7話 浪漫というバフ。
1週間後。俺はその日は変わらず、魔力操作の練習に明け暮れていた。魔力は未だに右に行くよう意識しては左に移動するということを繰り返していた。
『あ……(そういえば、まだ右以外に動かそうとしたこと無かったな。)』
ふと、そう思い出して早速実践してみる。
左に動かそうとすると、逆に右に移動していく。やはり、そうなるか…ここまでは想定内だ。
上、下、右斜め上、左斜め上など色んな角度方向で試していく内に違和感を感じ始める。上にやれば、下へ行き…下はまたその逆。そして、右斜め上にやれば左斜め下へ行く。まさか……これ…
『(前後左右反転してるよな?)』
試しにまた色んな方向へと動かしてみるが、変わらず逆の方向へ進んでいくということが分かった。
通りで思い通りにならない訳だ。逆になっているのなら、それを理解した上で逆に操作してしまえばいい。それで解決だ。後はその逆操作に慣れれば完璧だな。
1人、部屋で腕を組みながら頷いた。コンコンと扉がノックされて、返事をしようと口を開きかけた。伸ばした手が行き場を失くす。
『(喋れないんだった……)』
ソッと手を下ろすと、扉が開く。そこにはミアがおり、手元には何冊も積まれた魔法についての本がミアの視界を遮っていた。足を震わせながら、ゆっくりと1歩ずつミアは部屋へ入る。
「ギ、ギルバート様…こ、こちら……お、お持ちしまし……た!はぁ…あー、重かった。」
机の上にドサリと本が置かれる。ミアがダラダラと汗を流し、スカートをヒラヒラと揺らす。その姿に前世に見た真夏に汗を拭う50代男性の姿が重なる。
ミアは積まれた本の背表紙をジッと見つめ、言った。
「ギルバート様、最近…すごい魔法について勉強していらっしゃいますよね。」
そう言って、本を1冊手に取った。パラパラと本を捲くる。時計の針の音と本を捲る音が部屋に響く。俺は積まれた本の中から何本かを手に取り、椅子へ座って読み始める。
描かれた文字を指でなぞりながら、読んでいく。暫くして、ミアが小さな声で呟いた。
「ギルバート様…どうやって詠唱するつもりなんだろ……」
ビリビリと静電気のようなものが背中に走る。俺は本を捲る手を止め、口を開けて唖然とした。俺はゆっくりと機械のような不自然な動きで首をミアの方へと向けた。
ミアは詠唱、そうハッキリ口にしていた。詠唱、それは魔法を発動させるための呪文を口頭で唱えることだろう。
「あれ?もしかして…"詠唱しないと魔法使えない"って知りませんでしたか?」
その言葉に俺はぎこちない動きで頷いた。ミアは自身の腕の中にある本をペラペラと捲ると、あるページを開いて俺の前に差し出した。それを奪い取るように手に取る。そこには魔法の発動方法や発動した時の感覚などの使った時のことについて書かれているページだった。試しに最初の一文に目を通す。
『(魔法は呪文を口頭で発すること、即ち詠唱によって発動するものであるということは常識であるが…)』
その文章を何度も見返す。時に本を遠ざけたり、近付けたり、上下逆さに見てみたりするが…当然、本の内容は変わらずのままだ。
バサバサ、部屋の中に本の紙が軋む音ともに大きな音が響く。フラッと身体から力が抜けるような感覚に襲われ、机に強く頭をぶつける。
「ぎ、ギルバート様!?!?」
だらーんと力無く、手のひらを広げて机から垂れ下げる。俺は何も出来ず、ただ机に倒れ込んだ。
魔法に……魔法に詠唱が必要だなんて、全く考えもしなかった。俺は喋ることが出来ない。ならば、呪文詠唱だって…当然……
大きな溜息とミアの叫び声が部屋に響き渡った。
「ギルバート様!伝え忘れておりましたが…4歳になったら外出禁止を解禁なさると奥様が!」
『☆▷ゞ…彡✗○☆彡ゞ☆!?(それ…今言うの!?)』
翌日、俺は太陽が姿を出し始めた頃…目をこれでもかとガン開きして、ベッドから天井を見つめていた。
きっと今の俺の目は充血していて、酷い隈があることだろう。それもそのはず…何故なら俺は
