そなたではない
「……嘘だろ。俺は、勇者だぞ……?」
アレンは消えた紋章を探すように、自分の両手を何度も見た。《剣聖》も《超再生》も《無限魔力》もない。七つあった神力は、一つ残らずルウへ帰っている。
「ふざけんな……! 《超再生》! おい、治れよ!」
額から流れる血を乱暴に拭うが、傷は塞がらない。
「《超再生》!! ……何で治らねえんだよ! クソッ、《神速》!」
アレンは床を蹴った。いつもなら一瞬で視界が流れるはずなのに、身体は普通に一歩踏み出しただけで、勢い余って足をもつれさせる。
「……は?」
その時、廊下から激しい足音が迫ってきた。
「何事だ!」
鐘の音と轟音、悲鳴を聞きつけた大聖堂の警備騎士たちが次々と飛び込んでくる。ひび割れた壁、血に染まった床、剣を握るアレンを見た瞬間、一斉に武器を構えた。
「その男を取り押さえなさい! 大聖堂内で人を斬り、五歳の子どもへ剣を向けました!」
司教の命令に、アレンが目を剥く。
「はあ!? 誰に剣向けてんだよ! 俺、勇者だぞ!?」
騎士たちの足が一瞬だけ止まった。これまでのアレンなら、この場にいる全員でかかっても勝てたかどうか分からない。
「七つの神力は、すべて失われました!」
司教がそう告げると、騎士たちは顔を見合わせ、改めてアレンへ剣先を向けた。
「……何見てんだよ。試してみるか? 俺は《剣聖》だぞ!」
アレンは先頭の騎士へ斬りかかる。
ガキンッ!
「……え?」
剣は止まった。たった一人の騎士に、真正面から受け止められている。
「な、何で……!」
アレンは両手で剣を押し込もうとしたが、刃はびくともしない。逆に騎士が強く弾き返すと、アレンの剣は大きな音を立てて床へ転がった。
「おい、待っ……!」
次の瞬間には二人目の騎士が右腕を取り、三人目が背後から身体を押さえ込んだ。
「離せ! 俺に触んな! 雑魚騎士が俺に何してやがる!」
「抵抗するな!」
「ふざけんな! 俺は勇者だぞ! ぐあっ!」
腕を捻り上げられ、そのまま床へ押さえつけられる。アレンは何度も身体を揺らしたが、三人の騎士を振りほどくことすらできない。
「離せ! クソッ! 何でだよ!」
少し離れた場所では、セイルがルウを抱いていた。ルウはまだ震えていて、血に染まった服をぎゅっと握ったまま離れようとしない。
「とうちゃん……あのひと、まだおこってる」
「大丈夫だ。もうこっちには来られないよ」
「……ほんと?」
「ああ。とうちゃん、ここにいるからな」
ルウが胸へ顔を埋めると、セイルは小さな背中をゆっくり撫でた。それを確認してから、司教は近くの神官へ向き直る。
「王宮へ伝令を。《聖王》が覚醒されたこと、アレンに預けられていた七つの神力がすべて帰還したことを、陛下へお伝えしろ」
「はっ!」
神官が部屋を飛び出していくのを見て、アレンが床から喚いた。
「おい! 勝手なことすんな! あれは俺の力だぞ! 六年以上俺が使ってたんだ! 返せよ!」
司教は返事すらしなかった。
「おい、お前ら! 何突っ立ってんだよ! こいつらどかせ!」
今度は仲間たちへ怒鳴る。女剣士も聖女も魔法使いも、いつの間にか騎士たちから距離を取っていた。
「……無理よ」
「は? 俺が捕まってんだぞ!?」
「見れば分かるわ」
「だったら助けろよ!」
魔法使いの女が肩をすくめる。
「今のあなたを助けて、私たちに何の得があるの? もう七つの加護、ないんでしょ?」
「だから何だよ! 俺は俺だろ!」
アレンは信じられないものを見るように仲間たちを見回した。
「お前ら、俺のこと好きだって言ってただろ!」
女剣士は少しだけ困ったように笑った。
「好きだったわよ」
アレンの顔がわずかに緩む。
「……だろ?」
「七つの加護を持った、世界最強の勇者様ならね」
「…………は?」
誰もアレンへ近づかなかった。
◇
しばらくして、大聖堂の外が再び騒がしくなった。
「国王陛下、御到着!」
護衛を伴った王が部屋へ入ってくる。ひび割れた石壁、床に残る大量の血、そして騎士たちに押さえ込まれているアレンを見て、その表情が険しくなった。
「おい、王様! ちょうどいい! こいつら何とかしろよ! 俺に何してるか分かってんのか!? さっさと離させろ!」
アレンが真っ先に叫ぶが、王は答えない。まず司教へ視線を向けた。
「報告を」
「はい」
司教は《聖王》の覚醒と七つの神力の帰還、その直前にアレンがセイルを斬り、ルウへ剣を向けたことまで簡潔に説明した。
「傷は?」
「ルウ様のお力によって、すでに癒されております」
