9話 無力でも
あれから更に半年もの時が経った。その間にも母のお腹は段々と膨らみが増し、今ではもういつその時が来ても有り得るぐらいにはなった。
母は定期的に俺を夜に自室へ招待してくれた。そして、沢山の絵本をベッドに並べて、俺とお腹の中の子に読み聞かせをしてくれた。その頻度は段々と増していき、最近ではほぼ毎日と言っていいほどだった。今日もいつも通り、母に呼ばれてそろそろ部屋に向かわなければならないなと準備を始めた頃だった。
自室の扉の先から妙に騒がしい音がするような気がした。耳を澄ましてみると、使用人達が慌しく廊下を走り回っているようだった。
今から、母の部屋に行くというのにタイミングが悪い…そう思った。だか、ふとある考えが過ぎる。
すぐさま、自室の扉を開けて母の元へ向かった。道中、母の元へ近付けば近づくほど辺りを彷徨く使用人の数は増えて行き、騒々しさも増していく。
『(なんで気付かなかったんだよ、俺…!)』
こんなにも騒がしく、音が鳴り響いているのにも関わらず俺は自室に籠って、変わらず魔法についての研究に没頭していた。
曲がり角を曲がると、大きな桶いっぱいの水を運んでいるミアが居た。俺を見るなり、足を止めると緊迫した表情で言った。
「ギルバート様!奥様の容態が…お腹の子が…!もう……!!」
その時、奥の部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえた。そしてそれと同時に使用人の母を呼ぶ叫び声も聞こえてきた。
背中に悪寒が走った。一瞬で顔が青白く染まって、母の部屋へと走り出した。
扉を強く打ち付けるように開け、部屋の中に入った。部屋の中の光景に俺は複雑な、言葉では到底言い表せないような感覚に陥った。
生まれたばかりの赤子の周りにはキラキラと輝いたものが舞っているように見えた。大きな声で産声をあげる、小さくて可愛らしい新しい家族。それだけで幸福の絶頂になるはずだった。
赤子の隣で力無く、横たわる母は酷く弱っていて、青白く汗がダラダラと垂れていた。苦しそうに声をあげる母の横で赤子は変わらず、それ以上の声量で元気に産声をあげる。
「ディアンヌ…ディアンヌ!しっかりしろ、目を閉じちゃダメだ!」
そう言って、母の肩を揺らす父の姿。医者が直ぐに父に静止の言葉をかける
「旦那様、出産したばかりの母体ですよ!激しく揺らしてはなりません!」
その言葉に父は悔しそうに拳を握って、母の肩から手を離す。部屋の中には沢山の使用人が居て、酷く騒がしくなっていた。
入口に付近に呆然と立ち尽くしていた俺に後ろからミアがやって来て、言った。
「ギルバート様…今日は一度、お部屋にお戻りください」
そんなこと出来るわけないだろう、そう抗議したかった。でも、話せない俺にそんなこと叶うわけもなかった。
元気な赤子に対し、反対に酷い容態の母。喜びと絶望のような感覚が混ざりに混ざり合って、うまく頭が回らなかった。
『(ここ居ても、邪魔なだけだ)』
息を飲み、拳を強く握った。
そのまま俺は何もせず、自分の部屋へと戻った。
自分の無力さが酷く虚しいように感じた。
数日経っても、母は目を覚まさなかった。
母の自室で眠っている母をジッと見た。時計の秒針が動く音が部屋に響く。幾分かはマシになったが、未だに母の顔色は悪く、日に日に衰弱しているように思えた。
『…(前まではあんなに幸せそうだったのに)』
息子達に絵本の読み聞かせをする、ただの幸せな母親だったというのに。今となっては、見る影もない。
出産というものはそれだけ大変だということだ。
何時になったら、母は目覚めるのだろうか。そう何度も考えた。
母の居ない食卓は以前より静かになった。生まれたばかりの弟は別室で使用人と過ごしているから、食卓には俺と父だけが残っていた。父はいつもずっと明るく、言葉を紡ぎ続けた。父の声だけが食卓に響くのだ。
それが酷く、寂しいような虚しいように感じる。
『(母上が居ないと父上に返事をしてくれる人が居なくなってしまうじゃないか)』
母の手の平にゆっくりと触れる。
父に返事を返せるのは今までも、これからも俺では無理なのだから。母上が居なければならないのに。ただ頷くことしか出来ない俺じゃ、役不足だ。
