《聖王》様はオムライスが食べたい
アレンの叫び声が遠ざかり、大聖堂にようやく静けさが戻った。
セイルは腕の中のルウを見下ろした。泣き腫らした目、血で汚れた小さな手。それでもルウはセイルの服を握ったまま、絶対に離れようとしない。
「ルウ。手、洗おうか」
「……とうちゃんのち?」
「ああ。でも、もう傷はないからな。ほら」
セイルが裂けた服を少しずらして肩を見せると、そこには傷跡すら残っていなかった。ルウは恐る恐る指で触れ、それから何度もぺたぺたと確かめる。
「いたくない?」
「痛くないよ」
「ほんとに?」
「本当に」
ようやく納得したのか、ルウは大きく息を吐いた。それでも手についた血を見るとまた目が潤み、セイルの胸へ顔を押しつける。
「もう、きられちゃだめだよ」
「ああ。気をつける」
「ぜったいだよ」
「約束する」
その様子を、王は少し離れたところから黙って見ていた。
やがて司教が近づき、声を落として告げる。
「陛下。《聖王》の御身についてですが、今後は大聖堂でお預かりし、最高の教育と護衛を――」
「やだ」
即答だった。
司教が固まる。
「……はい?」
「ルウ、とうちゃんとおうちかえる」
ルウはさらにセイルへ抱きついた。司教が困ったように王を見ると、王は小さく息を吐く。
「セイル。そなたはどう考える?」
「俺も、ルウと一緒に帰りたいと思っています」
セイルは少し迷ってから続けた。
「この子に特別な力があることは分かりました。でも、今日だけでかなり怖い思いをしています。今すぐ住む場所まで変えて、知らない大人に囲まれるのは……」
ルウの頭を撫でる。
「この子は、まず五歳の子どもです」
王はしばらくルウを見た。伝説の《聖王》は、その視線に気づくこともなくセイルの胸へくっついている。
「……もっともだ」
「陛下?」
「聖王だからといって、五歳児であることまで消えるわけではあるまい。ましてや先ほど、子どもを戦場へ連れていこうとした男を連行させたばかりだ。我らまで同じことをしては笑い話にもならぬ」
司教は何か言いかけたが、結局「おっしゃる通りでございます」と頭を下げた。
王はセイルへ向き直る。
「これまで通り、そなたがこの子を育てよ。ただし護衛は付けさせてもらう。《聖王》と判明した以上、何もなかった頃とまったく同じというわけにはいかぬ」
「それは……助かります」
「それから、何か望みはあるか。五年間この子を育て、今日も命を懸けて守った。褒賞を求める権利は十分にある」
爵位、領地、金。
何を望んでもおかしくない話だった。
セイルは少し考えた。
「では、ルウが普通に遊んで、普通に町を歩いて、今まで通り暮らせるようにしていただけませんか」
王が目を瞬く。
「それだけか?」
「はい。本人がもう少し大きくなって、自分で《聖王》について考えられるようになるまでは、できるだけ普通の子どもでいさせてやりたいんです」
「とうちゃん」
ルウが服を引っ張った。
「ん?」
「おなかすいた」
セイルは思わず笑った。
「……だそうです」
「うむ。五歳児だな」
王まで少しだけ笑う。
「何食べたい?」
「オムライス!」
「じゃあ帰ったら作ろうか」
「やった!」
さっきまで泣いていた顔が、一瞬で明るくなる。
「ちゃんと人参も入れるぞ」
「……にんじんはいらない」
「入れる」
「ちょっとだけ?」
「ちゃんと食べられる量」
「じゃあ、ちっちゃくして」
「交渉成立だな」
国の命運を左右する《聖王》と、その養父が人参の量を交渉している。
司教は何とも言えない顔をしていた。
「それでは、今日はもう帰らせてもらっても?」
「構わぬ。こちらのことは余と司教で処理する。護衛についても明日以降、改めて話をしよう」
「ありがとうございます」
セイルが頭を下げると、ルウも真似してぺこりと頭を下げた。
「ありがとーございます!」
「うむ」
王が頷いたところで、司教が「あの」と遠慮がちに手を上げた。
「もう一つだけ、よろしいでしょうか」
「はい?」
「その……《聖骸布》のことでございます」
ルウが抱えている白い布へ、司教の視線が吸い寄せられる。
数百年間失われていた最高位聖遺物。初代《聖王》にまつわり、今日の覚醒によって真の力まで示した、歴史上でも最高峰の宝だ。
「可能であれば、大聖堂にて厳重に保管させていただけないかと……」
ルウは《聖骸布》をぎゅっと抱いた。
「だめ」
「即答!?」
「これ、ルウのぴかぴかだもん。ねるときつかうの」
「ですから、それは寝具ではなく最高位の聖遺物でして!」
「でも、やわらかいよ?」
司教が頭を抱える。
セイルは白布を触りながら、つい普段通りに答えた。
「実際、かなり寝心地はいいみたいですよ。丈夫ですし、汚れても勝手にきれいになりますし」
「最高位聖遺物を生活用品として評価しないでください!」
「でも便利なんですよね」
「便利とかそういう話ではございません!」
ルウが首を傾げた。
「ルウ、あかちゃんのとき、おむつだったよ?」
「存じております! できれば忘れたい事実ですが!」
司教の叫びが大聖堂に響いた。
王が額を押さえ、周囲の神官たちは何とも言えない顔で《聖骸布》を見つめている。三年近く布おむつとして酷使されていた伝説の聖遺物は、今日も新品同様に白く輝いていた。
ルウは少し考えたあと、いいことを思いついたように顔を上げた。
「じゃあ、つぎのあかちゃん聖王がきたら、おむつでかしてあげる?」
「絶対にやめてください!!」
「でも、やわらかいよ?」
「そういう問題ではありません!」
ルウはまた考え込む。
そして、セイルを見上げた。
「じゃあ、とうちゃんのパンツにする?」
「もっと駄目です!!」
「俺も嫌だよ!」




