第116話 新たなる勇者候補――物語を知る少年
第三章 運命を奪われた勇者
――英雄とは、誰が決めるものなのか。
かつて、悪役として破滅するはずだった公爵令息レオンハルト・ヴァルディス。
しかし、彼は定められた運命に抗い、大切な人々を守り抜いた。
その圧倒的な力と揺るぎない優しさは、いつしか人々の心を動かし、王国からも正式に認められるようになっていた。
家族との穏やかな日々。
信頼できる仲間たち。
そして、少しずつ形を変え始めた少女たちの恋心。
レオンハルトが手に入れたのは、かつての物語には存在しなかった未来だった。
だが、その一方で。
本来、世界を救うはずだった勇者は失脚し、物語には大きな空白が生まれていた。
そして今、新たな勇者候補が王都へと招かれる。
彼は知らない。
自分が思い描く英雄の物語が、すでに大きく書き換えられていることを。
少女たちの心も。
人々の信頼も。
そして、世界が歩む未来さえも。
もはや、誰かのために用意されたものではない。
それでもなお、勇者の座に執着する者が現れたとき――。
二つの運命が、交錯する。
これは、英雄になるはずだった少年と、悪役になるはずだった少年の物語。
そして。
本当の英雄とは何かを、世界が知る物語である。
第三章――『運命を奪われた勇者』
開幕。
第116話 新たなる勇者候補――物語を知る少年
王国暦八二二年、新春月五日。
王国西部、グランゼルの街。
冒険者ギルドの訓練場に、乾いた衝撃音が響いた。
「――《紅蓮斬》!」
少年の振るった剣から赤い魔力が噴き出し、訓練用の木人を斜めに切り裂いた。
切断面から煙が上がる。
「おおっ!」
周囲の冒険者たちから歓声が上がった。
「相変わらずすげえな、カイン!」
「十六歳であれだけ魔力を剣に乗せられるのかよ!」
少年は剣を肩に担ぎ、得意げに笑った。
カイン・ヴェルナー。
十六歳。
赤みを帯びた黒髪に、鋭い金色の瞳。
グランゼルの街で冒険者見習いとして活動する少年だった。
「まあな。俺は、その辺の冒険者とは違うからな」
カインは、当然のように言い放った。
実際、彼には才能があった。
剣術の習得は早く、火属性魔法との組み合わせも巧みだ。
同年代の冒険者見習いなら、彼に勝てる者はほとんどいない。
だが。
彼が自分を特別だと信じる理由は、それだけではなかった。
――俺は、この世界を知っている。
カインは、剣を鞘へ収めながら笑った。
――だって、ここは俺が遊んでいたゲームの世界なんだからな。
そのゲームの名は。
『エターナル・レガリア』。
かつて、別の世界で夢中になって遊んだ恋愛要素のあるファンタジーRPG。
主人公である勇者が王立アストレア学園へ入学し、仲間を集め、ヒロインたちとの絆を深めながら世界の危機に立ち向かう物語だった。
そして。
その世界には、勇者の前に立ちはだかる悪役が存在した。
レオンハルト・ヴァルディス。
傲慢で、冷酷で、ヒロインたちを苦しめる公爵令息。
――あいつは最後に勇者に負ける。
カインは、そう信じていた。
――だったら、俺が主人公になればいい。
彼は、この世界へ生まれ変わったと気づいたときから、そう考えていた。
前世の知識を利用する。
効率よく強くなる。
そして、ゲームに登場した美少女たちを自分の仲間にする。
勇者として名声を手に入れ、誰からも称賛される。
それが、カインの思い描く未来だった。
「……くくっ」
思わず笑みが漏れる。
――セレスティア王女。
――天才魔導師リゼット。
――聖女エリシア。
彼女たちの名前を思い浮かべるだけで、胸が高鳴った。
「……待ってろよ」
カインは、小さく呟いた。
「今度こそ、俺が全部手に入れてやる」
そのときだった。
「カイン・ヴェルナー殿!」
ギルドの受付から、職員の声が響いた。
「王都から、あなた宛てに正式な書状が届いています!」
カインは、勢いよく振り向いた。
「……来たか!」
◇
書状には、王国神託院の紋章が刻まれていた。
封を開く。
そこに記されていたのは、新たな勇者候補としての適性審査への招集だった。
『勇者適性第二位、カイン・ヴェルナー』
『先任候補の資格喪失に伴い、王都における追加審査への参加を命ずる』
『審査結果により、王立アストレア学園への特別編入を認める場合がある』
カインの口元が、大きく吊り上がった。
「……ははっ!」
やはり。
やはり、自分は選ばれたのだ。
ゲームでは、勇者候補の選抜を経て学園へ入ることが、物語の重要な転機だった。
――少し予定と違うけど、問題ない。
カインは、書状を握り締めた。
――勇者候補が失脚したなら、その席に俺が座るだけだ。
ただ、一つ気になることがあった。
本来のゲームでは、勇者がこの時期に資格を失う展開など存在しなかった。
「……まあ、いいか」
カインは、すぐに考えるのをやめた。
多少の違いは、物語の進行に影響しない。
そう決めつけた。
彼は知らなかった。
王都では、すでに物語の中心が大きく変わっていることを。
そして。
悪役として倒されるはずだった少年が、王国中から英雄として称賛され始めていることを。
◇
新春月八日。
王都ルミナス。
巨大な城壁の向こうに、白亜の王城がそびえていた。
「……ここが王都か」
カインは、馬車から降りた。
大通りには商人や騎士が行き交い、魔導灯が整然と並んでいる。
街の中央には、王立アストレア学園の尖塔が見えた。
「……懐かしいな」
初めて訪れた場所のはずなのに、見覚えがある。
ゲームの背景と、よく似ていた。
――あの学園に、セレスティアたちがいる。
そう思うと、自然に足が速くなった。
だが、神託院へ向かう途中。
カインは、奇妙な会話を耳にした。
「そういえば、ヴァルディス公爵家のご令息がまた表彰されたそうね」
「ああ、レオンハルト様だろう?」
「先日の魔導演習事故でも、大勢の生徒を救ったんですって」
「本当に立派な方ね」
……。
カインは、足を止めた。
「……は?」
聞き間違いかと思った。
レオンハルト。
ヴァルディス公爵家。
その名前を、間違えるはずがない。
――悪役のレオンハルトが、英雄?
