第11話 建国記念舞踏会と、黒き暴君を巡る令嬢たち
王国暦八百二十一年、春月二十二日。
王都ヴァルディス公爵家別邸。
「……母上」
「なあに、レオンちゃん?」
「そろそろ離していただけませんか?」
「嫌よ♡」
……どうしてこうなった。
俺は現在、母エレオノーラに後ろから抱きしめられていた。
場所は屋敷の衣装室。
目の前には、王国でも指折りの仕立て職人たちが並んでいる。
そして、俺の身体には、黒を基調とした礼装が着せられていた。
金糸で縁取られた上着。
深紅の宝石が嵌め込まれた胸飾り。
ヴァルディス公爵家の紋章が刻まれた銀の留め具。
……確かに、立派な服だ。
だが。
「レオンちゃん、素敵すぎるわ!」
母の感想が、もう十分ほど続いている。
「黒い礼装が本当によく似合うわね! やっぱり私の息子は世界一格好いいわ!」
「……ありがとうございます」
「ねえ、あなた!」
母が振り返った。
「レオンちゃん、どう思う?」
父アルフォンスは、腕を組んで俺を眺めていた。
そして、重々しく頷いた。
「……完璧だ」
「でしょう!?」
「王国中の貴族令嬢が放っておかんだろう」
……父上まで何を言っているんだ。
すると、父は少しだけ眉をひそめた。
「……しかし、それはそれで問題だな」
「……何がですか?」
「お前に近づく者の身元を、すべて調べねばならん」
「やめてください!」
俺の抗議に、母は楽しそうに笑った。
「ふふっ。あなたったら心配性ね」
……母上。
あなたも人のことは言えませんよ。
そのとき。
「……レオンハルト様」
静かな声が響いた。
振り返ると、エレノアが立っていた。
普段の侍女服ではない。
銀色の髪を美しく結い上げ、淡い青色の礼装を身にまとっている。
腰には、細身の儀礼剣。
護衛騎士としての装いだった。
……へえ。
俺は、思わず目を細めた。
「……似合ってるな、エレノア」
その瞬間。
彼女の動きが、ぴたりと止まった。
「……っ!」
「……どうした?」
「……い、いえ」
エレノアは、少しだけ頬を赤らめた。
「……ありがとうございます」
その様子を見た母が、にっこりと笑った。
「まあまあ♡」
……嫌な予感がする。
「レオンちゃん、エレノアちゃんも素敵でしょう?」
「……はい」
「ふふっ。二人で並ぶと、本当にお似合いね」
「……母上?」
エレノアの顔が、さらに赤くなった。
「……奥様!」
母は、楽しそうに笑っていた。
……まったく。
今夜は、舞踏会へ行く前から疲れそうだ。
◇◆◇
王国建国記念舞踏会。
それは、ルミナス王国で最も格式の高い社交行事の一つだった。
王族。
公爵家。
侯爵家。
伯爵家。
そして、各国から招かれた使節たち。
王国の有力者が一堂に会する。
当然、政治的な意味も大きい。
貴族たちは互いの関係を確認し、新たな同盟を結び、時には敵対する相手を牽制する。
華やかな舞踏会の裏側では、常に駆け引きが行われているのだ。
……面倒くさい。
俺は馬車の中で、小さくため息をついた。
「……レオンハルト様」
向かいに座るエレノアが、静かに微笑んだ。
「……ご気分が優れませんか?」
「……いや」
俺は肩をすくめた。
「こういう場所は、あまり得意じゃなくてな」
「……そうでございますか」
「……エレノアは?」
俺が尋ねると、彼女は少しだけ考えた。
「……私も、華やかな場所はあまり得意ではありません」
「……意外だな」
「……ですが」
彼女は、柔らかく微笑んだ。
「……レオンハルト様のお側にいられるのでしたら、どこでも構いません」
……本当に。
この子は、時々さらっと凄いことを言う。
俺は、思わず苦笑した。
「……頼りにしてるよ」
「……はい」
エレノアは、嬉しそうに頷いた。
そのとき。
馬車が、ゆっくりと停止した。
「……到着いたしました」
御者の声が響く。
俺は、窓の外へ視線を向けた。
そこには。
巨大な王城が、夜空の下で輝いていた。
◇◆◇
王城大広間。
無数の魔導灯が、天井を照らしている。
巨大なシャンデリア。
磨き上げられた大理石の床。
そして、華やかな衣装に身を包んだ貴族たち。
……なるほど。
確かに、壮観だ。
「……ヴァルディス公爵閣下、ご到着!」
高らかな声が響いた。
その瞬間。
大広間の空気が、変わった。
