第121話 奪われた主役の座――勇者候補の歪んだ決意
王国暦八二二年、新春月十三日。
王立アストレア学園。
冬の冷たい風が、中庭の木々を揺らしていた。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、授業を終えて魔導研究棟へ向かっていた。
昨日の合同実技演習は、思っていた以上に注目を集めたらしい。
廊下ですれ違う生徒たちから、何度も声をかけられた。
「レオンハルト様、昨日の演習、素晴らしかったです!」
「七属性の魔法陣、本当に綺麗でした!」
「また見せてください!」
……少し、照れくさい。
俺としては、ただ課題をこなしただけなんだけどな。
「相変わらず人気者だな、お前」
隣を歩くカイルが、呆れたように笑った。
「そんなことないだろ」
「いや、あるだろ」
カイルは肩をすくめた。
「昨日の演習の話、学園中でしてるぞ」
「……そうなのか?」
「そうなのか、じゃねえよ」
カイルは、俺の肩を軽く叩いた。
「お前、自分がどれだけ規格外なのか、もう少し自覚しろ」
……。
俺は、苦笑するしかなかった。
◇
魔導研究棟。
研究室の扉を開くと、リゼットが机に向かっていた。
「……レオンハルト様!」
俺の姿を見た瞬間、彼女の表情が明るくなる。
「こんにちは、リゼット」
「……お待ちしていました」
机の上には、昨日の演習で使用された魔導人形の記録が並んでいた。
魔力波形。
属性反応。
魔導核の停止時間。
そして、七属性の魔力循環を示す複雑な図面。
「……昨日の演習について、少しお聞きしたいことがあるんです」
「もちろん」
俺は、椅子へ腰を下ろした。
リゼットは、一枚の記録紙を差し出した。
「……ここです」
彼女が指差したのは、七属性を同時展開した瞬間の魔力波形だった。
「……通常、複数属性を同時に扱うと、魔力同士が干渉して波形が乱れます」
「うん」
「ですが、レオンハルト様の魔力は……」
リゼットは、少し興奮した様子で続けた。
「……七つの波形が、完全に調和しているんです」
俺は、記録を眺めた。
……なるほど。
確かに、綺麗に重なっている。
「……属性ごとに流す魔力の量を調整しているからかな」
「……それだけでは説明できません」
リゼットは、真剣な表情になった。
「魔力の流れを、常に微調整しているはずです」
「……まあ、そうだね」
「……やっぱり」
彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「レオンハルト様は、本当にすごいです」
……。
俺は、少し照れくさくなった。
「リゼットの研究があるから、俺も色々試せるんだよ」
「……え?」
「一人だったら、ここまで細かく考えなかったと思う」
俺は、素直にそう伝えた。
「いつもありがとう」
その瞬間。
リゼットの頬が、赤く染まった。
「……そ、そんな」
彼女は、慌てて視線を落とした。
「……私の方こそ、ありがとうございます」
……。
その左手には、見覚えのある紫水晶が輝いていた。
俺は、自分の手首にある銀のブレスレットへ視線を落とした。
リゼットが贈ってくれた、大切な品だ。
「これも、ずっと使ってるよ」
俺がブレスレットを見せると、彼女はさらに顔を赤くした。
「……嬉しいです」
その声は、小さかった。
だが。
とても幸せそうだった。
◇
昼休み。
学園の中庭。
セレスティア、エリシア、シャル姉が、テーブルを囲んでいた。
「……レオン!」
セレスティアが、こちらへ手を振った。
「こっちよ!」
「お待たせ」
俺が席へ着くと、エリシアが微笑んだ。
「お疲れさまです、レオン様」
「ありがとう」
シャル姉は、少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「……レオン、最近忙しすぎない?」
「そうかな?」
「そうよ」
彼女は、腕を組んだ。
「昨日も演習だったし、今日はリゼットと研究でしょう?」
「まあ、そうだけど」
「……私とも、ちゃんと時間を作ってほしいな」
……。
その言葉に、セレスティアが反応した。
「あら、シャルロット」
「……何?」
「レオンと過ごしたいのは、私も同じよ?」
……。
二人の視線が、静かに交差した。
エリシアが、困ったように微笑んだ。
「……あの、お二人とも」
だが。
彼女も、少しだけ頬を赤くして続けた。
「……私も、レオン様とお話しする時間が欲しいです」
……。
俺は、思わず苦笑した。
「……分かったよ」
三人が、こちらを見る。
「皆と、ちゃんと時間を作る」
……。
セレスティアの表情が、柔らかくなった。
「……約束よ?」
「ああ」
シャル姉が、嬉しそうに笑った。
「……絶対だからね、レオン」
エリシアも、静かに頷いた。
「……楽しみにしています」
……。
