第2話:この家を建てたのは誰だ!?
「う、ううん……ここは……?」
ゆっくりとまぶたを開けると、見慣れない木の天井が視界に飛び込んできた。
身体を起こそうとして、エリザは息をのんだ。
全身を包み込んでいるのは、信じられないほどふんわりとした温かい毛布。そして背中を支えているのは、嫌な沈み込みのない、絶妙な反発力を持った木製のベッドだった。
「……傷の手当まで、してくれたのか」
鎧を外され、綺麗な布で泥を拭い去られた自分の肌を見る。
身体の奥には、先ほどいただいたあの奇跡のようなスープの温もりがまだ残っており、重かった疲労感が嘘のように和らいでいた。
ふと部屋を見回すと、壁も天井も、美しい木目が揃ったログ材で隙間なく組み上げられている。木質の香りが鼻腔をくすぐり、精神を心からリラックスさせてくれた。
「目覚めたかい? 無理に動いちゃダメだぞ」
トントン、とノックの音とともに扉が開き、木製のトレーを持った男——ハルトが部屋に入ってきた。
「ハルト……殿」
「お湯と、口直しのお茶を持ってきた。ハーブを少し淹れてあるから、飲むと気持ちが落ち着くと思う」
「あ、感謝する……」
差し出された木彫りの湯飲みを受け取り、一口すする。
柔らかな香りが口いっぱいに広がり、疲弊した心がじんわりと解き破られていくのを感じた。
(なんという手際……なんという気配り……! このお方は、ボロボロだった私を介抱し、服の手入れまでしてくれたというのか……!?)
「あの……ハルト殿。不躾な質問なのだが……この部屋や家具、それにこの家は一体……?」
「ん? ああ、俺が【日曜大工】のスキルで作ったんだ。手斧で丸太を削って、ノッチ加工で噛み合わせてな。丸太の補強強度を引き出すスキルの補正がかかってるから、結構頑丈だと思うよ。あ、このベッドも自作だ」
ハルトは何でもないことのように笑いながら言った。
「自作……!? 男の手で、これほどの精巧な木造建築を……!? 魔法も使わずに!?」
「まあ、微小な【風魔法】で丸太を持ち上げるアシストくらいはしたけどね。大したことないよ。男なんだからこれくらい普通だろ?」
「普、普通……!?」
エリザは絶句した。
女性が建物を建て、男性は家の中で守られる——それがこの世界の絶対の常識だ。
それをこの男は、たった一人で、手工具と微小な生活魔法の精密なコントロールだけで組み上げたというのだ。
(恐ろしい……! 恐ろしいほどの甲斐甲斐しさと、圧倒的な技術と力量……! このような男が存在して良いのか……!?)
エリザの顔が再び真っ赤に染まりかけた、まさにその時だった。
「おい!! ここにいるのは誰だーーーっ!!」
ドガン!! と、ログハウスの庭から怒鳴り声が響き渡った。
「ん? お客さんかな。エリザさんは休んでて」
「あ、ハルト殿……!?」
ハルトは首をかしげながら外へと向かった。
ログハウスの庭に立ち、仁王立ちしていたのは一人の若い女性だった。
作業着のような服を纏い、腰には巨大な金槌とタガネをぶら下げている。引き締まった体躯と、職人らしい鋭い目つき。
彼女こそ、この辺境街で腕利きの大工・鍛冶師として知られるセルマ(20歳)だった。
「あんたか!? この森の中に勝手に建物を建てた奴は!!」
セルマはハルトを見るや否や、ぐいぐいと詰め寄ってきた。
「ん? そうだけど……あ、もしかしてここ、誰かの所有地だったか?」
「土地の話じゃない!! 私はこの近くの町で職人をやってるセルマだ! 森の中に突然、あり得ない精度の木造建築が建ったって噂を聞いて飛んできたんだよ!」
セルマは腕を組み、鋭い視線でログハウスの壁面を睨みつけた。
「おいおい……近くで見るとさらに頭がおかしいぞ、この作り……! 丸太と丸太の噛み合わせにまったく隙間がない。それどころか、木材全体の強度が通常の三倍近くまで引き上げられている……! どんな土魔法の名工が建てたんだ!?」
「いや、魔法じゃなくて手斧とノッチ加工で作ったんだけど……」
「はあ!? 馬鹿なこと言うんじゃないよ! 人間の手作業でこんな精度が出るわけ……」
