼女は首を傾げた。
「……何が、でございますか?」
「神殿でのことも、帰ってからのことも」
……。
俺は、少し笑った。
「エレノアがいてくれて、本当に助かった」
……。
彼女は、静かに微笑んだ。
「……私も、レオン様のお側にいられて幸せでございます」
……。
その言葉に、俺は少し驚いた。
「……幸せ?」
「……はい」
彼女は、真っ直ぐこちらを見た。
「……私は、レオン様と共に過ごす時間が、とても大切なのです」
……。
俺は、静かに頷いた。
「……俺もだよ」
……。
エレノアの瞳が、大きく見開かれた。
「……レオン様」
俺は、笑った。
「だから、今度の街歩きも楽しみにしてる」
……。
彼女は、少しだけ頬を赤くした。
そして。
「……はい」
小さく、微笑んだ。
「……私も、心から楽しみにしております」
……。
窓の外では、冬の月が輝いていた。
家族の笑顔。
温かな食卓。
そして。
隣にいてくれる、大切な少女。
……。
俺は、改めて思った。
――この日常を、守っていきたい。




