第105話 勇者候補の末路――失われた光と取り返せない罪
第105話 勇者候補の末路――失われた光と取り返せない罪
王国暦八二一年、冬月二日。
王都、王国司法庁。
地下拘置区画。
冷たい石壁。
小さな窓。
鉄格子の向こうから差し込む、わずかな朝日。
アルベルト・レイフォードは、粗末な寝台に腰掛けていた。
かつて、王立アストレア学園の特待生として迎えられた少年。
優れた魔力適性。
勇者候補としての期待。
平民出身でありながら、貴族の子弟たちと肩を並べる才能。
彼には、未来があった。
少なくとも。
そう信じていた。
「……勇者、か」
アルベルトは、自嘲するように笑った。
机の上には、一枚の通知書。
『勇者候補資格停止』
その文字を、何度も読み返していた。
学園からの退学。
司法庁による審理。
そして。
負傷者への賠償責任。
今後の人生がどうなるのか、まだ分からない。
だが。
一つだけ、確かなことがあった。
以前の生活には、もう戻れない。
◇
「……アルベルト・レイフォード」
看守の声が響いた。
「面会だ」
アルベルトが、顔を上げた。
「……誰ですか?」
「王国司法庁の調査官だ」
……そうか。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
面会室へ入ると、机の向こうに中年の男が座っていた。
「……アルベルト君」
「……はい」
「今日は、君の行動について確認したい」
アルベルトは、頷いた。
調査官は、書類を開いた。
「君は、なぜ魔力増幅装置を起動した?」
「……レオンハルトに勝ちたかったからです」
「それだけか?」
「……はい」
調査官は、しばらく黙っていた。
そして。
「君は、シャルロット嬢とルシウス君が負傷することを望んでいたのか?」
「……いいえ!」
アルベルトが、叫んだ。
「そんなつもりはありませんでした!」
調査官は、静かに頷いた。
「……分かった」
そして。
「では、装置が危険なものだと知っていたか?」
……沈黙。
アルベルトは、唇を噛んだ。
「……規制されている術式だとは、知っていました」
「なぜ規制されていると思った?」
「……危険だから、です」
「それでも使用した?」
「……はい」
調査官は、静かに書類へ記入した。
「君が二人を直接傷つけるつもりだったかどうかと、危険を承知で装置を起動した責任は、別に判断される」
アルベルトは、俯いた。
「……はい」
「君には、弁護人がつく。言い分を述べる機会もある」
調査官は、続けた。
「だが、結果から目を背けてはいけない」
その言葉が、胸に突き刺さった。
◇
面会が終わる頃。
調査官が、一枚の書類を差し出した。
「……これは?」
アルベルトが、尋ねる。
「負傷者の容体に関する、公開可能な範囲の報告だ」
……っ!
アルベルトは、息を呑んだ。
シャルロット・ヴァルディス。
重度の魔力損傷。
複数箇所の裂傷。
内部魔力循環の異常。
ルシウス・シルヴェイン。
右腕骨折。
全身の魔力障害。
長期の治療と経過観察が必要。
「…………」
アルベルトの手が、震えた。
……こんな。
こんなことに、なっていたのか。
彼は、何度も書類を読み返した。
だが。
文字は、変わらない。
自分が起動した装置。
その暴走によって。
二人の子供が、重傷を負った。
「……僕は」
声が、震えた。
「……僕は、こんなことを……」
調査官は、何も言わなかった。
◇
その夜。
アルベルトは、眠れなかった。
頭の中に、何度も同じ光景が浮かんでいた。
レオンハルト。
いつも、自分の前に立っていた少年。
誰よりも強く。
誰よりも多くの魔法を使い。
誰からも好かれていた。
……ずるい。
ずっと、そう思っていた。
自分は、平民だ。
家柄もない。
頼れる貴族の親戚もいない。
それなのに。
レオンハルトには、すべてがあった。
父。
母。
叔父。
伯母。
そして。
自分を慕う従弟たち。
……羨ましかった。
いや。
羨ましいだけじゃなかった。
憎かった。
何もかも持っているように見える相手が。
……でも。
アルベルトは、目を閉じた。
思い出す。
演習中。
自分が無茶な攻撃をしたとき。
レオンハルトは、迷わず守ってくれた。
「……大丈夫か?」
あの声。
自分は、何と答えた?
