第125話 黒き魔剣の代償――悪役公爵令息、異変を察知する
王国暦八二二年、新春月十七日。
王都ルミナス。
ヴァルディス公爵邸。
朝の陽光が差し込む書斎で、俺――レオンハルト・ヴァルディスは、一冊の古い資料を読んでいた。
机の上には、王国西方の地図。
そして、父上から借りた古代遺跡の調査記録が広がっている。
《忘却の神殿》。
その名前を見た瞬間から、胸の奥に違和感が残っていた。
……確か、あそこには。
俺は、前世の記憶を辿った。
ゲーム『エターナル・レガリア』。
その中に登場する、隠しダンジョン。
序盤から訪れることも可能だが、本来は中盤以降に攻略する場所。
そして。
最深部には、一本の魔剣が眠っていた。
「……グリムヴェイン」
俺は、小さく呟いた。
《魔剣グリムヴェイン》。
火属性の攻撃力を大幅に上昇させる、特殊な装備。
ゲームでは、非常に強力な武器として扱われていた。
だが。
確か、説明文には。
『持ち主の願望を力へ変える剣』
……そんな一文があったはずだ。
当時は、単なる設定だと思っていた。
しかし。
この世界は、ゲームではない。
魔法も。
人間も。
そして、命も。
すべてが現実だ。
……もし、あの剣に何か危険な性質があるとしたら。
俺は、資料を閉じた。
「……調べておいた方がいいな」
そのとき。
コンコン。
扉が、軽く叩かれた。
「……レオン様」
聞き慣れた声。
エレノアだった。
「どうぞ」
扉が開く。
銀髪の少女が、静かに入ってきた。
「おはようございます、レオン様」
「おはよう、エレノア」
彼女は、机の上の資料へ視線を落とした。
「……西方の遺跡について、お調べなのですね」
「うん。少し気になることがあって」
「……危険な場所なのでしょうか?」
俺は、少し考えた。
「……まだ、分からない」
そして。
「でも、念のため確認しておきたい」
エレノアは、静かに頷いた。
「……でしたら、私も同行いたします」
「……エレノア」
「護衛として、当然のことです」
彼女は、真っ直ぐこちらを見た。
「……それに」
「……それに?」
「……レオン様を、一人で危険な場所へ行かせたくありません」
……。
俺は、少し笑った。
「……ありがとう」
そして。
「じゃあ、一緒に行こうか」
エレノアの表情が、ぱっと明るくなった。
「……はい!」
◇
同じ頃。
王都西方。
《忘却の神殿》。
カイン・ヴェルナーは、最深部の広間に立っていた。
右手には、漆黒の魔剣。
《グリムヴェイン》。
刀身には、赤黒い炎が揺らめいている。
「……すげえ」
カインは、笑った。
「……こんなに力が湧いてくるなんてな」
剣を軽く振る。
ゴォッ!
赤黒い炎が、空気を裂いた。
その余波だけで、石床に亀裂が走る。
「……ははっ!」
カインは、声を上げて笑った。
「……これなら、あいつにも!」
だが。
そのとき。
ズンッ!
神殿全体が、激しく揺れた。
「……何だ?」
カインは、周囲を見回した。
広間の壁に刻まれていた古代文字が、次々と砕けていく。
黒い魔力が、床の亀裂から噴き上がった。
……。
そして。
闇の奥から、巨大な影が現れた。
全身を黒い甲冑で覆った騎士。
身長は、三メートル近い。
右手には、巨大な大剣。
兜の奥には、赤い光が二つ揺れていた。
「……何だよ、あれ」
カインは、息を呑んだ。
ゲームには、存在しなかった敵だった。
黒騎士は、ゆっくりと剣を持ち上げた。
ゴォッ!
重い風圧が、広間を揺らす。
『……封印を破りし者』
低い声が、響いた。
『……その剣を、返せ』
……。
カインは、魔剣を握り締めた。
「……ふざけんな」
そして。
「……これは、俺の剣だ!」
黒騎士が、踏み込んだ。
石床が、砕ける。
巨体が、信じられない速度で迫った。
「……っ!」
カインは、咄嗟に魔剣を構えた。
ガァァン!
二本の剣が、激突する。
衝撃が、腕から肩へ突き抜けた。
足元の石床に、亀裂が走る。
「ぐっ……!」
カインは、歯を食いしばった。
――重い!
だが。
魔剣から、赤黒い魔力が流れ込んできた。
身体の奥に、熱が広がる。
「……負けるかよ!」
カインは、黒騎士の剣を押し返した。
そのまま、身体を回転させる。
腰を低く落とし、斜め下から斬り上げた。
「――《紅蓮斬》!」
赤黒い炎が、巨大な弧を描いた。
ドォン!
黒騎士の胸部へ、斬撃が命中する。
甲冑が、激しく揺れた。
だが。
黒騎士は、倒れなかった。
『……愚かな』
……。
その声と同時に。
黒騎士の左腕が、カインの胸元へ伸びた。
「……っ!?」
避けきれない。
ドンッ!
鋼鉄の拳が、胸部へ叩き込まれた。
「がはっ!」
カインの身体が、後方へ吹き飛ぶ。
石柱へ激突した。
ガシャァン!
