息子のお昼寝布、伝説の《聖骸布》だったそうです
町の教会で聖具が一斉に反応してから、半年ほどが過ぎた。ルウが五歳になって間もない頃、王都の大聖堂から正式な招待状が届いた。
『お子様に確認された聖力について、王都大聖堂に残る古い聖具と記録を用いて調査させていただきたい』
文面はずいぶん丁寧だった。危険を伴う検査は行わないこと、保護者であるセイルがすべてに立ち会えること、旅費や宿泊費も大聖堂側が負担することまで書かれている。
四歳になってから、ルウの不思議な力は少しずつ人目にも触れるようになっていた。本人が元気だからといって、いつまでも「魔法の才能があるのかもしれない」で済ませるのも難しくなってきている。
「ルウ。王都へ行ってみるか?」
「おうと?」
「この町よりずっと大きな町だよ。大きな教会で、ルウのぴかぴかをちょっと見てもらうんだ」
「いたいことする?」
「しないって書いてある。とうちゃんもずっと一緒だ」
「じゃあ、いく!」
そこまで聞けば十分だったらしい。ルウはすぐに部屋へ走っていき、「りょこうのじゅんびする!」と自分の小さな鞄を引っ張り出した。
しばらくして中を確認すると、着替えが一組、お気に入りの木彫りの馬、それから例の白布がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
「ルウ。着替え、もう少しいるぞ」
「はいらない」
「何日か泊まるんだから、いるよ。この木馬を置いていくか?」
「いる!」
「じゃあ、ぴかぴかは?」
「もっといる!」
そこだけは即答だった。結局、ルウの着替えの半分はセイルの鞄へ入れることになった。
◇
初めて見る王都に、ルウは朝から大忙しだった。高い城壁を見上げては「おっきい!」と驚き、大通りを走る馬車や鎧姿の騎士を見つけるたび、セイルの手を引いて指を差す。
「とうちゃん! いいにおい!」
「今度は何だ?」
指差す先では、露店の男が串に刺した肉を炙っていた。ルウは目を輝かせたまま「たべたい!」と言い、セイルが「大聖堂へ着く前に腹いっぱいになるぞ」と言っても、視線だけは串焼きから離れない。
結局一本だけ買った。ルウは嬉しそうに二口食べると、いつものように串をセイルへ差し出す。
「とうちゃんも。はんぶんこ!」
「誕生日でも旅行でも、そこは変わらないんだな」
「いっしょがおいしいよ!」
一口もらうと、ルウは満足そうに残りを食べた。そんな調子で寄り道をしながら、二人は昼前にようやく大聖堂へ到着した。
町の教会とは比べものにならない巨大な白い建物を前に、さすがのルウも黙って足を止めた。空へ伸びる尖塔を見上げすぎて、身体まで後ろへ反り返っている。
「……おっきい」
「大きいな」
「ここ、だれのおうち?」
「教会だよ」
「いっぱいすめるね」
「住むところじゃないぞ」
受付で名前を告げると、すでに話は通っていた。二人は奥の応接室へ案内され、そこで年配の司教と数人の神官に迎えられた。
「遠いところをよくお越しくださいました。私はこの大聖堂で司教を務めております、エルドと申します」
「セイルです。こちらが息子のルウです」
「ルウです! ごさいです! よろしくおねがいします!」
セイルが頭を下げると、ルウも勢いよく真似をした。顔を上げるなり褒めてほしそうにセイルを見つめてきたので、小さく頭を撫でてやる。
「上手にできたな」
「えへへ!」
司教は微笑んでいたが、話が始まると表情を少し真剣なものへ変えた。
「最初にお約束いたします。今日はルウ君へ危険なことをさせるつもりはございません。町の教会で起きた現象が非常に珍しいものでしたので、大聖堂に保管されている古い聖具がどのような反応を示すか、確認させていただきたいのです」
「力を無理に使わせたりは?」
