2話 切腹はレディの嗜み、介錯はビジネス・マナー
王都の追手を振り切り、雨が上がる夜中には、俺達は森へと逃げ込んでいた。
焚き火の爆ぜる音が、静寂の中に響く。隣に座る女武者シノは、月明かりの下で愛刀を丁寧に手入れしていた。
彼女は単身 処刑場に乱入し、俺を救い出した一騎当千の戦士。輝きを失ったその瞳には、しかし現代の日本人が失ってしまった『覚悟』が、確かに宿っている。
俺は前世のビジネス書で読んだ『リーダーシップ論』を思い出し、シノに声をかけた。
「シノ、改めて礼を言う。君がいなければ、俺の再起はなかった」
「……御仁。拙者はただ、美しい死を 求めているだけにござる」
シノはうっとりと、愛刀の鋭い切っ先を見つめる。
「この不条理な世界で、唯一 己の意思を貫ける瞬間――それこそが、腹を召す瞬間なり。貴殿のような才気あふれる益荒男が、処刑台で無惨に散るなどあってはならぬ。どうせ果てるなら、拙者の介錯で、作法に則り壮絶にお腹を召していただきたい……っ!!」
俺は胸を打たれた。
そうか。シノはこの狂った世界に絶望し、せめて最期くらいは『尊厳ある死』を勝ち取ろうとしているのだ。彼女にとっての『切腹』は、己のアイデンティティを守るための究極のボイコット、いわば不当な運命への『辞職願』なのだろう。
なんという、高潔な精神の持ち主だろうか。
とはいえ、有能なリソースを使い捨てにするのは、経営者としては失格だ。
「シノ、君の言いたいことはわかる。だが、今はまだ その時じゃない。ビジネス……いや、戦いにおいて最も重要なのは、『継続性』だ。君のその熱い忠義心こそ、死んで終わらせるにはあまりに惜しい。君の覚悟を、この世界を塗り替えるための『力』として、投資してくれないか?」
「拙者の……覚悟を……?」
シノのくすんでいた瞳が、焚き火の光を受けてか妖しく輝く。
「そうだ、死ぬ気になれば何でもできる。君が望む『最高のフィナーレ』は、俺が最高のホワイト企業を作った暁に、ド派手に披露させてやる。それまで、君の命を 俺に預けてくれ!」
きょとんとした顔の後で、シノはカラカラと笑い声を上げた。
「カカッ! 面白い。死を先延ばしにするための契約……これぞ真の『武士の嗜み』よ。あいや、承知した! 貴殿が最高の『腹切り場』を設けてくださるその日まで、拙者の刀、そして命を 貴殿に捧げましょうぞ!」
よし、交渉成立だ。
シノの異常なまでの死生観も、俺の話術による心理コントロールがうまく効いている。
……それにしても。シノが言っていた『切腹の作法』は、俺の記憶の中にある現代日本では『腹の中に小型爆弾を隠して、特攻した後に起動させる自爆行為』がメジャーだったはずだが……。ここは異世界だ、時代の流れも前世の世界とは違い、そこまで技術が進んでいないのだろう。とにかくシノは、今のところは頼れる右腕だ。
不気味だが静かな夜の森で一夜を明かし、さらなる仲間――俺の断片的な記憶にある『驚異的な生産性を持つ専門職』を探すため、森の奥へと歩みを進めたのだった。




