55話 折り紙
蒼が呪いを受けてから三日目の晩になった。大丈夫だ、聖水はきちんと効果を発揮してる。そう信じてても、不安で落ち着かない。二人でソファーに座り、固唾を飲んで時計を見つめる。遂に呪いを受けた時間を過ぎた。
「何とも無いか? 体は平気か?」
「ええ、特に変化は無さそう」
「良かった、良かったよぅ……」
穏やかに笑う蒼を見てるうちに、緊張の糸が切れて嬉し涙が滲んだ。
「もう、そんなに泣いていたら、いつかミイラに戻ってしまうかもしれないわよ?」
そう言うと蒼は俺の背中に腕を回した。想像もしてなかった蒼からのハグに、喜びと驚きで体がビクッと跳ねる。蒼の背中に腕を回しかけて、どうにか思い止まった。
「……い、良いのか?」
蒼は照れたように俺を見上げ頷いた。
「今回は特別。私がきちんと生きていると確認したくないの?」
「うっ、うんっ! したい!」
涙と鼻水を拭き、遠慮なく蒼の背中に腕を回す。キュッと抱きしめると、いつも通りの控えめなシャンプーの匂いと、心地良い体温を全身で感じた。蒼の息遣いと、いつもより少し早い鼓動の音を聞いてると、腕の中で確かに蒼が生きてる実感が湧き更に涙が出る。
「うん、ちゃんと生きてる。良かった、本当に良かったぁ〜」
それからしばらく蒼は静かに、俺を安心させるように、ただ背中をポンポンと叩いてくれていた。
*
翌日の夕方、蒼と一緒にテプンルバー通りの南端へ来ていた。会議が終わらないと合流出来ないフィンリーの代打で、知り合いの医者だと言う、ベテランヴァンパイアハンターが来てくれるはずなんだけど……。指定された待ち合わせ場所で、かれこれ三〇分以上は待ってるのに全然来ない。
「出来た!」
暇つぶしにキャラメルの包み紙で折り紙を折ってるけど、これで何個目だろう?
「今度は何を折ったの? この暗がりだと見えなくて」
「足の生えた紙飛行機」
「へ、へえ……さっき見せてくれた跳ねるカエルもそうだったけど、足が生々しいわね……」
蒼がスマホの懐中電灯で照らしながら微妙な表情をする。ちゃんと立つところとか、結構気に入ってたんだけどな……。
この頃は日の入りが早くなってきてるせいか、もう暗くなってしまった。蒼は何事もなさそうに振る舞ってるけど吐く息が白く、耳の端と鼻の頭が赤くなってる。
「何か温かい飲み物でも買いに行かないか?」
「とても魅力的なお誘いだけど、私達は待ち合わせ中なのよ?」
「寒いんだろ? あそこのカフェとか温かそうだ。連絡無しに三〇分も待たせる奴なんか、少しくらい困らせても良いんじゃないか?」
「そんな意地悪な事言わないの。まあ確かに、この場所が見えるあそこのカフェで待つのなら、良いかもしれないわね」
「うん。あそこならホットチョコレートがある予感がするんだ。行こう」
「ええー、どうせホットチョコレートの匂いを嗅ぎつけたんでしょ?」
二人でカフェに向かいかけた時、壮年のくたびれた雰囲気の男が駆け寄って来た。そう言えばあの顔、昨日のリチャードの葬式で見たな。俺も蒼も参列せず、少し離れた場所から見てただけだったけど、間違い無い。男は俺達の前へ来ると、困ったような微笑みで頭を下げた。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません!」
ん? よく見れば、整った顔立ちをしてるし、医者というだけあって白髪混じりの茶髪は、ある程度整えられ清潔感がある。服装や髪型が変わるとイケオジになりそうだ。
「こんばんは、アオイさんとジョージさんですね? 僕はフィンリーさんの代打で参りました、デボン ファレルと申します。よろしくお願いします」
もしかして遅れて来たのって、仕事をして直行して来たからか? デボンからは、ほんのうっすらだけど血の匂いと言うか、吸血鬼の匂いがする。
……怖っ! 俺にやましいところは無いはずだけど、あまり大きな態度を取ったりしないよう、気をつけよっと。
「寒空の中お待たせしたお詫びと言っては何ですが、こちらをどうぞ。買ったばかりなのでまだ温かいはずですよ」
そう言いながら、両手に持った湯気が上がる紙コップを差し出した。おおっ、ホットチョコレートだ。蒼のは匂いからしてストレートティーだろう。
受け取ろうと手を伸ばすと、さっきキャラメルの包み紙で折った折り鶴が落ちた。たぶん袖口に入っちゃったんだろう。慌てて拾い、ポケットへ仕舞ってからホットチョコレートを受け取る。
「ありがとうございます! ホットチョコレートが好きなんですよ〜」
「良かったわね。私も紅茶党なので嬉しいです。ありがとうございます」
「喜んでいただけて、買って来た甲斐がありました。ところで今のは折り紙ですよね? アオイさんが折られたとか?」
