第102話 侯爵家の終焉――黒獅子に牙を剥いた愚者
第102話 侯爵家の終焉――黒獅子に牙を剥いた愚者
王国暦八二一年、秋月二十六日。
王都、ファルケンハイン侯爵邸。
「……何だと?」
豪奢な執務室に、低い声が響いた。
ファルケンハイン侯爵家当主。
オズワルド・ファルケンハイン。
王国貴族院に強い影響力を持つ、権勢ある侯爵。
その男が、机を叩いていた。
「……ユリウスが、王城で審問を受けただと?」
「……はい」
執事が、震える声で答えた。
「……しかも、ヴァルディス公爵家が正式に調査へ参加したと……」
「……馬鹿な!」
オズワルドは、顔を歪めた。
「……たかが学園の事故ではないか!」
……沈黙。
執事は、何も答えられなかった。
「……負傷者が出たことは不幸だ」
オズワルドは、苛立たしげに続けた。
「……だが、学生の演習で事故が起こることなど珍しくもあるまい!」
「……しかし、閣下」
「……何だ!」
「……負傷されたのは、レオナード侯爵閣下のご令嬢と、イザベラ辺境伯閣下のご子息です」
……沈黙。
オズワルドの表情が、わずかに変わった。
だが。
次の瞬間。
「……それがどうした!」
彼は、吐き捨てた。
「……貴族同士の問題だ。政治で解決すればよい!」
そして。
執事へ命じた。
「……貴族院の連中を呼べ」
「……はっ!」
「……教育評議会にも連絡しろ」
オズワルドは、冷たく笑った。
「……事件を事故として処理させる」
その瞬間。
彼は、まだ理解していなかった。
自分が、どれほど恐ろしい相手を敵に回したのか。
◇
同じ頃。
ヴァルディス公爵邸。
「……父上」
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、執務室の扉を叩いた。
「……入れ」
中へ入ると、父上アルフォンスが書類を確認していた。
その隣には、レオナード叔父上。
イザベラ伯母上。
そして、母上エレオノーラ。
四人が、揃っていた。
「……レオン」
父上が、顔を上げた。
「……シャルロットとルシウスは?」
「……少し、落ち着いています」
俺は、頷いた。
「……シャル姉は、まだ熱がありますけど」
「……そうか」
レオナード叔父上が、深く息を吐いた。
「……あの子は、昔から無理をするからな」
イザベラ伯母上も、静かに頷いた。
「……ルシウスも、同じね」
……。
俺は、少しだけ笑った。
「……二人とも、強いですから」
「……ああ」
叔父上が、頷いた。
「……本当に、強い子たちだ」
だが。
その声には、深い悲しみが滲んでいた。
◇
「……レオン」
父上が、静かに口を開いた。
「……はい」
「……お前にも、見せておこう」
そう言って、一枚の書類を差し出した。
そこには。
ファルケンハイン侯爵家の名前。
そして。
王国教育評議会への資金提供記録。
「……これは?」
俺が、尋ねる。
父上は、静かに答えた。
「……ファルケンハイン侯爵家が、学園運営に関与していた証拠だ」
……。
俺は、書類を見つめた。
「……資金提供そのものは、違法ではありませんよね?」
「……その通りだ」
父上は、頷いた。
「……だが」
その瞳が、鋭くなる。
「……問題は、その金の使い道だ」
母上が、静かに口を開いた。
「……レオンちゃん」
「……はい」
「……この資金の一部が、演習用魔導装置の改修費として使われているの」
……っ!?
俺は、目を見開いた。
「……まさか」
母上は、頷いた。
「……ええ」
そして。
「……前回の異常反応が起きた後、改修が行われた記録があるわ」
……。
俺は、静かに息を吐いた。
……つまり。
誰かが、意図的に装置へ手を加えた。
その可能性が、さらに高くなったわけか。
◇
「……しかも」
イザベラ伯母上が、静かに続けた。
「……改修を請け負った工房は、ファルケンハイン家の関連企業よ」
……。
俺は、書類を見つめた。
そこには。
複数の企業名。
そして。
資金の流れ。
「……これは、偶然じゃなさそうですね」
「……そうね」
伯母上が、頷いた。
「……ただし、まだ断定はできない」
父上が、静かに言った。
「……だからこそ、正式な調査が必要だ」
……。
俺は、頷いた。
「……分かりました」
そのとき。
執事が、慌てて入ってきた。
「……公爵閣下!」
「……何だ?」
「……ファルケンハイン侯爵家より、書簡が届いております!」
父上は、静かに手を伸ばした。
「……見せろ」
書簡を受け取る。
そして。
読み始めた。
……数秒後。
父上の表情が、変わった。
「…………」
……。
俺は、息を呑んだ。
……何だ?
