33話 追撃
ジリジリと後退りし、女性を離すと同時に地面を蹴った。重力から解放され、浮遊しながら空気を裂くような感覚。この前、蒼を抱き上げて空中散歩をした時を思い出す。でも今は、腕の中に心地良い体温と控えめなシャンプーの匂いは無い。だから全力で跳んだ。
あの時とは違う全身で感じる強い風圧、耳元で響く甲高い風切り音。転生してひとりぼっちで生きていた頃に、俺は人間じゃないんだって嫌でも思い知らされた感覚だ。ヴァンパイアハンターを振り切るくらい、なんて事ない。
「待てっ!」
リチャードが撃った水鉄砲の水が足に掛かる。嘘だろ!? 俺は三階建ての建物を越えた高さにいるんだぞ。高圧洗浄機以上の威力か?
「――くっ!!」
冷たいと思ったが、濡れたところが火傷したようにヒリヒリした。思わず体が硬直して、パブで貰ったお土産を取り落とす。慌ててキャッチしようと手を伸ばした事でバランスを崩し、すぐ近くの屋根に背中から激突した。
「かはっ! ゴホッ……ゴホ」
舞い上がる土埃に咽せながらも、どうにか瓦の端を指先で掴み、踵で体を突っ張って転落は免れた。けど濡れた箇所が刺すように痛んで力が入り難い。おまけに咽せる度、激しくぶつけた背中がズキズキする。吸血鬼の体は丈夫だから骨は折れてないけど、痛いものは痛い。
必死に踏ん張る俺をリチャードが容赦無く追撃する。あっという間に服はぐっしょり濡れ、周りもびちょびちょになった。
何だこれ……! 夜風でヒンヤリしてるはずなのに、体が焼かれるように熱く、肌が裂けるかのような激痛が走る。
濡れた服が肌に張り付き、髪から滴る液体が首筋を伝うだけで刺されるようであり、焼け爛れたように痛む。体の回復が追いついてないのか頭がクラクラした。
それでも肩で荒く息をしながら、死に物狂いで屋根にしがみ付く俺をフィンリーが睨み付けた。
「んもぅ、強情ね! こうなったら増援を要請するしか無いわぁ〜。そしたらびしょ濡れで苦痛に喘ぐしかない貴方は確実に退治されるわよ。潰すならアタシ達二人しか居ない今のうちじゃなぁい? 間抜けな格好をしてないで降りて来たらぁ〜?」
フィンリーが挑発的に人差し指をクイクイっと動かす。……こちとら『間抜け』は言われ慣れてんだ。痛くも痒くも無い。いや、痛みはあるな、凄く。
でもフィンリーがここまで自信を見せてるって事は、何か奥の手を隠し持ってると考えた方が良いよな。それにリチャードのリュックと銃、よく見ればチューブで繋がってる。あの中に液体が入ってるんだろうけど、どれくらい残ってるか分からない。
かたや俺は、身体中の細胞が総動員で回復してるような変な感覚がするうえ、目も時々霞むようになってきた。何にしても応援なんて呼ばれたらヤバい。今度こそ終わるぞ。
だけど立ち上がろうにも、屋根がツルツル滑って足を踏ん張れない。こんなところで死んでたまるか! こうなったら――。
歯を食い縛り、指にありったけの力を込める。全体重がかかる指先は焼きごてを押し付けられたように痛んだけど、気力だけで堪えて体を空中――屋根の端へ押し出した。
「――ふっぐッッ!!」
足を大きく振り上げて空中で半回転し、両手で屋根を押すように勢いを付けて体を跳ね上げる。うわっ……天地がひっくり返る感覚に加えて、視界と言うか頭の中が回ってるような感じもする。キモチワルイ……。
どうにか屋根の棟に着地し、体の状態を確認した。指先は勿論、手の甲や腕も爛れたようになってる。ぐっちょり濡れた袖口を掴んだ手のひらまで赤い。
リチャードが撃ったあの液体は何だ。硫酸とか薬品系か? でも服は全然溶けてない。そろりと視線を屋根の下へ向けるとフィンリー、リチャードと目が合った。ヤバっ、ここは逃げる一択だ!
バッと二人に背を向け、屋根の上を駆ける。デリケートになってる肌が風圧で、擦り剥いたみたいにヒリヒリしても気にしてる余裕は無い。
「あっ! 何でアイツ逃げてんだよ!? 吸血鬼って好戦的なんだろ?」
「そのはずよぉ! 例え死にそうな状況でも、挑発されれば乗ってくるくらいにはね」
「でも……叔母さんもさっきの見たよな? 普通、聖水をあれだけ浴びせたら、あんな動き出来ないだろ。純血の吸血鬼って――」
「シッ! 相手は聴力もずば抜けてるんだから迂闊に喋らないで!」
遥か後ろからそんな会話が聞こえてくる。そっか、聖水だから人質がいても撃てたのか。
だとしたら早く帰って聖水まみれの服を脱がないと、いつまでも痛いままだ。服や髪がびちょびちょに濡れてるせいか、回復しては火傷するの繰り返しで、身体中の焼けるような痛みが治らない。
それに、これからの身の振り方を考えないと……。
お読みくださりありがとうございます。
次回、第34話で極度の貧血状態になりながらもどうにか家に帰った主人公。しかし出迎えた蒼からは、争い難い美味しそうな香りがして……。6/3、23:10頃投稿予定です。




