第107話 蒼風の剣姫と五彩の神童――二人が誓う未来
第107話 蒼風の剣姫と五彩の神童――二人が誓う未来
王国暦八二一年、冬月十一日。
ヴァルディス公爵邸。
快気祝いの翌朝。
屋敷の庭園には、冬の澄んだ空気が流れていた。
葉を落とした木々の間から、柔らかな日差しが差し込んでいる。
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、庭園のベンチに腰掛けていた。
昨日の祝宴は、思っていた以上に賑やかだった。
父上も母上も、叔父上も伯母上も。
そして、セレスティアたちも。
皆が笑っていた。
それだけで、胸が満たされるような一日だった。
「……兄様!」
聞き慣れた声が響いた。
振り向くと、ルシウスがこちらへ歩いてくる。
今日は、動きやすい普段着姿だった。
「おはよう、ルシウス」
「おはようございます!」
少年は、嬉しそうに隣へ腰掛けた。
「……兄様」
「ん?」
「昨日、楽しかったですね」
「ああ。本当に楽しかったな」
ルシウスは、少しだけ空を見上げた。
「……僕、あんなに皆が笑っているところ、久しぶりに見ました」
俺は、静かに頷いた。
事件以来、屋敷にはずっと緊張した空気が漂っていた。
誰もが、二人の回復を願っていた。
そして昨日。
ようやく、その願いが形になった。
「……兄様」
ルシウスが、真剣な表情になった。
「僕、お願いがあります」
「何だ?」
「……魔法を教えてください」
俺は、少し驚いた。
「魔法?」
「はい」
ルシウスは、左手を握った。
「もっと強くなりたいんです」
……。
俺は、すぐには答えなかった。
彼の気持ちは、よく分かる。
自分が傷ついたこと。
守られるしかなかったこと。
その悔しさが、今も胸に残っているのだろう。
「……ルシウス」
「はい」
「強くなるのは、いいことだ」
少年の瞳が、輝いた。
「……じゃあ!」
「でも」
俺は、静かに続けた。
「強くなることと、無茶をすることは違う」
ルシウスは、少しだけ俯いた。
「……分かっています」
「本当に?」
「……はい」
俺は、彼の頭を撫でた。
「なら、まずは身体を完全に治そう」
「……はい」
「それから、基礎から一緒にやろう」
その瞬間。
ルシウスの表情が、ぱっと明るくなった。
「本当ですか!?」
「ああ。約束だ」
「やった!」
少年は、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、俺も自然と笑みを浮かべた。
◇
「……二人とも、こんなところにいたのね」
声が響いた。
振り向くと、シャルロットが歩いてきた。
淡い青色の上着に、白いスカート。
髪を軽くまとめた、落ち着いた装いだった。
「シャル姉」
「おはよう、レオン」
彼女は微笑み、俺の隣へ腰掛けた。
「ルシウス、また魔法の話?」
「……どうして分かったんですか?」
「顔を見れば分かるわ」
シャル姉が、くすりと笑う。
ルシウスは、少し照れくさそうに頬を掻いた。
「……兄様に、教えてもらう約束をしたんです」
「まあ」
シャル姉は、少し驚いたように俺を見た。
「レオン、私にも教えてくれる?」
「……シャル姉にも?」
「もちろん」
彼女は、真剣な表情になった。
「私も、もっと強くなりたいもの」
……。
俺は、二人を交互に見つめた。
「……二人とも、同じことを考えてるんだな」
「当然よ」
シャル姉は、静かに答えた。
「もう、あんな思いはしたくないから」
その言葉に、俺は黙った。
シャル姉は、少しだけ視線を落とした。
「……あの日ね」
静かな声だった。
「私、悔しかったの」
「……シャル姉」
「剣には、自信があった」
彼女は、自分の手を見つめた。
「誰かを守れるくらいには、強くなったつもりだった」
……。
「でも、あのときは……」
言葉が、途切れた。
俺は、そっと彼女の手を握った。
「……シャル姉」
彼女が、顔を上げた。
「……生きててくれて、ありがとう」
その瞬間。
シャル姉の瞳が、揺れた。
「……レオン」
「俺は、それだけで十分だよ」
俺は、静かに続けた。
「もちろん、もっと強くなりたいなら協力する」
そして。
「でも、二人が自分を責める必要はない」
ルシウスも、黙って聞いていた。
「悪いのは、危険を知りながら止めなかった連中だ」
俺は、二人を見つめた。
「二人が弱かったからじゃない」
……沈黙。
やがて。
シャル姉が、小さく微笑んだ。
「……ありがとう」
その声は、少しだけ震えていた。
◇
しばらくして。
三人で、庭園の奥へ歩いていった。
そこには、小さな訓練場がある。
子供の頃から、何度も一緒に剣や魔法の練習をした場所だった。
