10話 兄と弟
別館の扉の前まで辿り着くと、警備をしていた騎士団員が驚いた様子で駆け寄ってくる。
「ギ、ギルバート様!?大丈夫ですか?」
息を切らした俺を見るなり、騎士団員が近寄ってくる。それを手の平で静止させて、膝をついて、呼吸を整える。別館の入口を何度も指さす。
「中に入りたいのですか?」
その言葉に俺は頷く。だが、騎士団員は別館は主に家臣や使用人、騎士団員達が生活する場所なこともあり、プライベートを守るために父が決めた規則で主人やその子息だからと言ってアポなしで入館することは原則として禁じられていると語った。
普段なら、別館の扉前に警備は居ないはずだが恐らく弟が中に居るからだろう。
『(どうすれば入れる?)』
息が上がって、肩を何度も上下させる。胸に手を当てて呼吸を整えようと試みるがその時、別館の奥の方から大きなガラスの割れる音とメイドの甲高い叫び声が聞こえた。
「え?い、今の音は!?」
慌てふためく騎士団員。意識が別館の奥へと移った。その瞬間に意を決して、騎士団員の腕の下を潜り抜け、そのまま別館の中へと走り出した。
後ろから聞こえる静止の声も気にせず、ただ一直線に悲鳴の方へと向かう。
中へ入れば入るほど、奥の部屋から強い風が吹き、行く手を阻む。バキッと割れた音がすると、更に強い強風が吹き荒れる。腕を顔の前にあげ、風を押すようにして必死に足を1歩ずつ運ぶ。バキバキと更に木の割れる音が何重にも響くと奥から1人がけのソファが飛んでくる。咄嗟にしゃがんで端へと滑るように避ける。その拍子で風に更に押され、奥の部屋から遠ざかってしまう。
『(くっっそ、このままじゃ…)』
風は変わらず、強さを段々と増していく。このままでは部屋に近づくどころか更に遠ざかっていくばかりだ。
別館は既に柱の1部が欠け、壁は穴が開き、家具は倒れ、風に飛ばされている。もう散々な状態だ。
辺りを見渡すと少し前の壁に大きな穴が空いているのが見えた。先には外が広がっている。そこから吹き込む風は、別館の中を荒れ狂うものとは比べ物にならないほど弱かった。どうやら壁に遮られて、風が来ていないようだ。
近くにある、辛うじてまだ壊れていない大きな棚に身を隠して深呼吸をする。そして、今までよりももっと力を足腰に入れ、穴の方へと歩き出す。もはや、風のせいで走ることすらままならない。
『(あと、ちょっと…!)』
鼻先まで来たところで、穴に飛び込むかのように入り込む。ゴロゴロと転がって、近くの花壇の小さなレンガの壁に身体を強く打ち付ける。
大人ならまだしも、4歳の身体には十分な衝撃だった。
突然の衝撃と痛みが背中に響く。口の中に苦い土の味と草の独特な香りが鼻を刺激する。痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと立ち上がる。そして、土も払わず走り出した。
やっとのことで、目的の部屋らしき場所が見えてくる。そこは既に窓ガラスは割れ、壁にヒビが入っており、既に崩壊寸前だ。割れた窓の先には薄らと銀髪の髪が生え、黄緑色の瞳の小さな赤子が居た。風に煽られ、暴風でうまく聞こえなかったが泣き叫んでいるようだった。部屋の奥にはメイドの1人が血を流し、倒れていた。どうやら既に巻き込まれてしまったらしい。
『(早く止めなければ…!)』
俺は迷うこと無く、割れた窓の下に近くにあった木箱を運んだ。それでもまだ窓との距離は少し遠い。窓から離れ、助走をつける。両手で顔を守りながら、割れて鋭い破片が散らばった窓ガラスに向かって頭から入り込む。ガシャーンと大きなガラスの音がして、頬や手の甲が切れ、少しだけ血が垂れる。
大きな音で、より一層泣き叫ぶ声は大きくなる。それと同時に吹き乱れる風は刃物のように鋭くなる。ハリケーンのように部屋中を回り狂い始める。幸いにも、倒れているメイドは間一髪で当たらない位置に居るようだった。
『(なら、あとちよっとだ)』
ガラスの破片が刺さったのか、ズキズキと痛む手で地面をついて、立ち上がる。腕で前を庇いながらも、ハリケーンの中へと足を踏み入れる。
一歩、踏み入れた瞬間に履いていた衣服が意図も簡単に斬られ、血が流れる。また一歩、また一歩と止まらずに歩き進める。歩けば歩くほど、自身の身体に擦り傷が増えていっているような気がした。だが、そんなことは些細な事だった。
やっと、手のすぐ先まで近づく。手を伸ばすと驚いたような、怯えたような顔をして、また風は鋭く激しいものになる。頬に刃物が擦ったような感覚がして、血が流れる。先程よりも深く、痛みが強い。痛みに悶え、動きが弱くなった一瞬にまた1つと鋭い風が肌を掠める。
赤子の大きな泣き声と暴風が耳を打つ音が酷く、頭の中に響き、ズキズキと心做しか頭痛がする。体は既に限界寸前で体の節々が限界を訴えかけている。
痺れを切らした俺はヤケクソになった。
『(いい加減に…泣き止めよ!!!)』
残った力の全てを絞込み、両手を広げ、飛び込む。そのまま弟を抱き締めるように抱えると、ゴロゴロと転がって、柱に背中を打つ。柱に寄り掛かるように座り込む。
心臓に暖かいような感覚がして、気付くと迷惑な暴風も泣き叫ぶ声も無くなっていた。弟を抱えた手に限界が来て、手の力が緩まり、そのまま地面に倒れる。曖昧な意識の中、弟は俺の方へと小さな手足で近付いてくるのが見える。俺の切れて、血が流れた頬に小さな手を伸ばした。震えが止まらない手で、ゆっくりとその手を直前のところで掴んで止める。
『✗ゞ☆彡▷☆……』
段々と瞼が重くなってきて、視界が更に狭まっていく。弟の顔が見えなくなって、散々な荒れような床だけが視界に映し出される。
遠くから、足音が聴こえ、声が聞こえる。
「ギルバート!リック!」
そう、叫んだ父の声は今までで1番大きくて、必死なように聞こえた。その声を聞いて、安心したのか俺はそのまま意識を手放した。




