第111話 学園の英雄――悪役公爵令息と呼ばれた少年
第111話 学園の英雄――悪役公爵令息と呼ばれた少年
王国暦八二一年、冬月十八日。
王立アストレア学園。
朝の中央広場は、いつも以上に賑わっていた。
掲示板の前に、大勢の生徒が集まっている。
「……これ、本当なのか?」
「王国司法庁の正式な発表だって」
「じゃあ、今までの噂は……」
生徒たちの視線が、一枚の公示文へ集まっていた。
そこには、先日の魔導演習事故に関する調査結果が記されていた。
安全装置の不正改修。
警告の黙殺。
魔導記録の改ざん。
そして、無許可の魔力増幅装置起動。
関係者の処分内容も、正式に公表されていた。
ただし、司法審理が継続している事項については、確定していない罪まで断定しない形で整理されていた。
その中に、一人の少年の名があった。
レオンハルト・ヴァルディス。
彼は、事故の原因ではない。
むしろ、危険な状況下で救助活動を行い、被害の拡大を防いだ人物として記されていた。
「……レオンハルト様が、二人を助けたんだな」
「ああ。それも、かなり危険な状態だったらしい」
「……俺、前にあの人のこと、怖い奴だと思ってた」
「私も」
小さな声が、あちこちから聞こえた。
だが。
その空気は、以前とは違っていた。
恐れ。
警戒。
そして、根拠の曖昧な噂。
それらが、少しずつ薄れていく。
代わりに生まれていたのは。
尊敬と、信頼だった。
◇
同日。
生徒会室。
「……随分、変わりましたね」
リゼットが、窓の外を見つめながら呟いた。
生徒会長フィオナ・エルグランデは、机の上の書類へ目を落としていた。
「ええ」
彼女は、静かに頷いた。
「以前なら、レオンハルト様についての意見書は、苦情が中心だったわ」
「……今は違いますね」
「そうね」
フィオナは、一通の手紙を手に取った。
『レオンハルト様に、魔法の指導をお願いしたいです』
別の手紙。
『先日の救助活動に感謝しています』
さらに。
『これまで、根拠のない噂を信じてしまっていました。申し訳ありません』
フィオナは、深く息を吐いた。
「……人の評価というものは、簡単に変わるのね」
リゼットは、少しだけ首を振った。
「……レオンハルト様が変わったというより」
「……?」
「皆が、ようやく本当の姿を知ったのだと思います」
その言葉に、フィオナは微笑んだ。
「……あなたは、最初から彼を信じていたものね」
「……はい」
リゼットは、迷わず答えた。
「私が苦しかったとき、手を差し伸べてくださった方ですから」
彼女の手元には、魔導研究棟の報告書があった。
そこには、レオンハルトの助言によって改善された術式の数々が記されている。
学園の生徒たちは、まだ彼の力のすべてを知らない。
だが。
少なくとも。
彼が単なる傲慢な公爵令息ではないことは、誰の目にも明らかになりつつあった。
◇
昼休み。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、カイルと一緒に食堂へ向かっていた。
「……なあ、レオン」
「何だ?」
「お前、最近すごいことになってるぞ」
「……何が?」
カイルは、呆れたように笑った。
「自覚がないのかよ」
そのとき。
「レオンハルト様!」
一人の男子生徒が、こちらへ駆け寄ってきた。
見覚えのある顔だった。
以前、合同演習で一緒になった下級生だ。
「……どうした?」
「先日は、ありがとうございました!」
少年は、深く頭を下げた。
「僕の友人も、あの事故で助けていただいたんです」
……。
俺は、少し驚いた。
「……そうだったのか」
「はい!」
少年は、真剣な表情で続けた。
「友人は、もう授業へ戻れるようになりました」
その言葉に、胸が温かくなった。
「……それはよかった」
「本当に、ありがとうございました!」
少年は、もう一度頭を下げて去っていった。
俺は、その背中を見送った。
「……よかったな」
カイルが、静かに言った。
「ああ」
俺は、頷いた。
誰かが無事だった。
それだけで、十分だった。
◇
食堂へ入ると、さらに驚くことが起きた。
「レオンハルト様!」
「こちら、空いていますよ!」
「よろしければ、一緒に食事を!」
……。
俺は、思わず足を止めた。
「……何だ、これ」
隣で、カイルが笑いを堪えている。
「だから言っただろ。人気者だって」
「……いや、急すぎるだろ」
「今までの反動じゃないか?」
俺は、困惑したまま周囲を見渡した。
以前は、俺が席へ近づくと距離を置く生徒もいた。
だが、今は。
むしろ、こちらへ声をかけてくる。
……変わったな。
そう思った。
けれど。
少しだけ、複雑でもあった。
俺は、何か特別なことをしたつもりはない。
大切な人を守りたかった。
それだけだった。
「……レオン!」
聞き慣れた声が響いた。
振り向くと、セレスティアが歩いてきた。
その隣には、エリシア。
少し遅れて、リゼットも姿を見せた。
「……あら」
セレスティアが、周囲を見渡した。
「随分、賑やかね」
「……俺も驚いてる」
俺が苦笑すると、リゼットが微笑んだ。
「当然だと思います」