「いたしません。まずは近づいていただくだけですし、ルウ君が嫌がればそこで中止します」
セイルはルウを見る。ルウも話を聞いていたらしく、少し考えてから一番大事なことを確認した。
「とうちゃんもいる?」
「ずっといるよ」
「じゃあ、だいじょうぶ!」
本人も納得したので、調査が始まった。
◇
案内されたのは、大聖堂のさらに奥にある古い礼拝堂だった。町の教会にあった聖具とは違い、ここには何百年も前から保管され、一部は現在の高位聖職者が触れてもほとんど反応しないほど古い聖具が置かれているという。
「町の教会では、聖灯や聖石が反応したと聞いております。ですから今回は、より古い時代の品をいくつか確認いたします」
司教が指した先には、黒ずんだ銀の聖杯、古びた杖、掌ほどの聖印、そして祭壇中央に置かれた透明な石があった。どれも見た目だけなら地味で、ルウは少し不思議そうに首を傾げている。
「これ、ぜんぶふるいの?」
「そうですよ。中には五百年以上、誰にも強い反応を示していない品もあります」
「ごひゃく……?」
五歳児には大きすぎる数字だったらしい。ルウは数秒考えたあと、「すごくふるい?」と聞き直した。
「とても古いです」
「わかった!」
それで納得した。
ルウが礼拝堂の中央へ進む。最初の数歩では何も起こらず、セイルも少し肩の力を抜きかけた。
ところが、祭壇まであと数歩というところで、黒ずんでいた聖杯の表面に細い黄金色の線が走った。続いて古びた杖の先端が淡く灯り、掌ほどの聖印まで宙へわずかに浮かび上がる。
「……司教様」
神官の一人が息を呑んだ。
司教も答えず、透明な石を見つめていた。古い聖具の中でも特に反応が乏しく、百年以上、一度も光を発していないと先ほど説明された品だった。
まだルウは触れていない。
それどころか、あと二歩ほど離れている。
なのに石の中心から、淡い黄金色の光がゆっくりと広がり始めた。
「とうちゃん、ひかった!」
ルウだけは嬉しそうだった。セイルは隣で固まっている神官たちを見てから、もう一度石へ視線を戻す。
「……これは、普通じゃないんですよね?」
「普通ではございません」
司教は珍しく即答した。
「この聖石は、歴代の大司教や聖女が祈りを捧げても、ごく薄く光る程度でした。何もせず近づいただけで、ここまで反応するなど……私も初めて見ます」
「そうなんですか」
「セイル殿は、もう少し驚かれてもよろしいかと」
「二歳の頃から色々ありまして……」
傷を治されたこともあれば、花が元気になったこともある。町の教会へパンを届けに行っただけで鐘まで鳴ったので、セイルも驚く基準が少しおかしくなっていた。
ルウはそんな大人たちを気にせず、透明な聖石を眺めている。
「これ、さわっていい?」
「勝手に触るのは駄目だぞ」
「はい」
すぐに手を引っ込めたルウを見て、司教が少し笑った。
「こちらは触れていただいて構いません。優しく指を置いてみてください」
「とうちゃん、いい?」
「神官さんがいいって言ったからな。優しくな」
ルウは人差し指を伸ばした。
「ちょん!」
指先が触れた瞬間、聖石の内部から眩しい黄金色の光が溢れた。同時に聖杯、杖、聖印まで一斉に輝き、礼拝堂の奥に安置されていた古い聖鐘が、誰にも触れられていないのに澄んだ音を響かせる。
カァン……。
「わっ!」
驚いたルウが慌てて指を離した。セイルはすぐに抱き寄せ、両手や顔色を確認する。
「ルウ。どこか痛くないか? 苦しくない?」
「へいき! とうちゃん、いっぱいひかったね!」
「ああ。いっぱい光ったな」
本人は元気そのものだった。
一方、神官たちは誰一人として笑っていない。特に司教は、百年以上反応しなかったという聖石とルウを交互に見ながら、しばらく言葉を失っていた。
「……少し、古い記録を確認させてください」