父アルフォンス。
母エレオノーラ。
そして、俺。
ヴァルディス公爵家の三人が姿を現したのだ。
周囲の貴族たちが、一斉にこちらを見る。
「……黒獅子公爵だ……」
「……銀月の魔女まで……」
「……あれが、レオンハルト様……?」
小さな囁き声が、あちこちから聞こえてきた。
……相変わらず、目立つ家族だな。
父は、堂々と歩いている。
母は、優雅に微笑んでいる。
そして俺は。
……帰りたい。
そんなことを考えていた。
だが。
そのとき。
「……レオン!」
聞き覚えのある声が響いた。
振り返る。
そこに立っていたのは。
銀色の髪を美しく結い上げた少女。
第一王女セレスティア・ルミナスだった。
淡い青色のドレス。
宝石を散りばめた髪飾り。
そして、柔らかな笑顔。
……へえ。
俺は、少しだけ驚いた。
「……セレス」
その瞬間。
周囲の貴族たちが、ざわめいた。
「……今、王女殿下を……?」
「……愛称で呼ばれたぞ……?」
「……あの二人は、そんなに親しかったのか……?」
……しまった。
つい、昔の癖で呼んでしまった。
だが、セレスティアは気にしていない様子だった。
「……来てくれたのね」
「ああ。招待されたからな」
「……嬉しい」
彼女は、柔らかく微笑んだ。
そして、少しだけ頬を赤らめる。
「……今夜は、少しお話しできる?」
「……もちろん」
俺が頷くと、彼女は嬉しそうに目を細めた。
……なるほど。
以前より、随分と距離が近くなったな。
そのとき。
「……レオンハルト様」
別の声が響いた。
振り返る。
そこには。
金色の髪を美しく編み込んだ少女が立っていた。
聖女エリシア・フィオーレ。
白と金を基調とした礼装。
胸元には、女神の紋章。
そして、穏やかな微笑み。
「……エリシア」
俺は、少し驚いた。
「……もう体調は大丈夫なのか?」
「……はい」
エリシアは、柔らかく微笑んだ。
「……レオンハルト様のおかげです」
その言葉に、周囲の貴族たちが再びざわめいた。
「……聖女様まで……?」
「……黒き暴君と呼ばれていたはずでは……?」
「……どうなっているんだ……?」
……おいおい。
何でそんなに驚くんだ。
俺は、思わず苦笑した。
だが。
そのとき。
「……レオンハルト様」
さらに、別の声が響いた。
……まさか。
俺は、ゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは。
栗色の髪を美しく結い上げた少女。
ヴィオレッタ・ローゼンベルク。
かつての婚約者だった。
「……ヴィオレッタ」
彼女は、静かに頭を下げた。
「……本日は、ご挨拶だけでもと思いまして」
その声には、以前のような傲慢さはなかった。
むしろ、どこか緊張しているように見える。
「……ああ」
俺は、静かに頷いた。
「……来ていたんだな」
「……はい」
ヴィオレッタは、少しだけ微笑んだ。
だが。
その視線が、セレスティアとエリシアへ向けられた瞬間。
ほんのわずかに、表情が曇った。
……なるほど。
複雑な気持ちなんだろうな。
そのとき。
俺の隣で、エレノアが静かに微笑んだ。
「……レオンハルト様」
「……ん?」
「……随分と、お忙しくなりそうですね」
……やめてくれ。
俺は、思わず天を仰いだ。
……何で、こんなことになってるんだ?
◇◆◇
舞踏会が始まって、しばらく経った頃。
俺は、大広間の端で紅茶を飲んでいた。
……ようやく、落ち着いたな。
セレスティアは、王族としての挨拶に戻った。
エリシアも、教会関係者との会話へ向かった。
ヴィオレッタは、侯爵家の人間と共に別の場所へ移動した。
そして、エレノアは俺の隣に控えている。
……平和だ。
だが。
そんな平和は、長く続かなかった。
「……レオンハルト・ヴァルディス」
低い声が響いた。
振り返る。
そこに立っていたのは。
金髪の青年。
豪奢な王族の礼装。
そして、どこか傲慢な笑み。
ルミナス王国王太子。
セレスティアの兄。
アドリアン・ルミナスだった。
「……王太子殿下」
俺は、形式通りに一礼した。
「……久しいな」
アドリアンは、静かに笑った。
「……随分と活躍しているそうではないか」
「……おかげさまで」
俺は、穏やかに答えた。
……さて。
何を言いに来た?
