第123話 銀の誓いと忘却の神殿――交差する二つの運命
王国暦八二二年、新春月十五日。
ヴァルディス公爵邸。
朝の訓練場には、冬の冷たい空気が漂っていた。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、木剣を手にしていた。
その向かいに立つのは、銀髪の少女。
エレノア・シルヴェイン。
俺の専属メイドであり、護衛騎士。
普段のメイド服とは異なり、今日は動きやすい訓練着を身につけている。
腰まで流れる銀髪を一つに束ね、青い瞳を真っ直ぐこちらへ向けていた。
「……レオン様」
「うん?」
「本日は、遠慮なさらないでくださいね」
……。
俺は、少し笑った。
「それは難しい注文だな」
「……どうしてでしょう?」
「本気を出したら、訓練にならないから」
……。
エレノアは、少しだけ頬を膨らませた。
「……それは、分かっております」
そして。
「ですが、護衛として、少しでもレオン様のお役に立ちたいのです」
……。
俺は、静かに頷いた。
「……分かった」
木剣を構える。
「じゃあ、始めようか」
◇
「……参ります!」
エレノアが、地面を蹴った。
その動きは、静かだった。
だが。
速い。
右足を踏み込み、木剣を斜め上から振り下ろす。
剣先が、空気を切り裂いた。
ヒュッ!
俺は、半歩だけ左へ動いた。
木剣が、肩のすぐ横を通り過ぎる。
エレノアは、そのまま手首を返した。
斜めの斬撃から、水平の薙ぎ払いへ。
……いい連携だ。
俺は、木剣を縦に立てた。
カンッ!
乾いた音。
二本の木剣が、ぶつかる。
だが。
エレノアは、止まらなかった。
左足を軸に身体を回転させ、反対側から斬り込んでくる。
……なるほど。
連続攻撃で、俺の防御方向を変えさせるつもりか。
俺は、木剣をわずかに傾けた。
刃を真正面から受けるのではなく、滑らせるように流す。
カッ!
エレノアの剣先が、俺の右肩をかすめて通り過ぎた。
その瞬間。
俺は、一歩踏み込んだ。
木剣の先端を、彼女の胸元へ向ける。
……。
「……そこまで」
エレノアが、動きを止めた。
「……参りました」
俺は、木剣を下ろした。
「いや、今のは良かったよ」
「……本当ですか?」
「うん」
俺は、頷いた。
「二撃目から三撃目への切り替えが、かなり速くなってる」
エレノアの表情が、少し明るくなった。
「……ありがとうございます」
だが。
すぐに、真剣な顔へ戻る。
「……ですが、まだレオン様には届きません」
「……まあ、それは」
俺は、苦笑した。
「俺を基準にしなくてもいいと思うけど」
「……いいえ」
エレノアは、静かに首を振った。
「私が守りたいのは、レオン様ですから」
……。
その言葉に、俺は少し驚いた。
彼女は、真っ直ぐこちらを見ていた。
「……たとえ、レオン様がどれほど強くなられても」
エレノアは、続けた。
「……私は、あなたの隣に立てる人間でありたいのです」
……。
俺は、しばらく黙っていた。
そして。
「……ありがとう」
そう答えた。
「でも、無理だけはしないでくれ」
エレノアの瞳が、少し揺れた。
「……はい」
俺は、静かに笑った。
「俺だって、エレノアを守りたいんだから」
……。
その瞬間。
彼女の頬が、赤く染まった。
「……レオン様は」
「……ん?」
「……本当に、ずるい方です」
……。
俺は、首を傾げた。
「……何が?」
エレノアは、答えなかった。
ただ。
少しだけ、幸せそうに微笑んでいた。
◇
訓練を終えた俺たちは、屋敷の庭園へ向かった。
そこには、シャル姉とルシウスの姿があった。
「……レオン!」
シャル姉が、手を振った。
「お疲れさま!」
「ありがとう、シャル姉」
ルシウスも、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「レオン兄様!」
「おはよう、ルシウス」
「僕も、早く剣の訓練をしたいです!」
……。
俺は、苦笑した。
「まだ駄目だよ」
「……ええっ」
ルシウスは、残念そうに肩を落とした。
「先生から、許可が出るまではね」
「……分かりました」
その隣で。
シャル姉が、エレノアを見た。
「……エレノア」
「はい、シャルロット様」
「さっき、レオンと訓練してたでしょう?」
「……はい」
シャル姉は、少しだけ微笑んだ。
「……いいな」
……。
エレノアが、瞬きをした。
「……シャルロット様?」
「私も、早くレオンと剣を交えたい」
……。
俺は、すぐに首を振った。
「シャル姉も、まだ駄目」
「……分かってるわよ」
