第122話 公爵家の朝――銀髪の専属メイドと家族の温もり
王国暦八二二年、新春月十四日。
王都ルミナス、ヴァルディス公爵邸。
まだ冬の冷気が残る早朝。
厚いカーテンの隙間から、淡い朝日が差し込んでいた。
「……レオン様。お目覚めのお時間です」
耳元に届いた、澄んだ声。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、ゆっくりと目を開いた。
目の前には、銀色の髪を綺麗にまとめた少女が立っていた。
青く澄んだ瞳。
整った顔立ち。
そして、見慣れた黒と白のメイド服。
エレノア・シルヴェイン。
十七歳。
俺の専属メイドであり、護衛騎士でもある少女だ。
「……おはよう、エレノア」
「おはようございます、レオン様」
彼女は、優雅に一礼した。
「本日は、少々お寝坊ですね」
「……そうかな?」
「はい。いつもより七分ほど遅くございます」
……七分。
相変わらず、細かい。
「……よく覚えてるな」
「レオン様のことですから」
エレノアは、当然のように答えた。
……。
その言い方は、少しずるいと思う。
俺がベッドから起き上がると、エレノアはすぐに上着を差し出した。
「本日は冷え込みます。こちらをお召しください」
「ありがとう」
「……それと」
彼女は、俺の左手首へ視線を落とした。
そこには、リゼットから贈られた銀のブレスレットがあった。
紫水晶が、朝日を受けて淡く輝いている。
「……そのブレスレット、本当にお気に入りなのですね」
「うん。大切な贈り物だからね」
「……そうですか」
エレノアは、微笑んだ。
だが。
ほんの一瞬。
その青い瞳が、寂しそうに揺れた気がした。
「……エレノア?」
「……何でもございません」
彼女は、すぐに普段の表情へ戻った。
「朝食の準備が整っております」
……。
俺は、少し考えた。
そして。
「……エレノア」
「はい?」
「今度、休みの日に一緒に街へ行かないか?」
……。
彼女の動きが、止まった。
「……え?」
「いつも世話になってるからさ」
俺は、笑った。
「たまには、仕事を忘れて楽しんでもらいたいんだ」
……。
エレノアの頬が、ほんのり赤く染まった。
「……それは」
「嫌かな?」
「とんでもございません!」
珍しく、大きな声だった。
……。
彼女は、慌てて口元を押さえた。
「……失礼いたしました」
俺は、思わず笑ってしまった。
「ははっ。そんなに驚かなくても」
「……レオン様が、突然そのようなことを仰るからです」
エレノアは、少しだけ頬を膨らませた。
……可愛いな。
そんなことを思いながら、俺は上着を羽織った。
◇
朝食の時間。
公爵邸の大食堂には、温かな料理の香りが漂っていた。
父上、アルフォンス・ヴァルディス。
母上、エレオノーラ・ヴァルディス。
そして、シャル姉とルシウス。
今日は、久しぶりに家族が揃っていた。
「おはようございます、父上、母上」
「おはよう、レオン」
母上が、優しく微笑んだ。
「よく眠れた?」
「はい」
「そう。それなら良かったわ」
父上は、新聞から顔を上げた。
「レオン」
「はい、父上」
「昨日の学園の報告を読んだ」
……。
俺は、少し身構えた。
「……何か問題が?」
「いや」
父上は、静かに首を振った。
「合同実技演習で、魔導人形三体を無傷で停止させたそうだな」
「……はい」
「しかも、破壊せずに」
「……修理費がかかると思ったので」
……。
沈黙。
そして。
「……ふっ」
父上が、笑った。
「お前らしいな」
母上も、楽しそうに笑った。
「本当に。普通は、そこまで考えないものよ」
「……そうでしょうか?」
「ええ」
母上は、紅茶を一口飲んだ。
「でも、そういうところが、あなたの良いところね」
……。
少し、照れくさい。
そのとき。
