第117話 勇者候補の傲慢――悪役公爵令息との邂逅
第117話 勇者候補の傲慢――悪役公爵令息との邂逅
王国暦八二二年、新春月十日。
王立アストレア学園。
冬の冷たい空気が、学園の中庭を包んでいた。
新学期を迎えた生徒たちは、久しぶりに顔を合わせ、楽しそうに言葉を交わしている。
そんな中。
一人の少年が、正門の前に立っていた。
カイン・ヴェルナー。
新たな勇者候補として、特別編入を認められた少年だった。
「……ここが、王立アストレア学園か」
カインは、巨大な校舎を見上げた。
白い石造りの建物。
整備された庭園。
そして、中央にそびえる魔導塔。
その景色は、彼の記憶にあるゲームの学園と、ほとんど同じだった。
「……ははっ」
思わず笑みが漏れる。
――ついに来た。
――ここから、俺の英雄譚が始まるんだ。
カインは、堂々と正門をくぐった。
◇
学園本館。
生徒会室。
「……新たな勇者候補?」
フィオナ・エルグランデは、机の上の書類を確認していた。
隣には、セレスティアとリゼット。
そして、エリシアの姿もあった。
「ええ」
フィオナは、静かに頷いた。
「神託院から、正式な通知が届いているわ」
セレスティアが、少しだけ眉をひそめた。
「……アルベルトの件が、まだ完全には終わっていないのに」
「だからこそ、慎重に対応する必要があるわね」
フィオナは、書類を閉じた。
「今回の候補者は、あくまで条件付きの編入生よ」
リゼットが、静かに頷いた。
「……勇者候補だからといって、特別扱いはできませんね」
「その通りよ」
フィオナは、きっぱりと言った。
「学園の規則は、すべての生徒に平等に適用する」
そのとき。
扉が、勢いよく開いた。
「おっ、ここか!」
……。
四人の視線が、扉へ向いた。
そこには、赤みを帯びた黒髪の少年が立っていた。
カイン・ヴェルナー。
「……失礼ですが」
フィオナが、静かに口を開いた。
「どちら様でしょうか?」
「俺はカイン・ヴェルナー!」
少年は、胸を張った。
「新しく編入してきた勇者候補だ!」
……。
フィオナの表情は、変わらなかった。
「……そうですか」
そして。
「まず、入室の際にはノックをしてください」
「……は?」
カインは、目を瞬かせた。
「いや、俺は勇者候補なんだけど?」
「承知しています」
フィオナは、淡々と答えた。
「ですが、学園の規則に例外はありません」
……。
カインの口元が、引きつった。
――何だよ、この反応。
ゲームでは、勇者候補が現れれば、生徒会も特別に歓迎してくれたはずだ。
それなのに。
「……まあ、いいや」
カインは、気を取り直した。
そして。
部屋の中を見渡した。
……いた。
セレスティア・ルミナス。
淡い金髪。
美しい青い瞳。
ゲームの中で何度も見た、第一王女。
カインの表情が、一瞬で明るくなった。
「……君が、セレスティアだね?」
セレスティアは、少し驚いたように彼を見た。
「……ええ」
「やっぱり!」
カインは、嬉しそうに笑った。
「噂通り、すごい美人だな!」
……。
セレスティアは、静かに瞬きをした。
「……ありがとうございます」
「俺、君と仲良くなりたいんだ!」
カインは、一歩近づいた。
「今度、一緒に街へ行かないか?」
……。
リゼットが、少し驚いたように顔を上げた。
エリシアも、静かにカインを見つめた。
セレスティアは、丁寧に答えた。
「……申し訳ありませんが、予定がありますので」
「え?」
カインは、目を瞬かせた。
「……いや、でも」
「それに」
セレスティアは、静かに続けた。
「私たちは、まだ初対面です」
……。
「まずは、学園の一員として、互いを知るところから始めましょう」
その言葉に。
カインは、少しだけ顔を引きつらせた。
――何だよ。
――こんな反応、ゲームにはなかったぞ。
◇
「……じゃあ」
カインは、すぐに視線を移した。
「君が、リゼット・クローディア?」
リゼットが、少し驚いたように顔を上げた。
「……はい」
「天才魔導師なんだろ?」
「……そう呼ばれることもありますが」
カインは、得意げに笑った。
「俺も魔法は得意なんだ。今度、一緒に研究しようぜ!」
……。
リゼットは、少し困ったように微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「おっ、いいね!」
「ですが」
彼女は、静かに続けた。
「現在、共同研究の予定はありませんので」
……。
カインの表情が、固まった。
「……え?」
「申し訳ありません」
リゼットは、丁寧に頭を下げた。
「今は、進めたい研究がありますので」
……。
――何だよ。
――リゼットまで?
