番外編 神話の国の白い猫 3
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「リュージ、おまえを忘れるもんかい。あの頃ギリシャは大変だった。そんな時におまえは毎日ここに来てくれたじゃないか。ギリシャもあちこちまわったが、そのなかでここのコーヒーが一番美味いと言ってくれた。それから友達をたくさん連れてきてくれた。資金繰りが悪くなって蜂蜜が調達できなくなりそうだった時、たくさん買ってきてくれた。忙しい時、無償で手伝ってくれた。日本人は甘すぎる菓子は食べない傾向が強いと日本人観光客への対応も教えてくれた。この店が続けられたのはおまえのおかげだ」
店主は優しい声で話した。
「褒めすぎだよ」
三上が照れて言った。
「三上、お前そんなことしてたのか」
京司朗が後ろからポソリと言った。
京司朗は語学に堪能な男だ。英語、イタリア語、フランス語は日本語同様に話せるし、ドイツ語ロシア語アラビア語にも長けている。ギリシャ語も簡単な日常の会話なら理解できた。
「だ、だから若い頃の話しですって!」
三上が振り向いて照れて言うと、店主が「また友達を連れてきてくれたのかい?」と尋ねた。
「俺の高校の先輩で、今は上司だよ」
三上が京司朗を紹介すると、店主は
「ずいぶんな男前だな」
と感心するように言った。
京司朗は店主にギリシャ語で挨拶をした。
「おお、ギリシャ語が話せるのか」
店主がまた驚いた。
「この人は英語もイタリア語もフランス語もドイツ語もアラビア語も話せるんだ。俺より百万倍頭がよくて百万倍顔がよくて百万倍女にモテる」
「そりゃ凄いな。だがリュージも男前だよ。頭は追いつかないかもしれないが」
「なんだよそれ!」
京司朗がふっと小さく笑い、
「頭は追いつかなくても人柄は俺より百万倍いいじゃないか」
と言うと、店主がうんうんと頷いた。
「そうそう。リュージの人柄は最高にいい。信用のおける男だ。いまテラス席が空いてるからどうだい?」
店主はシワをつくった朗らかな顔でテラス席を指した。
青い空の下、テラス席は風が心地良い。所々に木が植えてあり、木陰をつくっている。白い壁際には赤のブーゲンビリアの鉢植えと、一人がけの椅子が交互三個並べてある。
「壁際の椅子は俺が来てた頃と同じです。以前は大きめのテーブルが二つあって各テーブルに五、六人が座れる感じでした」
現在のテラス席は二、三人が座れそうな丸いテーブルが十二個ある。すでに十個のテーブルに客が座っており、テラスはほぼ満席といっていい。
「店内も席はほぼ埋まってたから客の入りはいいな」
京司朗が座りざまに言うと、三上は
「はい。経営の状態がよくてテラス席を広げたと思いますが」
と、答えた。
資金繰りは本当に厳しいのだろうか?
京司朗はそれとなく客層を見た。観光客が八割りくらいか。
「さあ、本場のギリシャコーヒーだ。甘い甘い菓子とコーヒー、水を飲みながらどうぞ。菓子は小さいのが昔ながらの甘い菓子で、大きめの方は甘さ控えめだ。両方楽しむといい」
店主は人懐こそうな笑みで京司朗と三上の前にコーヒーと菓子、水を置いた。
ギリシャコーヒーは豆を粉状まで挽き煮だして淹れ、カップに注いだ上澄みだけを飲む。かき回してはいけない。甘さは注文時に指定するのだが、京司朗も三上もブラックを頼んだ。
京司朗が香りをかいで、コーヒーをすすった。菓子は本来のギリシャの甘い甘い菓子を食べた。
「━━━うん、美味いな」
評判通り美味いコーヒーだ。苦さの奥にコクがあり、甘い甘い菓子がよく似合う。ただ、確かに日本人に菓子のこの甘さはきついかもしれない。
「本場のうまさが気に入ってもらえて嬉しいよ」
「店、順調そうだね」
「そうだなあ。おかげで楽しく過ごさせてもらったが、そろそろ引退だ。だから最後にリュージに会えてよかったよ」
「閉めるの?」
「もう年だしね。潮時だろう」
笑みをつくっているが寂しげだ。
京司朗が、「跡継ぎはいないんですか?ずいぶん古くからある店だと聞きましたが」と尋ねた。
「孫が継ぎたいと言ってくれてるが、ギリシャも大手の店が入りこんでるからね。バックに資金が豊かな企業がついてるとやはり小さな店は淘汰されていく。コーヒー豆の仕入れもひと苦労だ。このテラス席は一時期は二十までテーブルを増やしたが、今は減らした。年々客の入りは減ってるんだよ。時代の流れも引き際もうまく読みとらないと痛い目をみるもんさ。孫には痛い目にあって欲しくないしなぁ。味の存続より孫にも幸せな人生を送ってほしい」
━━━━━なるほど、資金繰りが特に厳しいのではなく、大手に負け始めているのを感じてるのか。長い付き合いや信頼だけではすまされない、仕入れの確保の段階で微妙な変化が出てきているのか
京司朗が考えていると、周囲で小さなざわめきが起きた。そして、
ガチャンッ!
と、京司朗の手からカップが落ち、コーヒーがテーブルを濡らした。
三上が「あっ!」と言い、
店主が「おお・・!」と感嘆の声をあげた。
仙道京司朗は、決して不意打ちをくらうような男ではない。
九歳から惣領貴之に直々に鍛えてもらった肉体と精神がある。気配に敏感で、防衛大学校でも過酷な訓練を受けている。
しかし━━━━
「ニャアォン」
平和な街中で猫が頭の上に降ってくるとは想定しなかった。正直油断した。
降ってきた猫は、あの琥珀の瞳の白猫である。
猫は木の上から、京司朗の頭を踏み台にして地面に着地した。着地して「ニャアォン」と鳴くと、どこからともなく琥珀の瞳の毛の長い黒猫も現れた。二匹が並んだ。
三上が慌てて「大丈夫ですか!?」と立ち上がった。
客の頭が蹴っ飛ばされたというのに、店主は心配するより恐縮するより
「凄いじゃないか!なんて幸運だ!!」
と興奮気味に叫んだ。店主はさらに、
「祝福だ!アポロンの祝福を受けたぞ!!」と店内に向かって叫ぶと、店内の客が転がるようにテラス席の京司朗の元に集まって歌いだした。
太陽神アポロンに選ばれし者よ
汝の幸福は約束された
愛する者が汝の元を訪れる
さあ、共に人生を歩め
幸福は約束された
愛は約束された
さあ、共に人生を歩め
何やら神と愛を讃える歌のようだ。
歌い終えると皆、拍手と歓声と祝福の言葉を京司朗に浴びせて店内に戻って行った。
京司朗は困惑しつつ、とりあえず「ありがとう」は口にした。
「久しぶりにアポロンの祝福を見たよ!なんて素晴らしい日だ!」と店主もまだ興奮気味だ。
白猫は『アポロン』という名の神の使いで、幸運をもたらす猫なのだという。




