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『悪役公爵令息レオンハルト』  作者: 覇王が好き
第二章・王立学園編

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第104話 没落の代償――白鷹の翼が折れた日

第104話 没落の代償――白鷹の翼が折れた日


王国暦八二一年、秋月二十九日。


王都、ファルケンハイン侯爵邸。


かつて王国有数の権勢を誇った屋敷には、奇妙な静けさが漂っていた。


門前には王国司法庁の紋章を掲げた馬車が並び、玄関では役人たちが財産目録を確認している。


美しい庭園も、白大理石の彫像も、代々受け継がれてきた絵画も。


今やすべてが、調査対象だった。


「……この絵画も、押収するのか」


執事が、震える声で尋ねた。


「不正資金による購入が確認されています」


司法官は、淡々と答えた。


「異議があれば、正式な審理で申し立ててください」


そのやり取りを、二階の窓から見つめる青年がいた。


ユリウス・ファルケンハイン。


かつて王立アストレア学園で、優秀な三年生として知られた男。


貴族の子弟たちを従え、運営委員長として権限を振るい、次代の王国中枢を担うと噂されていた。


だが。


今の彼には、何もなかった。


退学。


王国官職への登用資格剥奪。


刑事審理への移送。


そして、実家の没落。


「……随分と、早いものだな」


ユリウスは、乾いた笑みを浮かべた。


昨日まで自分へ頭を下げていた貴族の子弟たち。


彼らから届いた手紙は、一通もない。


代わりに届いたのは、関係解消の通知ばかりだった。


『今後、貴家との交流は差し控えさせていただきます』


『婚約に関する協議を白紙へ戻したく存じます』


『当家は今回の事件と一切関係がございません』


一通。


また一通。


白鷹の紋章を掲げていた者たちが、次々と離れていった。


「……君たちは、実に賢い」


ユリウスは、呟いた。


「沈む船から逃げる判断だけは、ね」


かつての自分なら、同じことをしただろう。


利用価値のない人間から距離を置く。


危険な人物との関係を切る。


それが、彼の信じていた貴族社会の常識だった。


そして今。


その常識が、自分自身へ向けられている。


     ◇


「ユリウス!」


執務室から、怒声が響いた。


父オズワルド・ファルケンハインだった。


ユリウスが入室すると、父は机を叩いた。


「貴様のせいで、すべてを失った!」


「……父上」


「黙れ!」


オズワルドの顔は、怒りで真っ赤だった。


「私が何十年かけて築いた地位だと思っている!」


ユリウスは、静かに父を見つめた。


「……安全装置の改修命令には、父上の署名がありました」


「貴様が望んだことだろう!」


「演習への影響力を強めたいとおっしゃったのは、父上です」


「口答えするな!」


オズワルドが、書類を投げつけた。


紙が床へ散らばる。


ユリウスは、それを拾わなかった。


「……私は、確かにレオンハルトを試そうとしました」


静かに口を開く。


「彼を分断し、家族という弱点を利用できるか確かめようとした」


オズワルドが、顔をしかめた。


「ならば貴様の責任ではないか!」


「……ええ。私の責任です」


ユリウスは、頷いた。


「ですが、父上の罪まで引き受けるつもりはありません」


「何だと……?」


「魔導工房への不正な支払い。教育評議会への資金移動。事件後の示談工作」


一つずつ、指を折る。


「それらを決めたのは、私ではない」


「……っ!」


「父上」


ユリウスは、初めて笑みを消した。


「我々は、敗れたのです」


沈黙。


「ヴァルディス家に、ではありません」


ユリウスは、床へ散らばった書類を見た。


「自分たちの判断の結果に、です」


オズワルドは、言い返せなかった。


やがて、執務室の扉が叩かれた。


「オズワルド・ファルケンハイン殿」


司法官の声だった。


「追加の事情聴取を行います。同行を願います」


「私は元侯爵だぞ!」


「現在の身分は、捜査を妨げる理由になりません」


扉が開く。


オズワルドは、衛兵に囲まれて連れていかれた。


ユリウスは、その背中を見送った。


かつて父は、誰よりも巨大な存在だった。


王国の法さえ動かせると信じていた。


だが。


その父が、今は一人の被疑者として歩いている。


「……白鷹は、地に落ちたか」


ユリウスは、窓の外を見つめた。


その言葉に、答える者はいなかった。


     ◇


同日。


王都、ハインツ家の屋敷。


「……顔を上げろ、グレゴール」


厳しい声が響いた。


グレゴール・ハインツは、父の前で膝をついていた。


退学処分。


将来の軍務登用に関する推薦の取り消し。


そして、司法庁による追加審理。


彼が長年積み上げてきた道は、完全に崩れていた。


「……申し訳ありません」


「謝れば済むと思うか?」


父の声が、低くなる。


「お前は、何を守るために剣を学んだ?」


「……家名と、王国のためです」


「違う!」


机を叩く音が響いた。