言いかけたセルマの視線が、庭の隅に置かれた「作業台」に釘付けになった。
それはハルトが日曜大工のために木材を加工するスペースだ。
使いやすい高さに設計された木製の作業台。整理整頓された棚には、ハルトが手入れ(【家事全般】スキル)したノコギリやノミが、一ミリの狂いもなく美しく並べられていた。
「な……なんだい、この作業台は……!?」
セルマは吸い寄せられるように作業台へ駆け寄り、その表面を撫でまわした。
「工具が一番力を入れやすい高さと角度……! 丸太を固定するための万力構造まで木製で自作されている……!? この工具の研ぎ澄まされ方はなんだ!? 刃こぼれ一つないじゃないか……!!」
「ああ、道具の手入れと整理整頓は基本だからね。作業効率も変わるし。使いやすいようにパパッと自作したんだ」
ハルトが普通に答えると、セルマはガタガタと肩を震わせ始めた。
「じ、自作……!? この完成度の作業台を……!? 男の手で……!?」
セルマはハルトの手元を見た。
そこには、長年の農業とDIYで鍛え上げられた、ゴツゴツとした力強い男の手があった。
(嘘だろ……!? 道具への深い愛と理解、完璧な採寸、そして寸分の狂いもない加工技術……! 男が……こんな凄まじい技量を持っているだと……!?)
セルマの脳内に、衝撃が走り抜ける。
この世界において、男性の職人仕事など「おままごと」扱いだ。力仕事も繊細な加工も、すべて女性の仕事とされている。
だが、目の前の男が作ったこの空間はどうだ。
無駄がなく、頑丈で、それでいて使う者への優しさと機能美に溢れている。
「あ、あのさ。金槌の柄の角度、少しズレてないか? 握りにくそうだけど」
「え……?」
ハルトはセルマの腰の金槌を指さした。
「使い込むうちに柄が削れてバランスが崩れてるんだと思う。良かったら少し調整してあげようか? 日曜大工のついでに道具の手入れをするのは好きだからさ」
「あ、ああ……頼む……」
セルマは半ば呆然としながら金槌を手渡した。
ハルトは作業台に向かうと、小刀とやすりを取り出し、シュ、シュと軽快な音を立てて金槌の柄を削り始めた。
手慣れた無駄のない動き。微細な【生活魔法】で木屑を吹き飛ばしながら、ものの数分で柄の握り心地を完璧に整えてみせた。
「ほい、出来たよ。握ってみてくれ」
手渡された金槌を、セルマが握りしめる。
「〜〜〜〜っ!?」
指の形に吸い付くような、完璧なフィット感。
振り下ろした時の重心の位置が、以前とは比べ物にならないほど安定している。
「な……なんだこれは……!? 私が何年も使い込んできた相棒が、生まれ変わったみたいだ……!!」
「だろ? 道具は大事に使わないとな。男なんだからこれくらい普通だよ」
ハルトが爽やかに笑ってみせる。
「つ……つ……」
「つ?」
「強い……なんて雄々しく……圧倒的な技術と男気なんだ……!!」
セルマの顔が真っ赤に染まり、その瞳に熱い尊敬と——明確な恋色が灯った。
「ハルト!! 頼む、私をあんたの弟子にしてくれ!! いや、弟子じゃ足りない!! 一生あんたの作業台の隣で金槌を振るう妻にしてくれーーーっ!!」
「えぇぇぇ!?? なんでそうなるの!?」
ガバッとハルトの手に飛びつこうとするセルマ。
そこへ——
「待ちなさい!! ハルト殿に気安く触れるな!!」
長剣を腰にさしたエリザが、ログハウスから飛び出してきた!
「な、なんだあんたは!? 私はいま人生で最高の『漢』に出会ってプロポーズしてるところなんだよ!」
「ハルト殿は私の命の恩人であり、私が最初に見つけた理想の旦那様だ! 押し掛け女が気安く迫るな!」
「なんだとバカ騎士! 先に見つけた方が勝ちなんて決まりはないだろ!」
バチバチと火花を散らすエリザとセルマ。
「えーっと……二人とも、とりあえず温かいスープでも飲んで落ち着かないか……?」
ハルトの困り顔の声をよそに、静かだったハルトのログハウスは、一気に賑やかな(そして勘違いに満ちた)大騒ぎへと巻き込まれていくのだった。