「……懐かしいわね」
シャル姉が、呟いた。
「ここで、レオンと何度も勝負したっけ」
「そうだったな」
俺は、笑った。
「最初の頃は、シャル姉に全然勝てなかった」
「当然よ」
シャル姉は、得意げに胸を張った。
「私の方が、お姉さんなんだから」
「でも、今は兄様の方が強いですよね!」
ルシウスが、無邪気に言った。
「……ルシウス?」
シャル姉の声が、少し低くなった。
「……あ」
ルシウスが、慌てて俺の後ろへ隠れる。
「兄様、助けてください!」
「おいおい」
俺は、思わず笑った。
シャル姉も、結局は笑い始めた。
……本当に。
こういう時間が、好きだ。
◇
「……そうだ、レオン」
シャル姉が、ふと思い出したように口を開いた。
「学園のこと、聞いた?」
「……学園?」
「ええ」
彼女は、少しだけ微笑んだ。
「あなたの評判が、随分変わったそうよ」
俺は、首を傾げた。
「……評判?」
「そう」
シャル姉は、頷いた。
「以前は、怖い公爵令息だと思っていた人も多かったでしょう?」
「……まあ、そうだな」
原作のレオンハルトは、傲慢な悪役公爵令息だった。
俺が転生してから、少しずつ行動を変えてきたとはいえ。
最初の印象は、簡単には消えない。
「でも、今は違うみたい」
シャル姉が、続けた。
「今回の事件で、あなたがどれほど家族を大切にしているか、皆が知ったから」
……。
「それに、アルベルトたちの不正が明らかになったでしょう?」
俺は、静かに頷いた。
「……ああ」
「だから、今までの噂を見直す人も増えているみたいよ」
ルシウスが、嬉しそうに口を挟んだ。
「当然です!」
「……ルシウス?」
「兄様は、誰よりも優しくて、誰よりも強いんですから!」
俺は、思わず苦笑した。
「……褒めすぎだろ」
「そんなことありません!」
少年は、真剣だった。
「僕は、兄様みたいになりたいです!」
その言葉に、胸が温かくなった。
「……ありがとう」
俺は、そっと彼の頭を撫でた。
◇
同じ頃。
王立アストレア学園。
生徒会室。
「……レオンハルト様の件ですが」
リゼットが、書類を机へ置いた。
生徒会長フィオナが、顔を上げる。
「……何かあったの?」
「……学園内で、彼への評価が大きく変わっています」
フィオナは、静かに頷いた。
「……そうでしょうね」
机の上には、生徒たちから寄せられた意見書が並んでいた。
『危険な演習から仲間を救った行動を、正式に評価すべきです』
『これまでの噂を信じていたことを、反省しています』
『レオンハルト様に、感謝を伝えたい』
フィオナは、一通ずつ目を通した。
そして。
「……人は、変わるものね」
静かに呟いた。
リゼットは、微笑んだ。
「……レオンハルト様は、最初から変わらず優しい方でした」
フィオナが、少しだけ笑った。
「……あなたは、本当に彼を信頼しているのね」
「……はい」
リゼットは、迷わず答えた。
その頬が、少しだけ赤くなっていた。
◇
午後。
ヴァルディス公爵邸。
庭園。
俺たちは、再びベンチへ戻っていた。
ルシウスは、疲れたのか、俺の肩へ寄りかかっている。
シャル姉は、静かに空を見上げていた。
「……ねえ、レオン」
「ん?」
「……約束してほしいことがあるの」
俺は、彼女を見た。
「……何?」
シャル姉は、少しだけ迷ったあと。
真っ直ぐに俺を見つめた。
「……これからも、私たちを頼って」
……。
「レオンは、いつも一人で何とかしようとするでしょう?」
俺は、少しだけ苦笑した。
「……そうかな」
「そうよ」
シャル姉は、きっぱりと言った。
「あなたが強いことは、知ってる」
……。
「でも、強いからって、全部一人で背負わなくていいの」
その言葉に、胸が熱くなった。
「……シャル姉」
「私たちは、家族なんだから」
彼女は、優しく微笑んだ。
「守られるだけじゃなくて、あなたを支えたいの」
ルシウスも、顔を上げた。
「僕もです!」
少年は、真剣な瞳で続けた。
「兄様が困っていたら、僕が助けます!」
俺は、二人を見つめた。
そして。
静かに頷いた。
「……分かった」
二人の表情が、明るくなる。
「約束するよ」
俺は、二人の手を握った。
「これからは、ちゃんと頼る」
シャル姉が、嬉しそうに微笑んだ。
ルシウスも、満面の笑みを浮かべた。
冬の風が、庭園を吹き抜ける。
冷たいはずの風が、今日は不思議と心地よかった。
……家族。
……大切な人たち。
……守りたい日常。
それらがある限り。
俺は、何度でも立ち上がれる。
そして。
いつか、二人が本当に強くなったとき。
今度は、三人で肩を並べて戦えるだろう。
そんな未来を思い描きながら。
俺は、静かに空を見上げた。
――第107話・完――