アドリアンは、俺をじっと見つめた。
「……王女襲撃事件」
一歩。
「……聖女監禁事件」
そして。
「……随分と、都合よく現れるものだな」
……なるほど。
そう来るか。
俺は、静かに微笑んだ。
「……偶然でございます」
「……偶然?」
アドリアンは、鼻で笑った。
「……随分と、便利な偶然だな」
周囲の貴族たちが、少しずつこちらへ視線を向け始めた。
……面倒くさい。
俺は、内心でため息をついた。
だが、表情は変えない。
「……殿下」
「……何だ?」
「……何か、お疑いでしょうか?」
その瞬間。
アドリアンの笑みが、わずかに止まった。
「……ほう?」
俺は、静かに続けた。
「……もし疑いがあるのでしたら、正式な調査をお求めください」
アドリアンの目が、細くなる。
「……貴様」
「……私は、王国の法に従います」
俺は、穏やかに微笑んだ。
「……もちろん、殿下も同じでいらっしゃいますよね?」
その瞬間。
周囲の空気が、凍りついた。
アドリアンの顔が、わずかに引きつる。
「……当然だ」
「……それは、安心いたしました」
俺は、静かに一礼した。
……さて。
どう出る?
◇◆◇
その頃。
王城の裏回廊。
アルベルト・レイフォードは、黒い外套の男と向かい合っていた。
「……準備は?」
「……すべて整っております」
黒衣の男が、静かに答えた。
「……王太子殿下も、予定通り動いておられます」
アルベルトは、ゆっくりと頷いた。
「……よし」
その瞳には、冷たい光が宿っていた。
「……今夜こそ、レオンハルトを失脚させる」
黒衣の男が、静かに微笑んだ。
「……ただし、油断は禁物です」
「……わかっている」
アルベルトは、苛立たしげに答えた。
「……あいつは、普通じゃない」
王女襲撃事件。
聖女監禁事件。
エレノア襲撃事件。
すべてを、あの少年に阻止された。
……だが。
今度は、違う。
剣でも魔法でもない。
貴族社会の権力を使う。
王太子。
侯爵家。
そして、教会の残存勢力。
それらを利用し、レオンハルトを社会的に追い詰める。
……いくら強くても。
王国そのものを敵に回せば、どうにもならないはずだ。
「……ヴィオレッタは?」
アルベルトが尋ねた。
「……予定通り、会場におります」
「……そうか」
アルベルトは、静かに笑った。
「……なら、始めよう」
◇◆◇
大広間。
楽団の演奏が、ゆっくりと変わった。
優雅な旋律。
舞踏会の中心で、貴族たちが次々と踊り始める。
……なるほど。
そろそろ、ダンスの時間か。
俺は、静かに紅茶を置いた。
そのとき。
「……レオン」
セレスティアが、こちらへ歩いてきた。
「……ん?」
彼女は、少しだけ頬を赤らめていた。
「……一曲、お願いしてもいい?」
……ダンスか。
俺は、少しだけ考えた。
王女からの誘い。
しかも、公式の舞踏会。
断る理由はない。
「……もちろん」
俺は、静かに手を差し出した。
セレスティアは、嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとう」
そして、俺の手を取った。
その瞬間。
周囲の貴族たちが、再びざわめいた。
「……第一王女殿下が……!」
「……レオンハルト様と踊るのか……?」
「……あの二人は、どういう関係なんだ……?」
……本当に、騒がしいな。
俺は、内心で苦笑した。
だが。
セレスティアは、そんな視線を気にしていなかった。
「……レオン」
「……ん?」
「……昔も、こうして踊ったことがあったわね」
俺は、少しだけ記憶を辿った。
……ああ。
確か、幼い頃の王宮行事だったか。
「……そうだったな」
セレスティアは、嬉しそうに微笑んだ。
「……覚えていてくれたのね」
「……忘れるわけないだろ」
その言葉に、彼女の頬がさらに赤くなった。
……ん?
何か、変なことを言ったか?
