第4話 : 記憶の欠片と、セルフビルド
「——え? 自分の昔の記憶がない、ですか……!?」
賑やかな朝食のテーブルで、近衛騎士団長のエリザが素狂したような声をあげた。
ハルトのログハウスの庭に設置された大きな木製テーブルには、今朝も焼きたてのふっくらパンと、新鮮な野菜と干し肉がごろごろ入った温かいスープが並んでいる。
それを囲むのは、エリザ、大工のセルマ、そして冒険者パーティ『銀翼の旅路』の4人(カレン、ルチア、クレア、ミリィ)という豪華すぎる面々だ。
「ああ。恥ずかしい話なんだけどさ」
ハルトは木彫りのスープカップを置き、困ったように頭をかいた。
(さすがに『別の世界から飛ばされてきました』なんて言っても頭がおかしくなったと思われるだけだしな……。無用な混乱を避けるためにも、ここは記憶喪失ってことにしておくのが一番無難だろう)
そんな大人の処世術から出た、咄嗟の嘘だった。
「一ヶ月くらい前、気がついたらこの森の真ん中で倒れていてね。自分の名前が『ハルト』であることと、今年で30歳だってこと、あとは身体が覚えてるスキルの使い方くらいしか記憶がないんだ」
「な……ッ!?」
その場の全員が息をのんだ。
「だ、だからさ、実は俺、この世界の常識とか国のこととか、全然詳しくないんだよ。さっきみんなが話していた国名も、正直ピンと来てなくて……」
ハルトが気まずそうに微笑むと、最年長冒険者のカレンが胸を押さえ、血の気の引いた顔で呟いた。
「ここは……『アルテニア』と呼ばれる世界で、私たちが所属しているのは『ヴェルタリア王国』よ。……ハルトさん、本当に何も覚えていないの……? 自分がどこから来たのかも……?」
「うん。でもまあ、幸いなことに体の動かし方や道具の使い方は手が覚えてたからね。なんとか一人で生きてこられたんだ」
ハルトはそう言って、自家製の焼き立てパンをパクリと口に含んだ。
しかし、食卓を包む空気は、ハルトの軽い口調とは裏腹に、恐ろしいほどの緊張感と悲痛さに満たされていた。
(き、記憶を……失っている……!?)
エリザの脳裏に、凄まじい衝撃が駆け抜ける。
この世界『アルテニア』は、男性の生まれる確率が極めて低い【男女比1:9】の社会だ。
政治も、軍事も、重労働も、魔法の研究も、すべては女性の手によって行われる。男性は幼少期から家の中で大切に保護され、外の世界の危険から遠ざけられて育つのが当たり前なのだ。
それなのに——。
(名も知れぬ森の中で一人、記憶を失って目覚め……身寄りも、頼れる者もいない絶望の中で……このお方は、たった一人で生き延びてきたというのか……ッ!?)