「人を守るためだ!」


グレゴールが、顔を上げた。


「……父上」


「その剣を、何のために使った?」


沈黙。


グレゴールの脳裏に、一人の少女が浮かんだ。


蒼風の剣姫。


シャルロット・ヴァルディス。


彼女に敗れた日。


周囲の生徒たちが、歓声を上げていた。


自分の誇りが踏みにじられたように感じた。


あの日から、彼女を認めることができなかった。


「……俺は」


グレゴールは、拳を握った。


「……あいつに、負けたくなかった」


父は、黙って聞いていた。


「俺は三年生で、風紀委員として……あいつより上でなければならなかった」


「だから、危険な計画に加わったのか」


「……はい」


グレゴールは、俯いた。


「でも……」


言葉が、震えた。


「俺は、あいつが死にかけるなんて思っていなかった」


父は、しばらく沈黙した。


そして、静かに言った。


「それが、お前の罪だ」


「……」


「死なせるつもりがなかったことと、危険を軽視したことは別だ」


グレゴールの肩が、震えた。


「……はい」


「お前は、装置の異常を知りながら、まず仲間へ連絡した。救助と緊急停止を最優先しなかった」


「……はい」


「その判断の遅れが、どれほど重大だったか考えろ」


グレゴールは、両手を床についた。


「……申し訳、ありませんでした……!」


初めて、声が崩れた。


だが。


父は、許すとは言わなかった。


「謝罪すべき相手は、私ではない」


グレゴールは、顔を上げた。


「……シャルロット嬢と、ルシウス殿だ」


その言葉が、胸に突き刺さった。


     ◇


翌日。


王都、ベルモンド家。


クラリッサ・ベルモンドは、机に向かっていた。


目の前には、王国司法庁から届いた通知書。


『告発協力および証拠保全を考慮し、現段階において本人への刑事訴追は行わない』


それが、彼女への判断だった。


ただし。


運営委員としての職務停止。


安全管理体制に関する再教育。


そして、今後の調査への継続協力。


すべてが、記されていた。


「……軽い処分で済んだわね」


母が、静かに言った。


クラリッサは、首を振った。


「……いいえ」


「クラリッサ?」


「私は、危険を察知していました」


彼女は、眼鏡を外した。


「記録が消されたときも、演習の延期が拒まれたときも」


机の上には、彼女自身が保管した原本が置かれていた。


「……おかしいと思っていたんです」


母は、黙っていた。


「でも、私は書類を残すことばかり考えていた」


クラリッサは、唇を噛んだ。


「正式な手順を踏めば、いつか止められると」


「……」


「もっと早く、学園長や司法庁へ直接知らせるべきでした」


母が、そっと娘の肩に触れた。


「あなたが証拠を守ったから、真実が明らかになったのよ」


「……それでも」


クラリッサの声が、震えた。


「シャルロットさんとルシウス君は、傷つきました」


沈黙。


やがて、クラリッサは立ち上がった。


「……お母様」


「何かしら?」


「私は、王立学園へ戻りたいです」


母が、驚いたように目を見開いた。


「……戻れるの?」


「まだ、分かりません」


クラリッサは、静かに答えた。


「でも、許されるなら、安全管理の仕組みを変える仕事をしたい」


そして。


真っ直ぐに前を見た。


「二度と、同じことが起こらないように」


     ◇


数日後。


王国司法庁、拘置区画。


ユリウスは、窓のない面会室へ通された。


向かいには、グレゴールが座っていた。


「……久しぶりだね」


ユリウスが、静かに言った。


グレゴールは、睨み返した。


「……何が久しぶりだ」


「数日しか経っていないのに、随分と昔のことに感じる」


「……ふざけるな」


グレゴールは、拳を握った。


「俺たちは、すべて失ったんだぞ」


「……そうだね」


ユリウスは、頷いた。


「……君は、まだ他人のせいにするのか?」


グレゴールの表情が、歪んだ。


「……何?」


「アルベルトが暴走した。私の計画も甘かった。君は危険を軽視した」


ユリウスは、淡々と続けた。


「それぞれに責任がある」


「……っ!」


「誰か一人を悪者にすれば済む話ではない」


グレゴールは、しばらく黙っていた。


そして。


「……シャルロットは」


低い声で尋ねた。


「……助かったんだよな?」


ユリウスは、少しだけ目を細めた。


「……命は取り留めたそうだ」


グレゴールが、深く息を吐いた。


「……そうか」


安堵したような表情。


だが、その顔はすぐに曇った。


「……俺は、何をやっていたんだろうな」


ユリウスは、答えなかった。


やがて、面会時間の終了を告げる鐘が鳴った。


二人は、それぞれ別の扉へ向かった。


かつて、学園で恐れられた二人。


だが。


今や彼らの名を呼ぶ者は、ほとんどいない。


白鷹の翼は、折れた。


そして。


その翼が再び空へ届く日は、まだ誰にも分からなかった。



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