第126話 銀剣の誓い――主従が踏み込む忘却の神殿
王国暦八二二年、新春月十八日。
王都ルミナス、西方街道。
冬の朝霧を切り裂きながら、ヴァルディス公爵家の馬車が森へ向かっていた。
窓の外には、葉を落とした木々が続いている。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、膝の上に広げた地図を眺めていた。
目的地は《忘却の神殿》。
原作ゲーム『エターナル・レガリア』に登場した隠しダンジョンだ。
そして、そこには《魔剣グリムヴェイン》が封印されているはずだった。
「レオン様、お茶をどうぞ」
向かいに座るエレノアが、携帯用の魔導保温器から紅茶を注いだ。
銀髪を後ろで束ね、黒い騎士服に軽装の銀鎧を重ねている。
腰には細身の長剣。
普段のメイド姿とは違う、護衛騎士としての装いだった。
「ありがとう、エレノア」
カップを受け取ると、彼女は柔らかく微笑んだ。
「昨夜は、きちんとお休みになられましたか?」
「うん。エレノアは?」
「私も十分に休息を取りました」
「本当に?」
「……レオン様」
「ん?」
「私の睡眠時間まで把握しようとなさるのは、少々過保護ではございませんか?」
「それ、エレノアが言う?」
彼女は一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「……確かに、私には言う資格がございませんね」
馬車の中に、穏やかな笑い声が広がった。
だが、その空気が長く続くことはなかった。
「若様」
御者台の方から、護衛隊長の声が届く。
「前方に王国騎士団の臨時検問所がございます」
「分かった。そこで合流しよう」
父上の手配によって、今回の調査には王国騎士団の小隊と遺跡調査員二名が同行することになっていた。
危険な遺跡だからこそ、勝手な単独行動は避ける。
それが父上との約束だった。
◇
西方の森、臨時検問所。
「レオンハルト様!」
馬車を降りると、壮年の騎士が駆け寄ってきた。
「王国騎士団第三調査隊、隊長のバルド・グレイヴと申します」
「レオンハルト・ヴァルディスです。今日はよろしくお願いします」
俺が頭を下げると、バルドは少し驚いた顔をした。
「……こちらこそ、よろしくお願いいたします」
彼はすぐに表情を引き締めた。
「神殿周辺で、昨夜から異常な魔力反応が確認されています」
「異常な魔力?」
「はい。通常の魔物とは異なる、濃い闇属性の反応です」
俺は眉をひそめた。
……やはり、何かが起きている。
「神殿へ入った者は?」
「足跡が一人分、確認されています。比較的新しいものです」
「……一人?」
「はい。若い男性と思われます」
その瞬間、俺の脳裏に一人の少年が浮かんだ。
カイン・ヴェルナー。
最近、学園で妙に焦っていた勇者候補。
……まさか。
いや、今は決めつけるべきじゃない。
「足跡の主がまだ中にいる可能性がありますね」
「その通りです」
バルドが頷いた。
「我々は入口付近まで安全を確保しましたが、内部の魔力濃度が高く、調査員を進ませられません」
「分かりました」
俺は神殿の方角を見た。
森の奥から、微かな黒い魔力が立ち上っている。
普通の人間には見えないほど薄い。
だが、俺にははっきりと感じ取れた。
……嫌な魔力だ。
「隊長。調査員の方々は安全地帯で待機させてください」
「しかし、レオンハルト様だけでは――」
「私も同行いたします」
エレノアが、一歩前へ出た。
その声は穏やかだったが、揺るぎない決意があった。
「レオン様の護衛は、私の役目です」
俺は頷いた。
「それに、隊長たちにも後方を守ってもらいます。退路が確保されている方が、安心して調査できますから」
バルドは少し考え、頷いた。
「承知しました。入口まで同行し、内部では連絡用魔導具を通じて支援いたします」
◇
《忘却の神殿》。
苔に覆われた石段を上り、巨大な青銅の扉の前へ立つ。
扉は、すでに開いていた。
その中央に刻まれた炎の紋章は、赤黒く変色している。
「……封印が解除されていますね」
エレノアが呟いた。
「ああ」
俺は、扉の表面へ手を当てた。
魔力の残滓が、指先を伝ってくる。
火属性。
そして、それに絡みつく闇属性。
……誰かが封印を解いた。
しかも、神殿内部の別の封印まで影響を受けている。
「エレノア、気をつけて」
「はい」
彼女は長剣を抜いた。
澄んだ金属音が、冷たい空気へ響く。
俺も剣を抜き、神殿の中へ足を踏み入れた。
◇
神殿内部。
長い石造りの通路。
壁には古代文字が刻まれ、青白い魔法灯が不規則に明滅していた。
歩き始めて数分。
エレノアが足を止めた。
「……レオン様」
「うん。分かってる」
前方の暗がり。
そこから、石を引きずる音が響いていた。
ガリ……ガリ……。
やがて。
三体の石像騎士が、ゆっくりと姿を現した。
ただし、原作ゲームで見た姿とは違う。
全身の亀裂から、黒い魔力が漏れている。
胸部の魔導核は、紫ではなく赤黒く染まっていた。
「……汚染されていますね」
エレノアが、静かに剣を構えた。
「そうみたいだ」
俺は石像騎士を観察した。
通常の守護者なら、魔導核を停止させれば動かなくなる。
だが、今の個体には外部から闇属性の魔力が流れ込んでいた。
核を破壊しても、再起動する可能性がある。
「エレノア」
「はい」
「右の一体をお願いできる?」
彼女は、驚いたようにこちらを見た。
「……私が、ですか?」
「ああ。残りは俺が抑える」
エレノアは、一瞬だけ目を伏せた。
そして。
「……承知いたしました」
銀色の剣が、静かに持ち上がる。
「必ず、仕留めます」
◇
最初に動いたのは、中央の石像騎士だった。
巨大な石剣を頭上へ掲げ、一直線に踏み込んでくる。
ゴォッ!
