第14話「朝の珈琲と、十八年目の重さ」
第14話「朝の珈琲と、十八年目の重さ」
翌朝、七時半ちょうど。ホテルの片隅にある小さな喫茶コーナーのボックス席に、俺は座っていた。
少しして、私服に着替えた美津子さんがやってきた。仕事上がりのはずなのに、その目には強い光が宿っている。注文したブレンド珈琲が二人の間に運ばれてくると、彼女は単刀直入に切り出した。
「太田さん。あなたが小学五年の終わりに防府を引っ越した後、小学六年の終わりに美樹が高松へ引っ越すまで、私、美樹と同じクラスだったの」
「そう、なんや……」
「あの頃の美樹、ずーっと泣いとったんよ。涼太が遠くに行っちゃったって。クラスの男子にからかわれても、頑なに次の恋なんかしないって言い張ってさ」
美津子さんは珈琲を一口すすり、どこか遠くを見るような目を向けた。
「高松に行ってからも文通はずっと続いたし、中学二年で携帯を持ってからは毎日のように連絡取り合ってたんよ。でもね、いつだって美樹の話の中心には『涼太』がおったんよ。『涼太ならこう言うと思う』『涼太は西宮で元気かな』って。ずっと、ずーーっと、あなたの影を追いかけてた」
胸の奥が、ちくりと痛んだ。俺が大阪で受験だ就職だと自分の人生を必死に生きていた間、美樹の時間は、あの防府の夕暮れで止まったままだったのだ。
「あの子がこれまで、どれだけ孤独だったか分かる? 他の男の人からアプローチされても、全部断るんよ。『私にはいつか帰ってくるヒーローがおるから』って。周りの友達からはね、冷たい言い方だけど、実在するかも分からん過去の男をいつまで待っとるん、頭おかしいんじゃないん、って笑われとったんよ」
美津子さんの声に、少しだけ感情が混じる。
「それでも美樹は笑って、毎週、防府天満宮に通い続けよった。『涼太に会えますように』って。……ねえ、太田さん。あなた、そんな美樹の想いを知って、今ここにいるの?」
「俺は……」
「ただの気まぐれや、会社を辞めて暇ができたからっていうセンチメンタルな旅のついでなら、お願いだから今すぐ荷物をまとめて大阪に帰りなさい。あの子をこれ以上傷つけることだけは、幼馴染みの私が絶対に許さんから」
ピシャリと言い放たれた言葉は、ナイフのように俺の胸に突き刺さった。
だけれど、それは逃げ出したくなるような痛みではなかった。
美樹が十八年間、どれだけの孤独に耐え、どれほど重い祈りを捧げ続けてきたか。その「本当の重さ」が、美津子さんの怒りを通じて、生々しいほどの質量を持って俺の身体に染み込んできた。
俺は美津子さんの目を真っ直ぐに見つめ返し、深く息を吸った。
「帰らんよ」
「……え?」
「最初は、ただの自分探しの旅やったかもしれない。でも、美樹に再会して、あいつの気持ちを知った。美津子さん、教えてくれてありがとうな。俺、もう逃げへんよ。美樹の十八年間の想いも、あいつのこれからの人生も、全部俺が背負う。その覚悟を決めるために、俺はここに来たんやと思う」
俺の、飾り気のない本音だった。
美津子さんは驚いたように目を見開いた後、ふっと肩の力を抜き、初めて柔らかい笑みをこぼした。
「……そう。口だけじゃないことを祈るわ。美樹、もうすぐ来るんじゃない? 頼りにしてるわよ! ヒーロー君」
「あ、ああ。ありがとな」
伝票を持って立ち上がる。
朝の光が差し込むロビーへと歩きながら、俺の胸の中には、昨日までの迷いや不安は一切消え失せていた。ただ、美樹を幸せにするという、揺るぎない覚悟だけが、熱い塊となって脈打っていた。