「……当然?」
「はい。レオンハルト様のことを、皆が知り始めたんですから」
エリシアも、静かに頷いた。
「本当に、素敵なことですね」
セレスティアは、少しだけ胸を張った。
「私は、ずっと前から知っていたけれどね」
その言葉に、俺は笑った。
「……ありがとう、セレス」
すると。
なぜか彼女の頬が、赤くなった。
「……もう」
小さく呟く。
「そういうところなのよね……」
……また、それか。
最近、よく言われる気がする。
◇
午後。
魔法実技訓練場。
今日は、複数属性の魔力制御に関する特別授業が行われていた。
担当教師が、教壇へ立つ。
「本日は、属性干渉について学ぶ」
生徒たちが、真剣な表情で耳を傾けた。
「異なる属性の魔力を同時に扱う場合、制御が不安定になることがある」
教師は、黒板に魔法陣を描いた。
「そこで、今日は実演を行ってもらう」
……嫌な予感がした。
「レオンハルト・ヴァルディス君」
……やっぱり。
「前へ出てくれるかね?」
俺は、少しだけ苦笑した。
「……分かりました」
訓練場の中央へ進む。
周囲の生徒たちが、期待に満ちた視線を向けてきた。
「……七属性って、本当なのかな」
「……前に見たことあるけど、すごかったぞ」
「……今日は何をするんだろう」
俺は、教師へ視線を向けた。
「どの程度まで実演すればいいでしょうか?」
「まずは、火と水の二属性を同時に制御してみてくれ」
「分かりました」
俺は、右手を上げた。
赤い魔法陣。
続いて、左手。
青い魔法陣。
二つの属性が、静かに展開する。
「……おお」
生徒たちから、感嘆の声が漏れた。
俺は、魔力の流れを調整した。
火球と水球が、互いに干渉することなく浮かび上がる。
そして。
二つの球体を、ゆっくりと回転させた。
「……すごい」
「……あれだけ安定してるのか」
教師も、感心したように頷いた。
「見事だ」
俺は、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます」
すると。
後方から、一人の生徒が手を上げた。
「……先生!」
「何だね?」
「レオンハルト様は、七属性すべてを同時に使えるんですか?」
……。
教師が、こちらを見た。
「……可能かね?」
俺は、少し考えた。
「……できます」
その瞬間。
訓練場が、ざわめいた。
「……本当に?」
「……七属性同時?」
「……そんなこと、可能なのか?」
俺は、静かに息を吐いた。
そして。
七つの魔法陣を、ゆっくりと展開した。
火。
水。
風。
土。
雷。
光。
闇。
七色の光が、俺の周囲に浮かび上がる。
訓練場が、静まり返った。
俺は、それぞれの魔力を慎重に制御した。
そして。
七つの魔法陣を、円を描くように回転させた。
《七彩神星陣》。
ただし、今回は戦闘用ではない。
純粋な魔力制御の実演だった。
七色の光が、静かに輝く。
やがて。
俺は、魔法陣を消した。
……沈黙。
そして。
「……すげえ」
誰かが、呟いた。
次の瞬間。
大きな拍手が、訓練場へ響き渡った。
「……すごい!」
「……初めて見た!」
「……あれが、七属性……!」
俺は、少し照れくさくなった。
……そんなに大げさなことじゃないんだけどな。
そう思いながら、席へ戻った。
すると。
カイルが、呆れたように笑った。
「……お前、本当に自覚ないよな」
「……何が?」
「……いや、もういい」
◇
放課後。
学園の中央広場。
俺は、一人で掲示板を見つめていた。
そこには、今回の事件に関する正式な公示文が貼られていた。
……アルベルト。
……ユリウス。
……グレゴール。
それぞれの名前が、記されている。
彼らの行動によって、多くの人が傷ついた。
そして。
彼ら自身も、未来を失った。
……俺は。
小さく息を吐いた。
……原作のレオンハルトとは、違う道を歩んでいる。
悪役公爵令息。
本来なら、勇者に敗れるはずだった存在。
けれど。
今の俺には、守りたい人たちがいる。
家族。
友人。
そして。
大切な少女たち。
「……レオン?」
声が響いた。
振り向くと、セレスティアが立っていた。
「……セレス」
「何を考えていたの?」
俺は、少しだけ笑った。
「……これからのことかな」
「……これから?」
「ああ」
俺は、空を見上げた。
「もっと、強くなりたい」
セレスティアが、静かに俺を見つめた。
「……どうして?」
「大切な人たちを、守れるように」
その言葉に。
彼女は、優しく微笑んだ。
「……レオンらしいわね」
そして。
そっと、俺の隣へ並んだ。
「でも、一人で背負わないでね」
……。
「私たちも、あなたの力になりたいんだから」
俺は、彼女を見つめた。
そして。
静かに頷いた。
「……ありがとう」
冬の夕陽が、学園を照らしていた。
かつて。
悪役公爵令息と呼ばれた少年。
その評価は、少しずつ変わり始めていた。
恐れられる存在から。
信頼される存在へ。
そして。
いつか。
王国の未来を担う、一人の英雄へ。
だが。
レオンハルト自身は、まだ知らない。
自分が歩んできた道が。
原作の物語を、どれほど大きく変えているのかを。