俺は、少しだけ首を傾げた。
◇◆◇
大広間の端。
ヴィオレッタは、二人の姿を見つめていた。
レオンハルトとセレスティア。
優雅に踊る二人。
その姿は、誰が見てもお似合いだった。
「……綺麗……」
ヴィオレッタは、小さく呟いた。
だが。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
……あの場所には、かつて私がいた。
レオンハルトの隣。
彼が、優しく微笑みかけてくれた場所。
それを、自分から手放した。
……今さら、後悔しても遅い。
ヴィオレッタは、静かに目を閉じた。
そのとき。
「……ヴィオレッタ嬢」
背後から、低い声が響いた。
振り返る。
そこに立っていたのは、王太子アドリアンだった。
「……殿下」
ヴィオレッタは、慌てて一礼した。
アドリアンは、冷たい笑みを浮かべた。
「……準備はできているな?」
その瞬間。
ヴィオレッタの顔から、血の気が引いた。
「……準備、とは……」
「……とぼけるな」
アドリアンは、低い声で告げた。
「……レオンハルトの悪行を、皆の前で証言するのだ」
ヴィオレッタは、唇を噛んだ。
「……ですが……」
「……何だ?」
「……私は、もう……」
その言葉に、アドリアンの表情が険しくなった。
「……まさか、拒むつもりか?」
ヴィオレッタは、震える声で答えた。
「……事実ではないことを、証言することはできません」
その瞬間。
アドリアンの顔が、怒りに歪んだ。
「……貴様!」
だが。
ヴィオレッタは、俯かなかった。
「……申し訳ございません」
そして、静かに告げた。
「……私は、もう嘘をつきたくありません」
◇◆◇
その頃。
俺は、セレスティアとのダンスを終えていた。
「……ありがとう、レオン」
「……こちらこそ」
セレスティアは、嬉しそうに微笑んだ。
「……また、踊ってくれる?」
「……もちろん」
俺が頷くと、彼女は少しだけ頬を赤らめた。
……さて。
そろそろ休憩するか。
そう考えた瞬間。
大広間の中央で、突然大きな声が響いた。
「……皆の者!」
王太子アドリアンだった。
その声に、楽団の演奏が止まる。
貴族たちが、一斉に振り返った。
「……今宵、この場で明らかにすべきことがある!」
……来たか。
俺は、静かに目を細めた。
アドリアンは、大広間の中央へ進み出た。
そして。
俺を指差した。
「……レオンハルト・ヴァルディス!」
その声が、広間全体に響いた。
「……貴様には、重大な疑惑がある!」
周囲の貴族たちが、ざわめいた。
「……何だと……?」
「……公爵家の後継者に……?」
「……一体、何が……?」
俺は、静かに息を吐いた。
……なるほど。
やっぱり、そう来るか。
だが。
俺は、動じなかった。
なぜなら。
この展開には、見覚えがあったからだ。
原作ゲーム。
『エターナル・レガリア』
その中で、レオンハルトが社会的に追い詰められるきっかけとなった事件。
建国記念舞踏会での公開断罪。
……まさか。
こんなにも早く、再現されるとはな。
俺は、静かに微笑んだ。
……いいだろう。
原作通りに進めたいなら、付き合ってやる。
ただし。
結末まで同じになると思うなよ。
◇◆◇
大広間の奥。
父アルフォンスは、静かにグラスを置いた。
「……エレオノーラ」
「……ええ、あなた」
母の瞳が、冷たく光った。
「……あの王太子」
その声には、静かな怒りが宿っていた。
「……私たちのレオンちゃんに、何をするつもりかしら?」
父は、ゆっくりと立ち上がった。
「……さあな」
その表情から、笑みが消える。
「……だが」
王国最強の軍事貴族。
黒獅子アルフォンス・ヴァルディス。
その男が、静かに告げた。
「……我が息子を不当に貶めるつもりなら、王太子とて容赦はせん」
その瞬間。
周囲の空気が、わずかに震えた。
母も、静かに微笑んだ。
「……そうね」
そして。
恐ろしいほど優しい声で告げた。
「……レオンちゃんを泣かせたら、絶対に許さないわ」
――王国建国記念舞踏会。
華やかな祝宴は、今まさに嵐の中心へ変わろうとしていた。
だが、誰もまだ知らない。
黒き暴君と呼ばれた少年が、すでに運命を書き換える力を手にしていることを。
そして。
その少年を愛する二人の怪物が、静かに怒りを燃やし始めていることを。