俯き、目を閉じ、深呼吸をする。母がこうなってしまってから、どうも最近は調子が乗らないようでふとした瞬間に母のことを思い出してしまう。途中で作業をする手が思わず止まってしまうぐらいだ。さっさと早い内に立ち直らなければいけない。それを母はきっと望んでいるし、何よりもやるべきことがある。なのに、無意識に考えてしまう。
手の甲にひんやりとした感覚がする。僅かに手の甲に何かしらの力が働いている。顔を上げ、母の方を見ると母がこちらを見ていた。目を見開き、唖然とする。
「ギ…ル……?」
まるで赤子のように舌足らずで途切れ途切れの言葉でそう言った。
母が目を覚ました、今すぐに誰か呼ばなければと立ち上がると母が弱々しく服の袖を掴んだ。母の顔を見ると母は青白い顔で優しく微笑んだ。
体調は大丈夫か、寒くはないか、お腹は空いていないかとか他にも沢山聞きたいことがある。でも、俺にはそれらを聞く術が無かった。
ゆっくりと母の腕が上がるとそれは俺の頭の方を指していた。ベッドの傍でしゃがむと母は割れ物に触れるかのように優しく、力無く頭を撫でた。そして、母の手はガラスのように冷たく、冷えきっていた。暫くの間、そうしていた。
少しして、俺は母に手を振ってから部屋を1度出た。すぐ近くに掃除をしていた使用人の腕をソッと掴んで、少し強引に母の部屋の方まで誘導した。
「お、奥様!?目を覚まされて……??」
慌しく、母の部屋へ入って行った使用人の背中を見送って俺はその場を後にした。
朝まではあんなに不安だったのに、母が目を覚ましたのを見ただけでかなり安心した。最近は上手く作業が捗っていなかったし…今はとても気分がいい。久しぶりに自室へ戻って、研究の続きでもしよう。
そう思って、自室へ向かっていると父の執務室の扉が微かに開いていた。
「今回の奥様の出産についてですが……」
そう声が聞こえた。俺は部屋の前で立ち止まり、無意識に耳を傾け、扉の隙間から部屋の中を覗く。
部屋の中には父が医師を背に窓の外を眺めながら、医師の話を静かに聞いていた。
「母体への酷いダメージ…あれらは恐らく、赤子の魔力量が原因かと思われます。」
医師はそう言うと、ガサガサと紙の音が聞こえてくる。
父は振り向きもせず、ただ小さな声で何かを呟いているように見えた。
「魔力量が多い胎児の出産は母子共に大きな影響を与えます。ですが、今回の奥様の状態はその通常の影響の範疇を超えています。」
医師はそう口にすると、ツラツラと言葉を並べていった。
魔力量が多ければ多いほど、母体に影響が出ることや検査の結果、生まれ子供…弟の魔力量が人間の域を超えていたこと。それにより、母は一時的な生死を彷徨う状態になっていたということらしい。
そういえば、生まれたばかりの弟を見た時に妙に輝いているように見えた気がする。気のせいだと思ったが、もしやあれが弟の魔力だとしたら…
嫌な予感がして、走り出す。
『(確か…今は別館の大部屋に居るはず!)』
道中、何人かの使用人に驚かれたり、注意をされる。それもそうだ。こんなにも必死に走ったのは、転生してから初めてのことだから。
以前、書庫でたまたま見つけた珍しい本。「魔法と伴う脅威」というシンプルなタイトルで魔法の危険なところを事細かく解説している本だった。これも魔法を使える手段を見つけるための研究のついででしか無かったが、こんなところで役立つとは思わなかった。
魔力量の多い幼児は魔力による事故を起こしやすい。物を破壊したり、周囲の人に生死に関わる影響を与えることもある。そしてそれが特に起こりやすいのは
『…(生まれてしばらく経った頃)』
既に数日間が経っていて、事故が起きてもおかしくない時期だ。これらはまだ決定的な根拠は見つかっていないとされているし、マニアックな知識ではある。けれど、数々の研究でそのような統計が出ていて現在の記録では、ほとんど100%に近い結果を出してるようだったはずだ。
幸いにも、それは他者との魔力の受け渡しをすれば魔力は収まるし、受け渡しを繰り返せば自然と身体が魔力という存在の扱い方を理解できるようになる。
事故が起こる前に俺は弟に魔力というものを教えなければならない。
『(手遅れになる前に間に合えばいいんだけど…!)』
俺は息を切らしながら、走る速度を速めた。