重い斬撃。
俺は半歩だけ右へ動いた。
石剣が、肩のすぐ横を通り過ぎる。
その瞬間、剣を水平に振った。
「――《風裂閃》」
薄い風の刃が、石像騎士の膝関節へ走る。
ガキンッ!
石の脚が、横方向へ弾かれた。
体勢が崩れる。
そこへ、左側の石像騎士が突進してきた。
俺は地面を蹴り、二体の間をすり抜けた。
石剣同士が激突する。
ガァン!
衝撃で、石片が飛び散った。
「……《土縛》」
足元に茶色い魔法陣を展開する。
石床が盛り上がり、二体の足首を包み込んだ。
動きを封じたところで、俺は左手を前へ出す。
「――《光浄》」
白い光が、二体の胸部へ吸い込まれた。
黒い魔力が、煙のように噴き出す。
石像騎士の身体が激しく震えた。
だが。
その動きは、すぐに静まった。
赤黒かった魔導核が、元の紫色へ戻る。
そして、二体はその場に膝をついた。
……よし。
これなら、神殿の守護機能も残せる。
◇
一方。
エレノアは、右側の石像騎士と対峙していた。
相手は彼女より二回り以上大きい。
腕力も、重量も、圧倒的に上だった。
だが。
エレノアの表情に、怯えはなかった。
「……参ります」
石像騎士が、剣を振り下ろす。
エレノアは左足を斜め前へ滑らせ、剣の軌道から外れた。
ゴンッ!
石剣が床を砕く。
その瞬間。
彼女は右足を踏み込み、相手の手首へ斬撃を放った。
キィン!
鋼鉄の剣が、石の関節を正確に捉える。
石像騎士の剣が、わずかに傾いた。
だが。
相手は、そのまま腕を横へ振った。
巨大な石剣が、水平に迫る。
エレノアは身を低くし、膝を折った。
剣先が頭上を通り過ぎる。
銀髪が、風圧で揺れた。
「……っ!」
その姿勢から、彼女は地面を蹴った。
低い位置から、鋭い突きを放つ。
狙いは胸部の魔導核。
しかし。
石像騎士が左腕を差し出し、剣先を防いだ。
ガキン!
刃が弾かれる。
エレノアは、すぐに剣を引いた。
無理に押し込まない。
相手の重心を見極める。
そして。
次の一撃を誘う。
石像騎士が、再び剣を振り上げた。
その瞬間。
エレノアは、わずかに右へ身体を傾けた。
相手が、彼女の移動先へ斬撃を修正する。
……そこです。
彼女は、逆方向へ踏み込んだ。
相手の剣が空を切る。
体勢が大きく崩れた。
「――《銀閃》!」
剣身を覆う魔力が、銀色に輝いた。
細く鋭い斬撃。
それが、石像騎士の胸部へ一直線に走る。
パキンッ!
胸部の装甲が割れ、赤黒い魔導核が露出した。
「レオン様!」
彼女が叫ぶ。
俺は、すぐに左手を向けた。
「――《光浄》!」
白い光が、露出した魔導核へ吸い込まれる。
黒い魔力が消えた。
石像騎士の動きが、完全に停止する。
……。
静寂。
エレノアは、ゆっくりと剣を下ろした。
「……終わりました」
俺は、笑った。
「見事だったよ、エレノア」
彼女は、少しだけ頬を赤くした。
「……ありがとうございます」
「最後の誘い方、上手かった」
「……レオン様との訓練のおかげです」
「いや、あれはエレノア自身の判断だよ」
俺がそう言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「……そう言っていただけると、励みになります」
◇
神殿の奥へ進む。
通路には、激しい戦闘の痕跡が残っていた。
砕けた石柱。
焼け焦げた壁。
そして、赤黒い炎の残滓。
俺は、その魔力を感じ取った。
……これは。
普通の火属性魔法じゃない。
炎の中に、強い闇属性が混じっている。
しかも。
その魔力には、覚えがあった。
「……カイン?」
思わず、名前が漏れた。
エレノアが、こちらを見た。
「……勇者候補の方ですか?」
「ああ」
俺は、静かに頷いた。
「まだ確証はないけど、彼の魔力に似ている」
……。
エレノアの表情が、引き締まった。
「……では、あの方が神殿へ?」
「可能性は高い」
俺は、奥へ視線を向けた。
そして。
神殿の最深部から、強烈な闇属性の魔力が流れてきた。
……。
「……エレノア」
「はい」
「ここから先は、少し危険かもしれない」
彼女は、剣を握り直した。
「……承知しております」
そして。
静かに微笑んだ。
「ですが、レオン様」
「……ん?」
「私は、あなたの隣に立つために、ここへ来たのです」
……。
俺は、頷いた。
「……分かった」
二人で、最深部へ向かう。
その先には。
赤黒い炎に包まれた少年が、待っていた。