調査はそこで一度休憩になった。
◇
長旅に加えて慣れない場所を歩き回ったため、応接室へ戻る頃にはルウも何度かあくびをしていた。長椅子へ座らせると、自分の鞄を開いてごそごそと中を探り始める。
「とうちゃん。ぴかぴか、だしていい?」
「眠いのか?」
「ちょっとだけ」
取り出した白布を胸へ抱き、ルウはいつものように頬を擦りつけた。すると、それまで古文書を読んでいた司教の手がぴたりと止まる。
「……お待ちください」
セイルが顔を上げた。
「はい?」
「その布は……どちらで?」
司教の視線は、ルウが抱えている白布へ釘付けになっていた。先ほど聖石が光った時よりも、明らかに動揺している。
「これですか? 昔、勇者一行にいた頃に持ち帰った荷物の中に入ってた物です」
「勇者一行……遺跡などには?」
「何度も行きました。そのどこかで拾った物だと思いますけど」
司教がゆっくり席を立った。
ルウは白布をぎゅっと抱きしめ、セイルの方へ少し身体を寄せる。
「ぴかぴか、ほしいの?」
「い、いえ! 取り上げるつもりはありません。ただ、少しだけ確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「かえしてくれる?」
「もちろんです」
ルウはセイルを見る。セイルが頷くと、ようやく「ちょっとだけね」と白布を差し出した。
司教が両手で受け取った瞬間、白布そのものから柔らかな黄金色の光が溢れた。布の縁には、それまで一度も見えたことのなかった細い紋様が浮かび上がっていく。
翼を広げた鳥。その中央には、見慣れない古い聖印が刻まれていた。
「……まさか」
司教の顔色が変わった。
「古文書を。聖遺物目録の第三巻です」
神官の一人が慌てて部屋を出ていき、分厚い書物を抱えて戻ってくる。司教は頁をめくり、古い挿絵と白布に浮かんだ紋様を何度も見比べた。
やがて、指が止まる。
「……間違いありません」
「何がです?」
司教は白布を持ったまま、ゆっくりセイルを見た。
「これは、初代聖王の御亡骸を包んだと伝えられる最高位の聖遺物。《聖骸布》です」
「……これが?」
「これです」
セイルは白布を見る。
何度見ても、いつものぴかぴかだった。
「数百年前、大聖堂の前身となる聖堂が魔族の襲撃を受けた際に失われ、それ以来、行方が分からなくなっていました。紋様も、残された聖力の特徴も、古文書の記述と一致しております」
「へえ……」
司教が目を見開いた。
「へえ、で済む物ではございません!」
「すみません。ずっと家にあったので、急に最高位の聖遺物と言われても実感がなくて」
その言葉に、司教の表情が変わった。
「ずっと……? セイル殿。この《聖骸布》は、これまでどのように保管を?」
「ああ、それは――」
「ルウの!」
セイルより先に、ルウが元気よく答えた。
「ルウのぴかぴか! あかちゃんのとき、おむつだったの。いまは、おひるねのおふとん!」
部屋が静まり返った。
司教の口が、ゆっくり開く。
「……おむつ?」
「うん!」
ルウは胸を張った。
司教が信じられないものを見るようにセイルへ顔を向ける。セイルは誤魔化しても仕方がないので、そのまま頷いた。
「はい。布おむつとして使ってました」
「《聖骸布》を?」
「当時、おむつに使える綺麗な布がなくて」
「最高位の聖遺物を?」
「その時は知りませんでしたから」
司教は数秒、何も言えなかった。
後ろにいた若い神官が、恐る恐る口を開く。
「ど、どの程度の期間を……?」
「生後二か月くらいから三歳までですね」
「ほぼ三年間!?」
セイルは少し考え、それでも悪い物ではなかったと伝えておこうと思った。
「でも、本当に使いやすかったですよ。柔らかくて丈夫ですし、洗えばすぐ汚れが落ちるんです。臭いも残らないし、何度使っても全然傷まない。ルウも普通の布よりこっちの方が好きでしたし」