『僕は、お前に助けられたいわけじゃない!』
……。
アルベルトは、両手で顔を覆った。
……何を、やっていたんだ。
彼は、何度も自分を助けてくれた。
それなのに。
自分は、彼を敵だと決めつけていた。
そして。
彼が最も大切にしているものを、傷つけてしまった。
「……っ!」
胸が、苦しくなった。
……取り返せない。
もう、何を言っても。
何をしても。
あの日の出来事は、消えない。
◇
翌日。
面会室。
「……アルベルト」
声が響いた。
彼が顔を上げると、そこには一人の女性が立っていた。
王立学園の元担当教師。
かつて、アルベルトの才能を高く評価していた人物だった。
「……先生」
アルベルトは、驚いた。
「……どうして」
「君に、会っておきたかったの」
教師は、静かに座った。
「……僕を、責めに来たんですか?」
「責めるためだけなら、来ないわ」
彼女は、真っ直ぐに彼を見つめた。
「でも、君がしたことを軽く考えるつもりもない」
アルベルトは、俯いた。
「……はい」
教師は、静かに続けた。
「君は、確かに才能があった」
……。
「努力もしていた。貴族の子弟たちに負けまいと、必死だった」
アルベルトの瞳が、揺れた。
「……でも」
教師の声が、厳しくなる。
「君は、いつから他人に勝つことだけを考えるようになったの?」
……沈黙。
「勇者とは、何?」
アルベルトは、答えられなかった。
「強い人?」
……。
「誰よりも称賛される人?」
……。
「それとも、困っている誰かを守る人?」
アルベルトの唇が、震えた。
……守る人。
その言葉が、胸に刺さった。
「……先生」
「……何?」
「……僕は」
声が、震える。
「……勇者になりたかったんです」
教師は、黙って聞いていた。
「……誰にも、見下されたくなかった」
……。
「……自分に、価値があるって……証明したかった」
その瞬間。
涙が、頬を伝った。
「……でも」
アルベルトは、顔を覆った。
「……僕は、誰も守れなかった……!」
教師は、何も言わなかった。
ただ。
静かに、彼の言葉を聞いていた。
◇
数日後。
王都、ヴァルディス公爵邸。
医療室。
「……兄様!」
ルシウスが、元気な声を上げた。
「……ルシウス」
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、微笑んだ。
少年は、まだ右腕を固定している。
だが。
表情は、以前より明るくなっていた。
「……見てください!」
ルシウスが、左手を上げた。
小さな五色の魔法陣が、指先に浮かび上がる。
「……おお」
俺は、思わず笑った。
「……もう、そこまで回復したのか」
「……はい!」
ルシウスが、嬉しそうに笑った。
その隣で。
「……まったく」
シャルロットが、苦笑した。
「……安静にしなさいって言われてるでしょう?」
「……姉様だって、昨日剣を振ろうとしてたじゃないですか!」
「……っ!?」
シャルロットの頬が、赤くなった。
「……あ、あれは!」
俺は、思わず笑った。
……よかった。
本当に、よかった。
二人が、こうして笑っている。
それだけで。
胸の奥が、温かくなる。
◇
「……レオン」
シャルロットが、静かに声をかけた。
「……ん?」
「……アルベルトのこと、聞いた?」
俺は、少しだけ表情を引き締めた。
「……ああ」
司法庁での審理が、続いているらしい。
勇者候補資格は停止。
学園からは退学。
そして。
賠償責任と刑事責任について、正式な判断が下される予定だ。
「……どう思ってる?」
シャルロットが、尋ねた。
俺は、しばらく黙っていた。
そして。
「……許せないよ」
静かに答えた。
シャルロットは、黙って聞いていた。
「……二人が、あんな目に遭ったんだ」
俺は、拳を握った。
「……簡単に許せるわけがない」
……。
「……でも」
俺は、静かに続けた。
「……だからって、あいつを傷つけ返したいわけじゃない」
シャルロットが、少し驚いたように目を見開いた。
「……レオン」
「……あいつには、自分のしたことを理解してほしい」
俺は、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「……そして、責任を取ってほしい」
その言葉に。
シャルロットは、静かに微笑んだ。
「……やっぱり、レオンは優しいね」
俺は、首を振った。
「……優しいわけじゃないよ」
そして。
「……俺は、二人が大切なだけだ」
その瞬間。
シャルロットの頬が、赤くなった。
「……もう」
彼女は、そっと俺の手を握った。
「……そういうところ、本当にずるい」
……ん?
俺は、首を傾げた。
すると。
ルシウスが、楽しそうに笑った。
「……兄様、また姉様を照れさせてます!」
「……ルシウス!」
シャルロットが、真っ赤になった。
俺は、思わず笑った。
◇
同じ頃。
王国司法庁。
地下拘置区画。
アルベルトは、小さな窓から空を見上げていた。
青い空。
白い雲。
そして。
遠くから聞こえる、街の人々の声。
……あの日。
自分は、何を求めていたのだろう。
力。
名誉。
称賛。
それとも。
誰かに、認めてほしかっただけなのか。
アルベルトは、静かに目を閉じた。
レオンハルトの言葉が、脳裏に浮かぶ。
『俺に挑めばよかっただろ』
……そうだ。
本当に、そうだった。
自分が戦うべき相手は。
彼ではなかった。
自分自身だった。
「……僕が」
アルベルトは、低く呟いた。
「……本当に欲しかったものは……何だったんだろうな」
その問いに。
答える者はいなかった。
ただ。
小さな窓から差し込む光が。
彼の足元を、静かに照らしていた。