シャル姉は、少し頬を膨らませた。
「でも、見てるだけって退屈なの」
……。
俺は、笑った。
「じゃあ、今日は魔力循環の確認だけにしよう」
「……本当?」
「うん。無理のない範囲でね」
シャル姉の表情が、明るくなった。
「……約束よ?」
「ああ」
……。
その様子を見ていたエレノアが、静かに微笑んだ。
「……本当に、皆様は仲がよろしいですね」
俺は、頷いた。
「……そうだな」
そして。
「エレノアも、家族みたいなものだよ」
……。
彼女の動きが、止まった。
「……え?」
「ずっと一緒にいるんだから」
俺は、笑った。
「今さら、他人行儀になる必要もないだろ?」
……。
エレノアは、しばらく何も言わなかった。
やがて。
小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
だが。
その声には、少しだけ複雑な響きがあった。
――家族。
その言葉は、嬉しい。
けれど。
彼女が胸の奥に秘めている想いは、それだけではなかった。
◇
同じ頃。
王都の外れ。
カイン・ヴェルナーは、古びた地図を広げていた。
「……ここだな」
地図に記された、小さな印。
王都西方の森。
その奥にある、忘れ去られた地下神殿。
《忘却の神殿》。
ゲーム『エターナル・レガリア』では、隠し装備を入手できる場所だった。
「……間違いない」
カインは、口元を吊り上げた。
――ここには、強力な剣が眠っている。
――あれさえ手に入れれば、レオンハルトとの差も縮まる。
彼は、荷物を確認した。
食料。
水。
回復薬。
そして、愛用の剣。
準備は、整っていた。
「……行くか」
カインは、街道へ足を踏み出した。
……。
だが。
その背後で。
一人の商人が、彼の姿を見送っていた。
「……あの若者」
商人は、眉をひそめた。
「……まさか、西の禁足地へ向かうつもりか?」
……。
カインは、振り返らなかった。
彼の頭の中には、ゲームの攻略情報しかなかった。
危険な魔物の存在も。
神殿に施された古い封印も。
そして。
そこに眠る魔導具が、何のために封じられたのかも。
彼は、何一つ知らなかった。
◇
夕暮れ。
ヴァルディス公爵邸。
俺は、書斎で父上と話していた。
「……レオン」
父上が、静かに口を開いた。
「最近、王都西方の森で魔物の活動が増えている」
「……西方の森、ですか?」
「ああ」
父上は、机の上に地図を広げた。
「古い遺跡がある一帯だ。通常、立ち入りは制限されている」
……。
俺は、地図を見つめた。
その場所には、見覚えがあった。
……いや。
正確には。
前世の記憶に、あった。
ゲーム『エターナル・レガリア』。
その中に登場する、隠しダンジョン。
《忘却の神殿》。
……。
俺は、眉をひそめた。
――確か、あそこには……。
記憶の奥に、何かが引っかかった。
だが。
すぐには、思い出せない。
父上が、俺の表情を見た。
「……何か、心当たりがあるのか?」
「……いえ」
俺は、首を振った。
「ただ、少し気になって」
父上は、静かに頷いた。
「王国騎士団が調査を進めている。お前が無理に関わる必要はない」
「……分かりました」
俺は、そう答えた。
だが。
胸の奥に、小さな違和感が残っていた。
……何だろう。
何か、大切なことを忘れているような。
◇
夜。
公爵邸の廊下。
俺が自室へ戻ろうとすると、エレノアが待っていた。
「……レオン様」
「エレノア?」
彼女は、静かに一礼した。
「本日も、お疲れさまでございました」
「ありがとう」
俺は、微笑んだ。
「……そうだ」
「はい?」
「街へ行く約束、忘れてないからね」
……。
エレノアの表情が、ぱっと明るくなった。
「……はい」
彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「私も、楽しみにしております」
……。
俺は、頷いた。
「じゃあ、おやすみ」
「……おやすみなさいませ、レオン様」
扉が閉まる。
廊下に、一人残されたエレノアは。
しばらく、その扉を見つめていた。
「……レオン様」
小さく、呟く。
「……私は、必ずあなたをお守りします」
その青い瞳には、静かな決意が宿っていた。
かつて。
彼女は、命を懸けて一人の少年を守ろうとした。
だが。
今度こそ。
自分も、彼も。
誰も失わない未来を。
彼女は、心から願っていた。
そして。
王都西方の森では。
一人の勇者候補が、禁じられた神殿へと近づいていた。
その先に待つものが。
新たな災厄の始まりになるとも知らずに。