カインは、眉をひそめた。
「……何言ってんだ、あいつら」
ゲームのレオンハルトは、嫌われ者だった。
横暴で、傲慢で、ヒロインたちからも拒絶される存在だったはずだ。
それなのに。
「レオンハルト様のおかげで、学園も変わるそうよ」
「セレスティア殿下とも仲がよろしいらしいわ」
その言葉に、カインの表情が険しくなった。
「……セレスティアと?」
……おかしい。
何かが、おかしい。
だが。
カインは、すぐに自分へ言い聞かせた。
――どうせ、貴族が金と権力で評判を買ってるだけだろ。
――本性を暴いてやれば、全部元に戻る。
彼は、そう考えた。
それがどれほど危険な思い込みなのか。
まだ、理解していなかった。
◇
神託院。
白い石造りの建物の奥で、カインは数名の審査官と向かい合っていた。
「カイン・ヴェルナー」
年配の神官が、静かに口を開いた。
「そなたには、勇者候補として高い適性が認められている」
「当然だろ」
カインは、胸を張った。
神官の眉が、わずかに動く。
「……ただし、適性があることと、勇者として認められることは別だ」
「分かってるって」
カインは、軽く手を振った。
「要するに、試験で強さを見せればいいんだろ?」
「……強さだけではない」
神官は、厳しい声で続けた。
「勇者に求められるのは、責任感、節度、そして他者を守る意思だ」
カインは、内心で舌打ちした。
――説教かよ。
――どうせ、最後は実力がすべてだろ。
だが、表面上は笑みを浮かべた。
「分かってるよ。任せとけ」
審査官たちは、互いに視線を交わした。
その後、魔力測定と剣術試験が行われた。
カインの魔力量は、同年代の平均を大きく上回っていた。
剣術も、決して悪くない。
火属性魔法との連携も優秀だった。
「……なるほど」
審査官の一人が、記録を確認した。
「技量は、確かに高い」
カインは、得意げに笑った。
「だろ?」
しかし。
「……ただし、魔力制御に粗さがある」
「……は?」
「攻撃に偏りすぎている。周囲への配慮も不十分だ」
カインの顔が、引きつった。
「……何だよ、それ」
「実戦では、味方を守る判断も必要になる」
神官は、静かに言った。
「今後の訓練で改善しなさい」
カインは、不満そうに口を閉じた。
……だが。
最終的に、彼は条件付きで学園への特別編入を認められた。
勇者候補としての資格は、まだ仮のもの。
正式な認定には、今後の審査と実績が必要だった。
それでも。
カインにとっては、十分だった。
――これで、学園に入れる。
――ようやく、俺の物語が始まる。
彼は、そう信じていた。
◇
その夜。
王都の宿屋。
カインは、窓から学園の尖塔を見つめていた。
「……セレスティア」
小さく呟く。
「……リゼット」
そして。
「……エリシア」
ゲームの中で、何度も見た少女たち。
それぞれの攻略条件も、好感度イベントも、覚えている。
――最初はセレスティアからだな。
――王女を落とせば、周囲の評価も一気に上がる。
カインは、満足げに笑った。
その脳裏に、昼間聞いた名前が浮かんだ。
レオンハルト・ヴァルディス。
――悪役は悪役らしくしてろよ。
カインは、窓を閉めた。
――主人公の席は、俺のものなんだからな。
だが。
その頃、王立アストレア学園では。
一人の公爵令息が、仲間たちと穏やかな時間を過ごしていた。
誰かを支配するためではなく。
誰かを救うために。
その力を磨き続ける少年。
レオンハルト・ヴァルディス。
カインは、まだ知らない。
自分がこれから出会う相手が。
ゲームの知識など、何の役にも立たないほどの存在になっていることを。
そして。
彼が思い描く「主人公の物語」が。
すでに、別の未来へと歩み始めていることを。