柱が、砕ける。
「……ぐっ……!」
カインは、床へ崩れ落ちた。
口の中に、鉄の味が広がる。
……。
――何だよ。
――何なんだよ、こいつ!
ゲームには、こんな敵はいなかった。
こんな展開も、知らない。
……。
黒騎士が、ゆっくりと近づいてくる。
『……剣を返せ』
……。
カインは、震える手で魔剣を握り締めた。
「……嫌だ」
その声は、かすれていた。
「……絶対に、渡さねえ」
……。
その瞬間。
魔剣の宝石が、赤く輝いた。
『……力を、望むか』
……。
頭の中へ、声が響く。
カインは、息を呑んだ。
『……敵を、倒したいか』
……。
「……ああ」
カインは、低く答えた。
「……倒したい」
『……ならば、捧げよ』
……。
「……何を?」
『……汝の渇望を』
……。
カインは、意味を理解できなかった。
だが。
目の前には、黒騎士が迫っていた。
「……何でもいい!」
カインは、叫んだ。
「……力を寄越せ!」
その瞬間。
ゴォォォッ!
赤黒い炎が、爆発的に噴き上がった。
カインの身体を、禍々しい魔力が包み込む。
「……うおおおお!」
瞳が、赤く染まる。
魔剣の紋様が、腕へ広がっていく。
そして。
カインは、地面を蹴った。
黒騎士へ向けて、一直線に突進する。
「――《黒炎紅蓮斬》!」
赤黒い炎をまとった斬撃が、黒騎士の大剣へ激突した。
轟音。
爆発。
そして。
黒騎士の巨体が、後方へ吹き飛んだ。
ドガァン!
壁へ激突し、石片が舞い散る。
……。
カインは、荒い息を吐いた。
「……はあっ……はあっ……!」
黒騎士は、動かなかった。
「……勝った」
カインは、笑った。
「……ははっ!」
そして。
「……俺は、やっぱり主人公なんだ!」
だが。
その右腕には、赤黒い紋様が残っていた。
魔剣の宝石が、脈打つように輝いている。
……。
彼は、気づいていなかった。
その剣が、彼の魔力だけでなく。
心の奥にある嫉妬や怒りをも、少しずつ吸い上げていることに。
◇
同日、午後。
ヴァルディス公爵邸。
俺は、父上の書斎を訪れていた。
「……父上」
「どうした、レオン」
「西方の遺跡について、調査に行きたいのですが」
父上は、静かに眉をひそめた。
「……忘却の神殿か」
「はい」
「……理由を聞こう」
俺は、少し考えた。
ゲームの知識については、説明できない。
だが。
危険な魔導具が存在する可能性は、伝えておきたい。
「……古い資料を調べていたところ、神殿には危険な魔導具が封印されている可能性があると分かりました」
父上は、しばらく沈黙した。
そして。
「……分かった」
……。
俺は、少し驚いた。
「……よろしいのですか?」
「ああ。ただし、条件がある」
父上は、真剣な表情で続けた。
「単独行動は認めん」
「……はい」
「護衛と調査員を同行させる。現地の騎士団とも連携しろ」
俺は、頷いた。
「分かりました」
父上は、静かに息を吐いた。
「……レオン」
「はい」
「お前が強いことは、分かっている」
……。
「だが、強さと無事に帰ってくることは、同じではない」
……。
その言葉に、俺は胸が温かくなった。
「……はい」
父上は、少しだけ微笑んだ。
「必ず、帰ってこい」
俺は、真っ直ぐ頷いた。
「……約束します」
◇
夕方。
公爵邸の中庭。
エレノアは、剣の手入れをしていた。
俺が近づくと、すぐに顔を上げた。
「……レオン様」
「父上から、許可が出たよ」
……。
エレノアの表情が、引き締まった。
「……では」
「ああ」
俺は、頷いた。
「明日、西方の遺跡へ向かう」
……。
エレノアは、静かに剣を鞘へ納めた。
「……承知いたしました」
そして。
俺の前へ、片膝をついた。
「……レオン様」
「……エレノア?」
彼女は、真っ直ぐこちらを見上げた。
「私は、あなたの剣であり、盾です」
……。
「たとえ、どのような危険が待ち受けていようとも」
エレノアは、静かに続けた。
「……必ず、あなたのお側におります」
……。
俺は、少し笑った。
「……ありがとう」
そして。
彼女へ、手を差し出した。
「でも、エレノア」
「……はい?」
「俺は、君を盾として扱うつもりはないよ」
……。
エレノアの瞳が、揺れた。
「……レオン様」
「一緒に行って、一緒に帰ろう」
俺は、微笑んだ。
「それが、一番いい」
……。
エレノアは、しばらく俺を見つめていた。
やがて。
差し出した手を、そっと握った。
「……はい」
その声は、少しだけ震えていた。
「……必ず、ご一緒に」
……。
冬の夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
その頃。
忘却の神殿では。
砕けた黒騎士の甲冑が、ゆっくりと動き始めていた。
そして。
神殿の最深部。
崩れた封印の奥から。
黒い魔力が、静かに溢れ出していた。