王の視線がセイルの血まみれの服へ移る。その腕の中では、ルウがまだ父親から離れようとせず、服を強く握っていた。
「……この子が《聖王》か」
「間違いないかと存じます」
「おい、王様! 聞いてんのかよ! 事情なんかどうでもいいだろ! まず俺を離させろ!」
アレンが身体を起こそうとし、騎士に再び床へ押さえ込まれた。
王がようやくアレンを見る。
「そなたは、その男を斬ったのか」
「だからそう言ってんだろ! 俺の言うこと聞かねえから、ちょっと斬っただけだよ。死んでねえじゃん!」
王の目が冷える。それにも気づかず、アレンはルウを指差した。
「それより俺の力だよ! 全部そのガキに取られたんだ! 王様なんだから返させろよ!」
「……返させる?」
「そうだよ! 俺が勇者なんだから俺の力だろ!」
「違う」
アレンが固まった。
「は?」
「七つの神力は、そなたに与えられたものではない。《聖王》が現れるまで預けられていたものだ。それは先ほど判明したはずだ」
「だから何だよ! 六年以上俺が使ってたんだぞ!」
「ならば六年以上、預かっていた。それだけだ」
「はあ!? ふざけんなよ! おい王様、こいつらに命令しろよ! 俺が誰だか分かってんだろ!」
アレンが暴れ、騎士たちにさらに強く押さえ込まれる。王はしばらく、床で喚く男を無言で見下ろしていた。
「勘違いするな、アレン」
「我が国が必要としていたのは、七つの神力を持つ《勇者》だ。そなたではない」
「……は?」
「その力が魔王軍への抑止となるからこそ、余はそなたの無礼も、浪費も、度重なる横暴も飲み込んできた。報奨を与え、邸宅を用意し、活動費を出し、数々の問題にも目をつぶった」
アレンの顔が引きつる。
「何……言ってんだよ」
「すべては《勇者》の力が必要だったからだ。そなた自身を好いていたわけでも、そなたの振る舞いを認めていたわけでもない」
「待てよ……」
「そして、その力はもうない。今ここにいるのは、大聖堂で民を斬り、五歳の子どもへ剣を向け、止めに入った騎士にまで斬りかかった一人の男だ」
「待てって! 俺がいなきゃ魔王どうすんだよ!」
王の表情は変わらなかった。
「それは余たちが考えることだ。軍を立て直し、他国とも連携する。そもそも一人の勇者へ国の命運を預け続けたこと自体、改めねばならぬ」
「じゃ、じゃあそのガキ使えばいいだろ! 聖王なんだろ!?」
セイルの腕に力が入る。だが、王は迷うことなくアレンを見下ろした。
「五歳の子どもを戦場へ送り、代わりの兵器にするつもりはない」
「はあ!? でも魔王が――」
「それを考えるのが王の仕事だ。子どもを戦場へ連れていこうとした、そなたと同じことを余がすると思うか」
アレンは口を開いたまま言葉を失った。だがすぐに何かを思いついたように、セイルの腕の中にいるルウを指差す。
「だったら俺は、その聖王の父親だぞ! そいつは俺の血を引いてんだ! 俺が《聖王》の父親なんだから、俺をこんな扱いできるわけねえだろ!」
「……ちがう」
ルウが小さく言った。アレンが顔を向けると、ルウはセイルの服を握ったまま、もう片方の腕で父親へぎゅっと抱きつく。
「とうちゃんは、こっち」
「だから血が繋がってんのは俺だっつってんだろ!」
ルウは少しだけセイルの胸へ顔を隠した。
「……でも、おまえきらい」
「このクソガキ! 離せ! そいつ俺の子だぞ!」
アレンが激しく暴れ、騎士たちが両腕をさらに強く押さえ込む。王はその姿を冷たく見下ろしたあと、静かに命じた。
「アレンに《勇者》として与えていたすべての特権を、本日をもって停止する。王国から貸与した武具、邸宅、馬車、その他すべてを返還させよ。活動費の支給も停止する」
「……は?」
一拍遅れて意味を理解したアレンの顔が真っ赤になる。
「はああ!? 何勝手に決めてんだよ!」
「大聖堂内での傷害、脅迫、武器を用いた抵抗については、通常の法に従って裁く」
「待てよ! 通常の法って何だよ! 俺は勇者だぞ!」
勇者だから、世界最強だから、王国には自分が必要だから。何をしても最後には許されると、アレンはずっとそう思っていた。だが王は、もうその男を特別な存在として見てはいなかった。
「連れていけ」
騎士たちがアレンを立たせる。
「待てって! 俺は勇者だぞ! おい、王様! 俺がいなきゃ困るだろ!」
両腕を押さえられたまま、アレンは廊下へ引きずられていく。
「俺は勇者だぞ!!」
その叫びに、振り返る者は一人もいなかった。