カインは、内心で舌打ちした。
そして。
最後の一人へ視線を向けた。
エリシア・フィオーレ。
聖女。
ゲームでは、優しく包容力のあるヒロインだった。
――こいつなら、絶対に大丈夫だ。
カインは、そう確信した。
「……君が、エリシアだね?」
「はい」
エリシアは、穏やかに微笑んだ。
「初めまして、カイン様」
「俺、勇者候補なんだ!」
「存じ上げています」
「だったら、俺と一緒に行動した方がいいと思うんだ!」
……。
エリシアは、静かに首を傾げた。
「……どうしてでしょうか?」
「だって、勇者と聖女って、相性いいだろ?」
……。
その瞬間。
エリシアの微笑みが、ほんの少しだけ変わった。
「……カイン様」
「ん?」
「私は、誰かの肩書きだけで、行動を決めるつもりはありません」
……。
「大切なのは、その方がどのような心を持っているかです」
カインは、言葉に詰まった。
「……そ、そうか」
――何だよ、こいつら。
――全然、攻略イベントが始まらないじゃないか。
カインは、苛立ちを隠せなかった。
◇
その頃。
学園の訓練場。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、カイルと模擬戦をしていた。
「……行くぞ、レオン!」
「来い!」
カイルが、地面を蹴った。
鋭い踏み込み。
剣先が、一直線に俺の肩口へ迫る。
俺は、半歩だけ身体をずらした。
刃が、わずかに空を切る。
その瞬間。
俺は、木剣を軽く振り上げた。
乾いた音。
カイルの剣が、上へ弾かれた。
「……くっ!」
カイルは、すぐに体勢を立て直した。
だが。
俺の木剣は、すでに彼の胸元へ向けられていた。
「……そこまで」
カイルは、大きく息を吐いた。
「……相変わらず、化け物だな」
「……褒め言葉として受け取っておくよ」
俺は、苦笑した。
「いや、褒めてるんだよ」
カイルは、笑った。
「でも、前よりさらに動きが無駄なくなってるな」
「……そうか?」
「ああ」
彼は、真剣な表情になった。
「力で押し切るだけじゃなくて、相手の動きを読んでる」
俺は、静かに頷いた。
「……強い相手ほど、無駄な動きは命取りになるからな」
そのとき。
訓練場の入口から、声が響いた。
「……レオン!」
振り向くと、セレスティアが立っていた。
その後ろには、リゼットとエリシア。
そして。
見慣れない少年が、一人。
赤みを帯びた黒髪。
鋭い金色の瞳。
……誰だ?
俺は、首を傾げた。
「……セレス?」
「少し、紹介したい人がいるの」
彼女は、少年へ視線を向けた。
「新しく編入してきた、勇者候補のカイン・ヴェルナーさんよ」
……勇者候補。
その言葉に、俺は少しだけ驚いた。
アルベルトの件があったばかりだ。
まさか、こんなに早く新たな候補者が現れるとは。
「……初めまして」
俺は、静かに頭を下げた。
「レオンハルト・ヴァルディスです」
だが。
少年は、俺を見た瞬間。
表情を変えた。
「……お前が」
……?
「……レオンハルト・ヴァルディス?」
「……そうだけど」
カインは、俺を睨みつけた。
その瞳には、明らかな敵意があった。
……何だ?
初対面のはずだよな。
「……ふん」
カインは、鼻で笑った。
「思ったより、普通の顔してるじゃないか」
……。
カイルが、眉をひそめた。
「……おい」
だが、俺は手で制した。
「……何か、俺に用かな?」
カインは、得意げに笑った。
「あるさ」
そして。
「俺は、新しい勇者候補だ」
……。
「つまり、これからこの学園の中心になる男ってことだ」
……。
俺は、少しだけ首を傾げた。
「……そうなのか?」
「……は?」
カインが、目を瞬かせた。
「いや、もっと驚けよ!」
「……いや」
俺は、苦笑した。
「勇者候補って、別に学園の中心になる役職じゃないだろ?」
……。
カイルが、吹き出した。
「……ぶっ!」
カインの顔が、赤くなった。
「……なっ!」
俺は、静かに続けた。
「もちろん、勇者候補として努力するのは立派だと思う」
……。
「でも、学園では皆、同じ生徒だからな」
その言葉に。
セレスティアが、微笑んだ。
リゼットも、静かに頷いた。
エリシアも、穏やかに微笑んでいた。
だが。
カインの表情は、ますます険しくなっていた。
――何だよ、こいつ。
――悪役のくせに、偉そうに説教しやがって。
そして。
何より。
――何で、セレスティアたちがこいつの味方みたいな顔してるんだ?