ヒロインたちの視線が、ハルトの無自覚な「回想」へと注がれる。
ハルトの頭の中に浮かんでいたのは、一ヶ月前の本当の記憶——異世界へ転移してきた直後の、泥臭いサバイバルの日々だった。
(いやぁ、あの時は本当に焦ったよな……)
気がつけば見知らぬ森の中。
持ち物は着の身着のまま。だが、ステータスを確認すると【日曜大工】【家庭料理】【家事全般】【生活魔法】【体力回復UP】という、スローライフ特化のスキルが揃っていた。
最初にぶつかった壁は「火」と「水」の確保だった。
ハルトは攻撃魔法など使えない。だが、手に入れた【生活魔法】の火や水の魔法を、現代日本の生活家電——「ガスコンロのトロ火」や「水道の蛇口」の感覚で、ミリ単位の極小出力でコントロールするコツを数日で掴んだ。
(現代で一人暮らしをしてた時の家電の感覚が役に立つとは思わなかったな。魔法を『便利な生活ツール』として微調整すればいいんだって気づいてからは一気に楽になった)
次に着手したのが、雨風を凌ぐための「家づくり」だ。
野宿の限界を感じたハルトは、実家の農家で仕込まれた薪割りの技術と、生前に趣味で観まくっていた「YouTubeのセルフビルド(ログハウス自作)動画」の知識を総動員した。
手斧を振るい、丸太を切り出し、【日曜大工】スキルの精度補正と、微小な【風魔法】で丸太を持ち上げるアシストを組み合わせて、ノッチ加工(丸太の噛み合わせ)を施していく。
道具の手入れは【家事全般】スキルで完璧に行い、ものの数日で頑丈なログハウスを組み上げてしまった。
さらに、自家菜園を作り、庭で燻製肉を仕込み、ハーブを焚いて防虫対策を行った。
(実はこのハーブと燻製の香りが、ハルトの知らぬ間に強い魔物を遠ざける『天然の魔物除け』となり、この家を絶対安全なセーフゾーンに変えていたのだが、本人はただの『虫除けと飯の準備』としか思っていない)。
(まあ、記憶がないなりに『男なんだからこれくらい自分でやらなきゃな』と思って必死にDIYと料理をしてたら、いつの間にか快適なスローライフになってたわけだ)
ハルトがそんな回想を終え、「まあ、そんな感じだったからさ。世界の常識とか、いろいろ教えてもらえると助かるよ」と笑いかけた、その時だった。
「ハルト様ぁぁぁーーーっっっ!!!」
「ぶはっ!?」
突如、獣人シーフのミリィが激しい号泣とともにハルトの腰に抱きついてきた。
「なんて……なんてかわいそうなのぉぉぉ! 記憶を無くして、暗い森の中で一人ぼっちで……どれだけ寂しかったか、どれだけ怖かったか……!!」
「え? いや、別にそんなに悲惨じゃ——」
「ハルト殿……ッ!」
近衛騎士団長のエリザが、その場に深く膝をつき、感極まった面持ちでハルトの手を固く握りしめた。
「身寄りもなく、己の過去すら知らぬ中で……絶望に折れることなく、自らの手で斧を振るい、家を建て、スープを煮込み、今日まで逞しく生き抜いてこられたのですね……! なんという強靭な精神……なんという気高さ……!!」
「いや、ただYouTubeで観たログハウス作りの真似事をしただけで……」
「ユウチューブ……!? きっと古の失われた英雄の教えなのだな……! その教えを胸に、血の滲むような努力で魔法を極限まで精密制御し、誰にも頼らずにこの聖域を創り上げた……! 私、エリザ・フォン・ベルセルク、この命に変えても貴方をお守りすると誓います!!」
「いや誓われても困るんだけど!?」
「ハルト!!」
大工のセルマも目を真っ赤にして叫んだ。
「あんたのあの作業台も、完璧な工具の手入れも、全部一人で生きていくために血反吐を吐きながら身につけた技だったんだな……! もうあんたに一人で寂しい思いなんてさせない! 一生私が横で支えてやるからな!!」
「ルチアもクレアもカレンも、みんな目頭を押さえてボロボロと涙を流している。
「ハルトさん……私、今まで自分のことで精一杯でした……。でも、今日からはハルトさんの心の傷を、私が全力で癒やします……っ(ぎゅっと抱きつく)」
「クレア、ズルいぞ! ハルトさん、私を……私たち『銀翼の旅路』を、貴方の永遠の家族にしてください!!」
「ちょっと待ってみんな!! 落ち着いてくれ!! 俺はただ記憶がないってだけで、普通に快適に暮らしてたんだよ!!」
ハルトの叫びは、ヒロインたちの「過剰な同情」と「爆発した愛しさ」の大歓声によってあっけなくかき消されてしまった。
(異世界転移を誤魔化すために『記憶喪失』ってことにしたのに……なんで余計に大変なことになってるんだーーーっ!?)
静かなスローライフを送るはずだったハルトのログハウスは、ハルトを過剰に愛で、守り、甘やかそうとする最強ヒロイン6人による、熱烈な「ハルト争奪&甘やかし合戦」の戦場へと変わっていくのだった。