「レオン兄様!」
ルシウスが、元気よく声を上げた。
「僕も、早く兄様みたいに魔法を使えるようになりたいです!」
「……ルシウス」
俺は、苦笑した。
「まだ無理しちゃ駄目だよ」
「……分かってます」
ルシウスは、少しだけ頬を膨らませた。
「でも、もう痛くないんですよ?」
「痛くなくても、完全に治ったとは限らないから」
「……はい」
その隣で。
シャル姉が、静かに微笑んだ。
「……レオン、ありがとう」
「……何が?」
「ルシウスのことも、私のことも、いつも気にかけてくれて」
……。
彼女は、少しだけ視線を落とした。
「……あの事故のとき、本当に怖かったの」
……。
俺は、黙って彼女の言葉を聞いた。
「……でも、レオンが来てくれた」
シャル姉は、顔を上げた。
「……だから、今こうして笑っていられる」
……。
俺は、静かに頷いた。
「……もう、あんな思いはさせたくない」
その言葉に、母上の表情が柔らかくなった。
父上も、静かに頷いた。
◇
食事が進むにつれて、話題は少しずつ明るいものへ変わっていった。
「そういえば、レオン」
母上が、突然口を開いた。
「……はい?」
「最近、随分と女の子に人気があるそうね?」
……。
俺は、飲んでいた紅茶を危うく吹き出しそうになった。
「……母上!?」
母上は、楽しそうに笑った。
「セレスティア殿下に、リゼットさん、エリシアさん」
……。
「それに、シャルロットもね」
「……お、お母様!」
シャル姉が、真っ赤になった。
母上は、さらに微笑んだ。
「ふふっ。隠さなくてもいいのよ?」
……。
父上は、黙って紅茶を飲んでいた。
だが。
口元が、わずかに緩んでいる。
……父上まで。
「……レオン」
シャル姉が、小さな声で呼んだ。
「……何?」
「……昨日、約束したでしょう?」
……。
俺は、思い出した。
皆と、ちゃんと時間を作る。
そう約束したんだった。
「……もちろん、覚えてるよ」
シャル姉の表情が、ぱっと明るくなった。
「……本当?」
「ああ」
「……じゃあ、今度は私と庭園を歩いてね」
「うん。いいよ」
……。
その瞬間。
母上が、嬉しそうに手を合わせた。
「まあ!」
……。
俺は、嫌な予感がした。
「……母上?」
「ふふっ。何でもないわ」
……絶対に、何でもなくない。
◇
朝食後。
俺は、屋敷の廊下を歩いていた。
その隣には、エレノアがいる。
「……賑やかな朝でしたね」
「……そうだな」
俺は、苦笑した。
「母上には、敵わないよ」
エレノアは、静かに微笑んだ。
「……奥様は、レオン様の幸せを願っておられるのです」
「……分かってる」
少し歩いたところで、エレノアが足を止めた。
「……レオン様」
「……ん?」
「……先ほどのお誘いですが」
……。
俺は、彼女を見た。
「街へ行く話?」
「……はい」
エレノアは、少しだけ頬を赤くした。
「……本当に、私でよろしいのでしょうか?」
……。
俺は、思わず笑った。
「何言ってるんだよ」
そして。
「エレノアだから、誘ったんだ」
……。
その瞬間。
彼女の青い瞳が、大きく見開かれた。
「……レオン様」
「いつも、俺のことを支えてくれてるだろ?」
俺は、静かに続けた。
「だから、たまには俺にも何かさせてほしい」
……。
エレノアは、しばらく何も言わなかった。
やがて。
小さく、微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その声は、少しだけ震えていた。
「……私、楽しみにしております」
……。
俺は、頷いた。
「俺もだよ」
窓の外では、冬の陽光が庭園を照らしていた。
穏やかな朝。
家族の笑顔。
そして。
いつも隣にいてくれる少女。
……こういう時間を、守っていきたい。
俺は、改めてそう思った。




