第7話 : 獣人の鼻と、無一文の買い物
「ハルト殿、絶対にフードを上げないでくださいね。行きますよ……!」
近衛騎士団長のエリザを先頭に、ハルトたちは目的の辺境都市『ガルディア』へと足を踏み入れた。
ハルトの服装は、深めのフードがついた厚手のローブ。その周囲を、剣を差したエリザとカレン、斧を担いだセルマ、魔法の杖を握るルチア、聖印を抱くクレア、そして周囲に目を光らせるミリィの6人が完全な『V字陣形』でガチガチに固めている。
「……ねえみんな、これ逆に目立ってないかな?」
ハルトが困惑気味に呟いた。
街を行き交う女性たちが、武装した美女集団とその中心に守られている『謎の人物』を奇異な目で見つめている。
「仕方がありません。ハルト殿の安全と、私たちの心の平穏のためです」
エリザがキリッとした真顔で言い切る。
ガルディアの市場は、色とりどりの露店が立ち並び、活気に溢れていた。
果物や肉、魔法道具、衣類などが所狭しと並べられており、その9割以上が女性の買い物客や商人たちだ。ハルトは目深にかぶったフードの隙間から、初めて見る異世界の景色に興味津々で目を輝かせていた。
「へえ……これが異世界の市場か。賑やかで面白いな」
「ハルトさん、楽しそうで何よりだわ。でも、絶対に私たちの陣形から離れないでね」
カレンが周囲を警戒しながら微笑む。
だが、ハルトが市場の賑やかさに感心していた、まさにその時だった。
露店でリンゴを選んでいた一人の女性冒険者——ふんわりとした犬耳を生やした獣人族の少女が、ピクッと耳を立たせた。
「……んん?」
彼女は鼻をひくひくさせ、クンクンと空気を嗅ぎ始めた。
「な、なにこの匂い……? 甘くて、香ばしくて……すっごく優しくて雄々しい、良い匂いがする……?」
獣人族特有の超絶な嗅覚が、ハルトの体臭を捕らえたのだ。
ハルトが日頃から手作りのハーブ石鹸で体を洗い、【家事全般】スキルで清潔に保たれた服から漂う、男らしくも清潔感に溢れた匂い。
犬耳の少女はハッと目を見開き、市場の中心に向かって叫んだ。
「嘘……嘘でしょ!? 『男性』の匂いがするーーーっっっ!!!」
静まり返る市場。
一秒の後——どっと激震が走った。
「「「「えぇぇぇぇーーーっ!? 男の人ぉぉぉ!???」」」」
「どこ!? どこに男の人がいるの!?」
「キャーッ! 本物の男の人!? 最後に見たのいつだっけ!?」
「どこよ!? 姿を見せなさい!!」
市場にいた数百人の女性客や商人たちが、一斉に血眼になって周囲を見回し始めた! 女性たちの目が獣のようにギラギラと光り、市場全体がパニック映画のような大騒動へと変貌していく!
「な、なんだ!? 急にみんなどうしたんだ!?」
ハルトが狼狽すると、獣人シーフのミリィが顔を青くして叫んだ。
「しまっ……! 獣人族の鼻を警戒してなかったニャ! ハルトの甘くてかっこいい匂いがバレたのニャ!!」
「なんですと!?」
エリザの顔から血の気が引く。
「ハルト殿、伏せてください! 害虫ども(他の女)に顔を見せてはなりません! 全員、撤退します!! ハルト殿を死守せよ!!」
「「「「「了解!!!」」」」」
「うわあああっ!?」
ハルトは6人に抱え込まれるようにして、もみくちゃになる市場の混乱をすり抜け、狭い路地裏へと滑り込んだ。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」
路地裏の影で、ハルトは胸を押さえて荒い息を吐いた。
「だ、大丈夫ですか、ハルト殿……!? お怪我はありませんか!?」
エリザたちが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「うん、大丈夫……。だけどびっくりしたな。この世界の女性って、本当に男性に敏感なんだね……」
「だから言ったじゃないか! あんたは自分自身の『男としての危険な魅力』を無自覚すぎるんだよ!」
セルマが呆れ顔で、けれどどこか嬉しそうに言った。
なんとか騒ぎを撒いた一行は、路地裏を通って比較的空いている農産物エリアへと移動した。
「ふぅ、気を取り直して調味料を探そう」
ハルトは露店に並ぶ瓶や袋をチェックし始めた。
だが、やはりと言うべきか、日本の「醤油」や「味噌」といった完成された発酵調味料は見当たらない。あるのは塩、酢、香辛料、そして謎の甘い果汁ペーストくらいだった。
(まあ、そりゃそうだよな。異世界に都合よく醤油があるわけないか……)
ハルトが苦笑いしながら諦めかけた、その時だった。
農家の露店の隅に置かれた大きな麻袋が、ハルトの目に留まった。
そこには、丸くて黄色い、小さな豆が山盛りに積まれていた。
「……ん? これって……」
ハルトは吸い寄せられるように露店へ近づき、その豆を一粒手にとって観察した。
硬い皮、独特の芽の形、そして仄かな青くささ。
(大豆……!? いや、地球の大豆とは少し違うかもしれないけど、この形と質感は間違いなく大豆の親戚だ!)
