第108話 王女の本音――幼なじみでは終われない恋
第108話 王女の本音――幼なじみでは終われない恋
王国暦八二一年、冬月十三日。
王立アストレア学園。
冬の陽光が、王宮から続く白い石畳を淡く照らしていた。
事件以来、学園の空気は大きく変わっていた。
危険な演習を引き起こした関係者への処分。
学園の安全管理体制の見直し。
そして、レオンハルト・ヴァルディスへの評価の変化。
以前なら彼が廊下を歩くだけで、距離を置く生徒もいた。
しかし今は違う。
「レオンハルト様、おはようございます!」
「先日は弟を助けていただき、ありがとうございました!」
「今度、魔法について教えていただけませんか?」
声をかける生徒たちが、明らかに増えていた。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、その変化に少し戸惑っていた。
「……随分、人気者になったな」
隣を歩くカイルが、面白そうに笑った。
「からかうなよ」
「いや、事実だろ。前なんか、お前が通るだけで道を空けてた連中がいたじゃないか」
「……それは、あまり嬉しい話じゃないな」
俺が苦笑すると、カイルは肩をすくめた。
「まあ、今の方がずっといいさ」
それには、俺も同意だった。
誰かに恐れられるより、普通に挨拶を交わせる方がいい。
そんなことを考えていると、廊下の先から聞き慣れた声がした。
「レオン!」
振り向けば、セレスティア・ルミナスがこちらへ歩いてくる。
銀金色の髪が、窓から差し込む光を受けて輝いていた。
「セレス。おはよう」
「おはよう。今日の放課後、少し時間をもらえないかしら?」
「もちろん。何かあったのか?」
「……その」
セレスは、珍しく言葉を探した。
そして、小さく微笑んだ。
「久しぶりに、二人でお茶を飲みたいの」
俺が返事をするより早く、隣のカイルが口を開いた。
「なるほど。じゃあ俺は邪魔しない方がいいな」
「カイル?」
「頑張れよ、王女殿下」
「カ、カイル様!」
セレスの頬が赤くなる。
カイルは笑いながら去っていった。
……あいつ、何を頑張れと言ったんだ?
俺が首を傾げると、セレスは小さくため息をついた。
「……レオンは、本当に変わらないわね」
「何が?」
「何でもないわ」
そう答える彼女の表情は、少し嬉しそうだった。
◇
放課後。
王宮の東庭園。
セレスティアが用意してくれたのは、王宮の中でも特に静かな一角だった。
白い薔薇を模した彫刻。
冬でも緑を保つ魔法植物。
小さな噴水の音。
その中央に置かれた丸いテーブルには、紅茶と焼き菓子が並んでいる。
「懐かしいな、ここ」
俺が言うと、セレスは嬉しそうに微笑んだ。
「覚えていたのね」
「もちろん。子供の頃、よく一緒に遊んだだろ」
「ええ。あなたが噴水に落ちたこともあったわ」
「……あれは、セレスが落とした人形を拾おうとしたんだろ」
「ふふっ。そうだったかしら?」
「忘れたふりをするなよ」
二人で笑った。
あの頃は、王女だとか公爵令息だとか、そんなことを意識したこともなかった。
ただ、一緒に遊ぶのが楽しかった。
セレスは、そんな昔話をしながら紅茶を注いでくれた。
「……レオン」
「ん?」
「シャルロット様とルシウス様、本当によかったわね」
「ああ。まだ完全に元通りとはいかないけど、二人とも元気になってきた」
「あなたも、少し顔色がよくなったわ」
俺は思わず彼女を見た。
「そんなに疲れて見えたか?」
「ええ」
セレスは、真剣な表情で頷いた。
「祝宴では笑っていたけれど、それまではずっと張り詰めていたもの」
……そうか。
自分では隠していたつもりだった。
けれど、彼女には分かっていたらしい。
「……心配かけたな」
「心配くらい、させてちょうだい」
その言葉に、俺は少し驚いた。
セレスは、カップを置いた。
「あなたは、いつも誰かを守ろうとするでしょう?」
「……まあ、できることなら」
「でも、あなたが傷ついたときは、誰が守るの?」
俺は答えに詰まった。
セレスは、そっとテーブルの上に手を伸ばした。
そして、俺の手に重ねた。
「私だって、あなたを支えたいの」
その手は、少し冷たかった。
けれど、不思議と温かく感じた。
「……セレス」
「王女だから、ではないわ」
彼女は、まっすぐ俺を見つめた。
「幼なじみだから、というだけでもない」
そこで一度、言葉を止める。
長い睫毛が、小さく震えた。
「私は……レオンにとって、特別な人でいたいの」
風が、庭園を吹き抜けた。
俺は、すぐに返事ができなかった。
セレスは王女だ。
幼い頃から、何度も一緒に過ごしてきた。
嬉しいことも、悲しいことも、互いに知っている。
だが、今の彼女が口にした「特別」は、それだけではないように思えた。
「……セレスは、もう十分特別だよ」
俺は、ゆっくり答えた。
彼女の瞳が揺れた。
「……本当?」
「ああ。昔からずっと、大切な人だ」
セレスは、しばらく黙っていた。
それから、小さく笑った。
「……嬉しい」
けれど、その笑顔には少しだけ切なさが混じっていた。
「でもね、レオン」
「ん?」
「いつか、その言葉の意味をもう少し詳しく聞かせてほしいわ」
……詳しく?
俺が考え込むと、彼女は楽しそうに笑った。
「今は、それでいいの」
◇
茶会が終わり、王宮の回廊を歩いていると、セレスが突然足を止めた。
「ねえ、レオン」
「どうした?」
「私が王女でなかったとしても、あなたはこうして会いに来てくれた?」
意外な質問だった。
俺は、少し考えてから答えた。
「当然だろ」
「……即答なのね」
「セレスはセレスだからな。身分なんて関係ない」
彼女は、目を丸くした。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「……やっぱり、あなたが好き」
「……え?」
聞き返すと、セレスははっとしたように口元を押さえた。
「い、今のは!」
「……セレス?」
「何でもないの!」
頬を真っ赤にして、彼女は前を向いた。
「ほら、もう遅いわ。早く戻りましょう!」
俺は慌てて後を追った。
……今、好きって言ったよな?
いや、幼なじみとしての意味か?
それとも……。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
けれど。
一つだけ、はっきりしていた。
今日のセレスは、いつもよりずっと綺麗に見えた。
◇
その夜。
王宮、セレスティアの私室。
「……はあ」
セレスティアは、寝台に腰掛けていた。
昼間の出来事を思い出すたびに、頬が熱くなる。
『セレスはセレスだからな』
あの言葉。
何の迷いもなく答えてくれたことが、嬉しかった。
王女としてではなく。
一人の少女として、自分を見てくれている。
それが、何よりも幸せだった。
「……でも」
セレスティアは、窓の外を見つめた。
レオンの周囲には、魅力的な少女たちがいる。
リゼット。
エリシア。
そして、他にも彼を慕う者は少なくない。
皆、彼の優しさを知っている。
彼の強さを知っている。
彼が、どれほど大切な人を守ろうとするかも。
「……負けたくないわ」
小さく呟いた。
王女としての誇りではない。
ただ、一人の少女としての願いだった。
「いつか、ちゃんと伝えるから」
セレスティアは、胸元に手を当てた。
「幼なじみとしてじゃなくて……あなたを愛しているって」
窓の向こうには、冬の星空が広がっていた。
彼女の恋は、もう憧れではなかった。
自分の未来を懸けても大切にしたい、確かな想いへと変わっていた。