父上が、こんな顔をするなんて。
「……アルフォンス」
母上が、静かに尋ねた。
「……何が書いてあるの?」
父上は、書簡を机の上へ置いた。
そして。
低い声で告げた。
「……示談の申し入れだ」
……沈黙。
「……示談?」
レオナード叔父上が、呟いた。
「……ああ」
父上は、頷いた。
「……相応の金銭を支払う代わりに、今回の件を事故として処理してほしいそうだ」
……。
その瞬間。
部屋の空気が、凍りついた。
◇
「……へえ」
レオナード叔父上が、笑った。
だが。
その笑顔は、恐ろしいほど冷たかった。
「……金か」
……。
「……俺の娘が、血を吐いて倒れた」
叔父上は、静かに続けた。
「……そのことを、金で済ませるつもりか」
……沈黙。
イザベラ伯母上も、静かに微笑んだ。
「……面白いわね」
……。
「……私の息子の命に、値段をつけるなんて」
その声は、氷のように冷たかった。
母上が、書簡を手に取った。
そして。
静かに読んだ。
「……なるほど」
彼女は、優しく微笑んだ。
「……アルフォンス」
「……何だ?」
「……この書簡、証拠として保存しましょう」
父上は、頷いた。
「……ああ」
そして。
静かに告げた。
「……ファルケンハイン侯爵家は、自ら逃げ道を狭めたな」
◇
翌朝。
王城。
王国司法庁。
「……緊急捜査令状が発行されました!」
司法官が、叫んだ。
「……対象は、ファルケンハイン侯爵家関連企業!」
「……教育評議会の資金記録も調査対象!」
「……関連する魔導工房も!」
王国の捜査官たちが、一斉に動き始めた。
そして。
ファルケンハイン侯爵邸。
「……何だ、これは!?」
オズワルドが、叫んだ。
屋敷の門前には、王国司法庁の捜査官。
さらに。
近衛騎士団の兵士たちが、並んでいた。
「……ファルケンハイン侯爵閣下」
捜査官が、静かに告げた。
「……王国司法庁の命令により、関連記録を押収します」
「……ふざけるな!」
オズワルドが、怒鳴った。
「……私は侯爵だぞ!」
捜査官は、表情を変えなかった。
「……承知しております」
そして。
「……ですが、王命です」
……沈黙。
オズワルドの顔から、血の気が引いた。
「……王命……?」
「……はい」
捜査官は、静かに頷いた。
「……陛下の正式な裁可を受けています」
その瞬間。
オズワルドは、初めて理解した。
……これは。
単なる貴族同士の争いではない。
王国そのものが、動いている。
◇
同じ頃。
王立アストレア学園。
俺は、医療棟の窓から外を見つめていた。
「……レオン」
背後から、声が響いた。
振り向く。
そこには、セレスティア・ルミナスが立っていた。
「……セレス」
彼女は、静かに歩み寄ってきた。
「……シャルロット先輩とルシウス君は?」
「……少しずつ、回復してる」
「……そう」
セレスは、安心したように息を吐いた。
そして。
俺の手を、そっと握った。
「……レオン」
「……ん?」
「……一人で、抱え込まないで」
……。
俺は、少し驚いた。
彼女は、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「……私も、あなたの力になりたい」
……。
俺は、静かに頷いた。
「……ありがとう」
その瞬間。
セレスは、少し頬を赤くした。
「……当然よ」
俺は、窓の外を見つめた。
……父上たちが、動いている。
そして。
王国も、動き始めた。
だが。
俺の胸の奥にある怒りは、まだ消えていない。
……必ず。
真相を、明らかにする。
そして。
シャル姉とルシウスを傷つけた者には。
相応の責任を、取ってもらう。