「最高位の聖遺物を、育児用品として評価しないでください!」
とうとう司教から大声が出た。
ルウがびくっと肩を揺らしたので、司教はすぐに我に返る。
「す、すみません! ルウ君を怒ったのではありません!」
「おじいちゃん、ぴかぴかきらい?」
「大好きです! 大変、大変貴重な物なのです!」
「ルウもだいすき!」
そこだけは意見が一致した。
司教は額を押さえながら、さらに恐る恐る尋ねる。
「まさか、おむつとして使いやすい大きさにするため、切ったりは……?」
「してませんよ」
「縫い直したり、何か加工を?」
「何も。畳んで使っただけです」
「よかった……!」
周囲の神官たちからまで、一斉に安堵の息が漏れた。
ルウは何がそんなに嬉しいのか分からない様子で首を傾げ、それから司教へ両手を伸ばす。
「もう、かえして?」
「は、はい。もちろんです」
司教は両手で恭しく《聖骸布》を返した。
ルウは受け取るなり頬へ押し当て、長椅子へころんと横になる。セイルが靴を脱がせてやると、自分で白布をお腹へ掛けた。
「とうちゃん、ちょっとねる」
「いいぞ。起きたら何か食べような」
「うん……」
白布が淡く光り、数分もしないうちに小さな寝息が聞こえ始めた。
司教たちは、しばらく何も言えなかった。
数百年行方不明だった最高位の聖遺物が、目の前で五歳児のお昼寝布として使われている。どういう顔をすればいいのか、誰にも分からないらしい。
◇
ルウが眠っている間、司教たちは改めて古文書を調べ始めた。
セイルも、二歳の頃に自分の切った指を治されたことや、四歳になってから花や軽い傷まで治すようになったことを説明した。司教は一つ一つを書き留めながら、何度も古い記録へ目を戻している。
「つまり、治癒術を誰かから習ったことは一度もない?」
「ありません。本人は魔法を使っているつもりすらないと思います」
「《聖骸布》も、幼い頃からルウ君が持つ時だけ特に強く反応したのですね」
「そうですね。赤ん坊の頃から、あれを使うと機嫌もよかったです」
司教は返事をせず、古文書の頁をゆっくりめくった。
やがて、一箇所で手が止まる。
「……似ている」
「何がです?」
司教はすぐに答えなかった。隣にいた老神官も同じ記述を覗き込み、次第に表情を変えていく。
「千年以上前の伝承に、よく似た話が残っております。ただし記録は断片的で、後世の脚色も多い。これだけで何かを断定することはできません」
「どんな話なんです?」
司教は少し迷ったあと、眠っているルウへ目を向けた。
「古き聖具が、その人物を迎えるように自ら光を放った。傷ついた者へ手を差し伸べれば癒え、聖なる遺物が幼少の頃より寄り添った、と」
セイルもルウを見る。
似ている。
確かに、かなり似ていた。
老神官が震える指で、古文書の一行をなぞった。
「司教様……もしや、この御子は……」
司教が小さく息を呑む。
「……まさか、伝説に記された《聖王》……?」
その時だった。
廊下の向こうから、場違いなほど大きな声が響いた。
「おい! 司教いるか!? 今日、次の遠征の戦勝祈願と凱旋の打ち合わせするんだろ!?」
セイルの身体が固まった。
五年間、一度も聞いていない声だった。それでも、忘れるはずがない。
「どの部屋だよ! いちいち奥まで歩かせんなって!」
横柄な声と一緒に、足音がこちらへ近づいてくる。司教が驚いて扉へ振り返った。
「勇者殿? 予定よりずいぶん早く――」
言葉が終わる前に、扉が開いた。
派手な装備を身につけた男が、面倒そうな顔で部屋へ入ってくる。その視線が司教からセイルへ移り、そこで止まった。
「……あ?」
セイルも、その顔を見たまま動けなかった。
勇者アレンだった。




