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番外編 神話の国の白い猫 4

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何事かと、ざわめいたテラス席もすぐに静かになった。人々は各々の席で自由に時間をすごしはじめた。


アポロンは黒猫を伴い、去った。


店主が白猫アポロンと黒猫が去って行ったほうをみつめて、

「いったいいつから存在してるのか誰もわからないのがあのアポロンだ」

と、言った。

「だから神の使いといわれている。愛と幸運を呼ぶ猫だ。ギリシャ本土と島々に現れて、アポロンが触れた人間には幸運が訪れる。必ず良い伴侶、結婚相手に恵まれる。間違いなく幸せな人生を送ることを約束される」

店主は自慢気に話しを続けた。

「アポロンの祝福があると我々は祝福の歌を歌う。祝福することで、我々も幸運のおすそわけをしてもらうのさ」


「黒猫のほうは?」

京司朗が訊いた。


「黒猫はアルテミスと皆呼んでいる。三年くらい前からアテネに現れるようになった。アポロンが会いにきてるみたいだからアポロンのつがいなんだろう。本当に今日という日に感謝だ。やはり引退は正しいことだと確信したよ。引退を決めたから神様が君達二人をギリシャに連れてきた。二人が来てくれたからアポロンも訪れて祝福を見せてくれた。全てが繋がっている。ここを訪ねてくれてありがとう。二人とも、本当にありがとう!」


店主は目じりに涙をにじませ、笑顔で語った。


「ああ、こんなに幸せなのに、人生は短いなぁ。あっという間だった。八十をすぎた今だからやっとわかることがある。生きてきてよかった。生きてきた日々の一瞬一瞬が何ひとつ間違っていなかった」



店主との歓談のあと、別れを言い、京司朗と三上は離れた場所に止まっているタクシーへ向かって歩いて行った。


「待って!待ってくれ!!」


男が走り寄って来た。

脇道で会った、黒髪に赤のメッシュの若い男だ。


若い男は、

 「オレ、別にあんたたちを襲おうとしたわけじゃないよ!日本人はさ、無防備で襲われやすいからあんな脇道は通らないようにって言いたかっただけなんだ!」

と、ひと息に喋った。

「もしかして君がお孫さんか?」

京司朗が尋ねると、

「うん。じーちゃんから話聞いてるよ。そっちがリュージだろ?」と三上を指した。

「二人ともありがとう!じゃーね!」

そういってまた走ってカフェに戻ると、白い扉の前で店主と一緒に手を振ってくれた。


京司朗と三上は敬意をこめて一礼をした。



タクシーに乗り、三上がアテネ国際空港へと行き先を告げた。


京司朗はタクシーに乗ってからずっと無言のままだった。降りてからも黙ったままだ。

三上はそんな京司朗と共に空港内のラウンジに入った。


京司朗に結婚の話題はタブーに近いものがある。心底結婚に興味が無いからだ。嫌っている節さえある。

なのに『良い伴侶、結婚相手を得る』と言われてしまった。

たとえ善意だろうと、いつもなら結婚を匂わされると早い段階で否定的にかわすかしつこければ威圧する。今日はそのどちらもせずに店主の話しをただ聞いていた。


感激している店主の語り口に水を差すわけもいかず、三上もそれに関しては聞くだけにしていた。


『カフェは年内で終わらせるよ』

店主の言葉がまた聞こえた気がして三上は京司朗に問いかけた。

「どうしますか?あのカフェ」

ラウンジの椅子に座った京司朗が三上を見上げ、

「何も」と答えた。

「何も?」

「何もしないさ。彼の人生は彼のものだ。彼が引退を決めたなら、そのままがいいだろう。ヘタに外側から『援助』や『協力』という名の横やりを入れて、有終の美を邪魔する真似をする必要はないさ」

「・・そう、ですね」

三上は静かに頷いた。


京司朗は仕事用のパソコンを開いた。

イタリアとフランスの店舗の報告が入っている。フランスからは指示をあおぐ内容のメールだ。些細な問題だが、フランスはオープンしたばかりだ。京司朗はすぐに指示を返した。


スマートフォンが鳴り、京司朗は開いてメールをチェックした。日本からだった。

目を通してすぐに閉じた。


惣領貴之が本日も菓子を持って午後三時に堀内花壇の青木みふゆを訪ねた旨の報告だった。



搭乗時間━━━━

ミュンヘン行きの飛行機はビジネスクラスが最上位だ。

京司朗は窓際の席で飛び立つ飛行機の窓から外を見ていた。


地上からどんどん離れていく様子は、ギリシャで過ごした時間の全てを遠いものにしていく。


やがてギリシャは白い雲に隠れた。雲の隙間からわずかに地上が見えるだけだ。



━━━━━良い伴侶、結婚相手に恵まれる、か。



京司朗は店主の人懐こい笑顔と別れの言葉を思い出していた。


『きっとこれから素晴らしいパートナーが現れる。その人と幸せになりなさい。いや、アポロンの祝福を受けたのだから、迷わずに愛と幸せをつかみ取っていいんだ』


最後の言葉がやけにあざやかに脳裏に蘇る。


『人生のなかの後悔は、不幸とは違うんだ。恐れずに幸せになりなさい』



京司朗は座席の背もたれに体を預けた。



━━━━俺が結婚するなど有り得ないが、アポロンの祝福があなたにも降りそそぐことを願っています。


遠い国から━━━━━




仙道京司朗が、日本に帰国後自分でも信じられない道を歩むことになるのは、まだもう少し先の話だ。








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