「いいっ——は、はい!」
否定しかけて慌てて頷く。俺より蒼が折ったと言った方が自然だ。ホットチョコレートを飲んでると、蒼からの『私にあんな変なレパートリーは無い』と言いたげな視線を感じた。
「やはりそうでしたか。実物は初めて見ました。一枚の紙で様々な形が作れるとは素晴らしい技術ですね。今度僕にも折り方をご教授願えますか?」
「え、ええ……」
蒼が引き攣った笑みを浮かべ頷く。悪い事しちゃったか? 俺が折ったと言っておくべきだったもしれない。まあ社交辞令だろうけど。
「蒼、悪いんだけど飲み物を交換してくれ。キャラメルを舐めた後で甘さを感じないんだ」
「しょうがないわね……。あの、せっかく選んでくださったのに、すみません」
蒼に脇腹を小突かれ、一緒に頭を下げる。
「ごめんなさい」
デボンはやはり少し困ったような微笑みで首を振った。これがデボンの笑い方なんだろう。
「いいえ〜お気になさらず。しかし……レイラ コリンズとは恐ろしい吸血鬼ですね。このような愛らしくも自立した、非の打ち所がない女性に呪いをかけるとは、許せません」
「本当に……本ッ当に許せません」
俺の血が欲しいがために、あの女は蒼の命をいとも容易く踏みつけにしようとした。鬱積した殺意は、自分への怒りは、前より弱まりはしたが依然として心の中で燻り続けている。このようにふとした拍子に思い出すと、心の中でムクムクと膨れ上がり――。
「――譲二さん落ち着いて。私はちゃんとここにいるんだから、そんな顔をしないで。……ね?」
気付いたら手袋を外した蒼に手を握られていた。膝の上で握り締めていた俺の手の掌には、爪が食い込んだ跡がくっきり残っている。そして爪には、ほんの少し血が付いていた。
ハッとして両手で顔を覆う。……俺は今どんな表情をしてる?
「みっ、見ないでくれ! こんな俺を蒼に知られたくないんだ」
「……『こんな俺』ってどんな『俺』? 寒空の下、裸で踊りたくなる癖を必死で抑えているとか? 本当はホットチョコレートより生き血を啜りたいとか?」
「違うよ……」
「じゃあ、実はレイラに気があるとか?」
「違うっ! 本当の俺は凶暴で執念深くて打算的なんだ。…………俺の事嫌いになったか? 失望したよな……?」
「なーんだ、どんな告白をされるかと思えば。今更そんな事で失望しないし、嫌いになんてならないわ。人間誰しも打算的だし、トーマスにトマトジュースを掛けられた事を執念深く根に持っているじゃない。それに私のために凶暴になってくれるのは嬉しい…………かもしれないわねっ!」
蒼は顔を真っ赤にしてそう言い切った。しっ、静まれー! 胸の高鳴り。これからあの女の信奉者を炙り出さなきゃいけないのに、蒼の恥ずかしさが移ったのか、俺の顔まで熱くなってきた。
「いやはや、お二人共お話で聞いていた通り熱々で初々しい。ですがこの寒さで呪いを受けたアオイさんの体が消耗してしまわないか心配です。ここは僕に任せて、どうぞお二人はお帰りください」
「ええと、お気持ちはありがたいのですが、レイラの部下を見つけ出さないといけませんよね。私は大丈夫です」
「いいえ、アオイさんはお体がお辛い中、こんなに暗くなるまで人目につく場所にいてくれたんです。充分囮役を果たしてくれました。レイラ コリンズの部下は今も間違い無くお二人を見張っているでしょう。主人への報告を考えているか、アオイさんの抹殺を企んでいるかもしれません」
周りの気配を探りかけたその時、デボンが静かに素早く制止した。
「ジョージさん、どうかそのままで! 貴方がいるから迂闊に手を出せない、周りの吸血鬼はそのような状況に置かれているはずなのです。ですからここで僕と別れませんか?」
それで俺たちが家へ帰れば、後をつけて来た奴があの女の信奉者だと分かると言う訳か。確かに囮らしい役割だし、蒼への負担が少ないな。
「お言葉に甘えて俺達は帰ろう?」
「分かったわ。断れば抱き抱えられて強制帰宅する未来が目に見えるし」
うっ、実際ごねられたらそうしようと考えてた。俺の考えは蒼に筒抜けだな。まあそれだけ俺が蒼の事を大切に思ってるのが、伝わってるって事か。うんうん、良い傾向だ。
「お二人共お気をつけて。……失敬、ジョージさんがいるのですから不要なセリフでしたね」
「いえいえ〜」
すれ違い様にデボンの肩をポンポンと叩き、振り返る事なく何事もなかったように二人で家へ向かった。
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次回、第56話である人物に疑念を持った主人公。しかし周りには取り合ってもらえず……。6/12、23:05頃投稿予定です。