カインは、拳を握り締めた。
「……おい、レオンハルト」
「……ん?」
「お前、強いんだってな?」
「……まあ、多少は」
カイルが、再び吹き出した。
「……多少ってレベルじゃないだろ」
カインは、苛立ったように言った。
「だったら、俺と勝負しろよ!」
……。
訓練場が、静まり返った。
「……勝負?」
俺は、首を傾げた。
「何のために?」
「決まってるだろ!」
カインは、胸を張った。
「どっちが強いか、はっきりさせるためだ!」
……。
俺は、しばらく彼を見つめた。
そして。
静かに答えた。
「……悪いけど、断るよ」
「……は?」
「初対面で、いきなり勝負する理由がないからな」
……。
カインの顔が、引きつった。
「……逃げるのか?」
俺は、少しだけ眉をひそめた。
「……そういう話じゃないだろ」
カインは、さらに一歩踏み出した。
「勇者候補の俺に、負けるのが怖いんだろ!」
……。
その瞬間。
周囲の空気が、少しだけ冷たくなった。
カイルが、呆れたようにため息をつく。
セレスティアも、表情を引き締めた。
「……カインさん」
彼女は、静かに言った。
「そのような言い方は、失礼です」
「……え?」
カインが、振り向いた。
「セレスティア?」
「レオンは、あなたに何もしていません」
……。
「それなのに、なぜそんな態度を取るのですか?」
カインは、言葉に詰まった。
「……いや、それは」
リゼットも、静かに口を開いた。
「……レオンハルト様は、学園の皆さんを守ってくださった方です」
エリシアも、頷いた。
「私たちは、そのことをよく知っています」
……。
カインは、三人を見つめた。
――何だよ。
――何なんだよ、これ。
本来なら。
勇者が現れれば、ヒロインたちは興味を示すはずだった。
悪役公爵令息を嫌い、勇者を頼るはずだった。
それなのに。
今、彼女たちは。
レオンハルトを守るように、彼の前に立っている。
カインは、歯を食いしばった。
「……分かったよ」
低い声だった。
「今日は、引いてやる」
そして。
レオンハルトを睨みつけた。
「……でも、覚えてろよ」
……。
「俺が、本当の勇者だってことを、必ず証明してやる」
そう言い残し、カインは訓練場を後にした。
◇
カインの姿が見えなくなった後。
カイルが、大きく息を吐いた。
「……何だったんだ、あいつ」
「……さあ」
俺は、首を傾げた。
「初対面なのに、随分嫌われたみたいだな」
セレスティアが、少し困ったように微笑んだ。
「……気にしなくていいわ」
リゼットも、頷いた。
「……レオンハルト様は、何も悪くありません」
エリシアは、静かに言った。
「……ただ、少し心配ですね」
俺は、彼女を見た。
「……何が?」
「……あの方、自分の立場に強くこだわっているようでしたから」
……。
確かに。
勇者候補という肩書きを、何度も強調していた。
だが。
「……まあ、これから変わるかもしれないしな」
俺は、静かに答えた。
「最初から、決めつける必要はないだろ」
その言葉に。
三人は、少しだけ驚いたように俺を見つめた。
そして。
セレスティアが、微笑んだ。
「……本当に、あなたらしいわね」
……。
俺は、少しだけ苦笑した。
「……そうかな」
◇
その日の夕方。
学園の外れ。
カインは、一人で歩いていた。
「……くそっ!」
石畳を、強く蹴る。
「何なんだよ、あいつ!」
レオンハルト・ヴァルディス。
ゲームでは、勇者に倒される悪役だったはずの男。
それなのに。
今では、王国の英雄として称賛され。
ヒロインたちからも、信頼されている。
……おかしい。
絶対に、おかしい。
「……何か、裏があるはずだ」
カインは、拳を握り締めた。
「悪役が、あんなにいい奴なわけない」
……。
「絶対に、化けの皮を剥がしてやる」
その瞳には、強い執着が宿っていた。
そして。
彼は、まだ知らない。
レオンハルト・ヴァルディスが、どれほどの力を持っているのか。
七属性を自在に操る魔導師。
剣術と体術にも優れた戦士。
そして。
《無限神力》という、常識を超えた力を宿す存在。
カインが、勇者としての自分に酔いしれている間にも。
レオンハルトは、静かに強くなり続けていた。
その実力差は。
もはや、単なる才能の違いではなかった。