ハルトの胸がドキンと高鳴った。
醤油や味噌が売っていないなら、自分で作ればいいのだ。
【家庭料理】スキルと、前世の実家(農家)で祖父と一緒に味噌を仕込んだ記憶、そして【生活魔法】の温度管理があれば、この豆を使って麹を作り、自家製の味噌や醤油を発酵・醸造できるかもしれない!
「すみません、この豆、一袋ください!」
ハルトはテンションが上がり、思わず店主に声をかけた。
「はいよー! 一袋で銀貨三分だけど……って、あれ?」
ハルトはポケットに手を突っ込み——そして、ピキッと固まった。
(あ…………)
冷や汗がダラダラと額を伝う。
(俺……この世界の『お金』を、一文も持集めてない……!!)
記憶喪失(という体)で森で目覚めてから一ヶ月、ハルトは自給自足のサバイバル生活を送っていた。実家からお金を持ってきたわけでもなく、魔物を倒して金貨を得たわけでもない。完全に「無一文」だったのだ。
「あ、あの……ハルト殿……?」
エリザがハルトの硬直に気づいて声をかける。
「ご、ごめん……店主さん、やっぱり撤回で……。俺、お金持っ……てなくて……」
ハルトはがっくりと肩を落とした。大人の男として、買おうとしたのに無一文だったという事実は地味に精神的ダメージが大きい。
「なんだ、ハルト殿! お金なら私のお使いください!」
エリザが即座に金貨がギッシリ詰まった革袋を取り出した。
「ダメだハルト、アタシの金を使ってくれ! 職人ギルドの積立金がある!」
「ハルトさん、冒険者協会の報酬金がありますわ!」
6人が一斉に財布を差し出してくる。
だが、ハルトは首を横に振った。
「ううん、みんなありがとう。でも、みんなが稼いだ大事なお金を、俺の趣味(調味料作り)で使わせてもらうわけにはいかないよ。やっぱり、自分の欲しいものは自分で稼いだお金で買いたいんだ」
ハルトの頑固なまでの「男の矜持」と気遣い。
6人はまたしても胸をギュッと締め付けられ、「どこまでカッコいいの……」と赤面して溜め息を漏らした。
結局、ハルトたちは豆を買うのを諦め、重苦しい護衛体制のままログハウスへと帰路についた。
帰りの森道。夕日に照らされながら、ハルトは腕を組んで考えていた。
「うーん……この世界でお金を稼ぐには、どうしたらいいかな……」
「ハルトさん、やっぱり冒険者になって魔物を倒すのが一番手っ取り早いけれど……ハルトさんを戦場に出すなんて絶対に嫌よ!」
カレンが即座に反対する。
「俺も戦闘は無理だよ。となると……俺ができることで売れるもの……」
ハルトは自分の手元を見つめた。
【日曜大工】で作った頑丈で機能的な木製家具。
【家庭料理】で作った絶品の燻製肉や保存食。
【家事全般】で研ぎ澄ませた、使い心地抜群の工具類。
「そうか……俺が作った家具や燻製、あるいは道具の手入れ(メンテナンス)を街で売ってみるってのはどうだろう?」
ハルトが思いついた提案に、大工のセルマと魔法使いのルチアが目を見開いた。
「あんたのあの家具や工具の手入れを……市場で売る……!?」
「ハルトさんのあの神技のような精密加工と、魔力制御のアイテムが市場に出たら……一体いくらの値がつくの……!?」
「え? いや、ただの自作品だし、そんな大した値段はつかないと思うけど……」
ハルトは爽やかに笑った。
(よし、まずは売り物にするための木材集めと、家具作りから始めてみるか! 自分で稼いだ金で、あの『大豆もどき』を買って味噌を作るぞ!)
無一文の現実から一転、ハルトの無自覚なモノづくり&金稼ぎ計画が、新たなスローライフの目標として動き始めるのだった。