何だろう。
最近、こういう場面が増えた気がする。
でも。
皆の気持ちを、軽く扱うつもりはない。
冬の夜会で、俺は気づいた。
彼女たちが、俺を特別な存在として見てくれていることに。
だからこそ。
曖昧な言葉で、誤魔化したくはなかった。
◇
その頃。
中庭の反対側。
カイン・ヴェルナーは、遠くからその光景を見つめていた。
……。
「……ふざけんなよ」
低い声だった。
セレスティア。
エリシア。
そして、シャルロット。
さらに、研究棟ではリゼットまで。
本来なら、勇者である自分と深い関係を築くはずだった少女たち。
その全員が。
レオンハルトを中心に、笑っている。
――何でだよ。
――何で、あいつなんだ。
カインは、拳を握り締めた。
昨日の演習も、忘れられない。
自分は一体の魔導人形を倒すだけでも苦戦した。
追加課題では、出力を抑えられず失格になった。
それなのに。
レオンハルトは、三体を相手に無傷で勝利した。
しかも。
魔導人形を壊すことなく、正確に停止させていた。
……。
認めたくなかった。
だが、実力差は明白だった。
「……くそっ」
カインは、歯を食いしばった。
――でも、俺は知ってる。
――この世界の物語を。
前世で遊んだゲーム。
『エターナル・レガリア』。
そこには、まだ多くの秘密が存在する。
隠された魔導具。
特殊な訓練場所。
そして。
通常のプレイでは発見しにくい、強力な装備。
カインは、ゆっくりと顔を上げた。
「……そうだ」
彼の口元が、歪んだ。
「……まだ、方法はある」
ゲームの知識。
それこそが、自分だけの武器だった。
――レオンハルトが、どれだけ強くなっていようと。
――俺には、先の展開が分かる。
カインは、静かに笑った。
「……待ってろよ」
その瞳には、危うい光が宿っていた。
◇
放課後。
王立アストレア学園、生徒会室。
フィオナ・エルグランデは、机の上に置かれた報告書を読んでいた。
そこには、昨日の合同実技演習について記されていた。
カイン・ヴェルナー。
標準課題達成。
追加課題失格。
理由、魔法出力制限違反。
周囲への危険行為あり。
……。
フィオナは、静かに息を吐いた。
「……困ったものね」
彼女は、報告書を閉じた。
「才能はあるのに、規則を軽視している」
そのとき。
扉が、軽く叩かれた。
「どうぞ」
入ってきたのは、レオンハルトだった。
「フィオナ会長、少しいいですか?」
「ええ、もちろん」
フィオナは、椅子を勧めた。
「ちょうど、あなたに相談したいことがあったの」
「……カインのことですか?」
フィオナが、少し驚いた表情を見せた。
「……分かるのね」
「昨日の演習を見ていたので」
俺は、静かに頷いた。
「彼は、強くなろうとする意欲があると思います」
「……ええ」
「ただ、焦っているようにも見えました」
フィオナは、少し考え込んだ。
「……あなたは、彼をどう思う?」
俺は、しばらく沈黙した。
カインの態度は、確かに問題がある。
だが。
才能があることも、事実だった。
「……まだ、分かりません」
俺は、正直に答えた。
「でも、最初から悪い人間だと決めつけたくはないです」
……。
フィオナは、静かに微笑んだ。
「……あなたらしい答えね」
「そうでしょうか?」
「ええ」
彼女は、報告書へ視線を落とした。
「ただし、学園としては、規則を守らせなければならないわ」
「もちろんです」
俺は、頷いた。
「誰かが怪我をしてからでは、遅いですから」
……。
その言葉に、フィオナの表情が少し柔らかくなった。
「……そうね」
◇
その夜。
男子寮。
カインは、机の上に古い地図を広げていた。
王都周辺の地形。
森。
遺跡。
そして、王国の西方にある古い地下神殿。
「……ここだ」
カインは、指先で一か所を叩いた。
――《忘却の神殿》。
ゲームでは、序盤に訪れることもできる隠しダンジョン。
通常の攻略では見逃されやすい場所だった。
だが。
そこには、強力な魔導具が眠っている。
カインは、前世の記憶を辿った。
――確か、入口の封印は火属性で解除できたはずだ。
――奥には、特殊な剣がある。
ゲームの中では、勇者が手に入れることで攻撃力が大幅に上昇する装備だった。
「……これさえあれば」
カインは、笑った。
「……あいつとの差も、縮まるはずだ」
……。
だが。
彼は知らなかった。
この世界が、ゲームと完全に同じではないことを。
そして。
ゲームの中では、ただの装備品として扱われていたものが。
現実の世界でも、安全な存在とは限らないことを。
カインは、地図を折りたたんだ。
「……見てろよ、レオンハルト」
窓の外には、冷たい月が浮かんでいた。
「……俺が、本当の主人公だって証明してやる」
その言葉は、誰にも届かなかった。
だが。
新たな事件の歯車は。
静かに、動き始めていた。