『……(一睡も出来なかった)』
事の顛末は前日の衝撃の事実が原因で、俺は寝るどころじゃなくなっていた。
今の今まで、詠唱という存在を忘れていた俺はただ純粋に魔法を夢見る少年だったはずだ。だが、その夢も経った一瞬の出来事で崩れ落ちた。ミアが去った後に部屋の中で試しに何度も挑戦した。だが、結果は見ての通りだ。
滑舌デバフを持ち、口頭での会話が出来ない俺にとって詠唱など出来るわけもなかった。それからというもの、俺はその事実を到底信じられなかった。
『(相場は、異世界転生したら魔法使えるようになるもんだろ!?)』
布団を引っ張りあげて、全身を覆う。布団の中で膝を抱えて、横たわる。
後から調べて分かったことだが、この世界では魔法を使うには2つの手段があり、詠唱と魔法陣の構築があるらしい。詠唱は魔法、魔法陣は魔術と呼ばれ、魔法を行使するための手段の違いだと言う。
これを聞けば誰しも思うことだろう。
『(じゃあ、魔術やれば解決じゃね?)』
勿論、俺もそう思った!寧ろ、思わないわけがない。だが、蓋を開けてみると現実は残酷だった。
魔術はいわゆる魔法の応用で、魔法が出来ることを前提とした手段だった。内容としては魔法を行使する時の魔力の感覚を身体が覚えていることが必須で、その経験すらもない者は魔法陣を構築することが出来ても、魔法として発動させる感覚がない為不可能だとか。
とにかく、要約すれば…"魔法が出来ないと魔術も出来ない"ということだった。
ため息を吐きながら、ベッドから立ち上がる。ゆっくりと足を進めて、窓の外を見つめる。太陽が登り始めたばかりでまだ外は薄暗い。ボーッと外を見つめていると、ふと頭の中に前世で見た異世界の物語について思い出す。
『…(前世だと確か…無詠唱とかあったっけ?)』
目を見開き、窓の先に向いていた身体が起き上がる。
忘れていた。何度も何度も前世で見た異世界の物語。その中には主人公が無詠唱、として詠唱を破棄し、魔法を行使するというシーンが多発していた筈だ。
ここがその物語と同じように行くとは限らないが、もしかするとこの世界にも無詠唱という存在があるかもしれない。
そうなれば、俺だって魔法を使うことが出来る。これは大きな進歩だ。
余りの興奮に部屋を一人で歩き回っていると、視界の隅に積まれた本が目に入る。一目散にそこへ向かって、本を何冊も目を通した。
1時間後…部屋にゴンッと鈍い音がして、鼻先に酷い痛みが走る。床に転がり落ちた身体を起き上がらせる気にもならず、床と俺は至近距離で…いやほぼ直接挨拶を交わしていた。
『(………この世界に無詠唱を可能とした人物は居なさそうだ。)』
1時間の間にそれはもう物凄い勢いとやる気で俺はトントン拍子に本に目を通していった。中には童話のようなものまでも含めて…
だが、その結果は期待していたものではなかった。無詠唱を使えた人物が完全に居なかったと否定はし切れない。だが、無詠唱が出来たと記されたのは何百年前の勇者や魔王。作品によっては神のみが使える、だとかどれも信用性に欠けるものばかりだ。それが嘘だとは断言出来ない。なんせ、ここは異世界だから…
この1時間での収穫と言えば、少なくとも現在からここ数百年の間に無詠唱が出来た人物は存在しないということだけだ。
俺の今の状況はまさに八方塞がりだった。詠唱は出来ないから魔法は不可能。魔術は大前提として魔法が出来なければ使用不可。無詠唱は現実味が無さすぎる。余りにも絶望的だ。
ゴロゴロと床で寝返りを打つ。自室で息子が床に寝転がって、こんなことをしていればきっと…生まれも育ちも貴族様な母上はお怒りになるだろうな。
この状況でどう魔法に手を出せというのか……無理があるのではないか。俺もそう思う。でも…
重い身体を上げて、辺りに散らばった本を見つめる。近くにあった本を1冊手に取って、本の表紙の埃を払う。そこに書いてある魔法という2つのゴールドの文字がキラリと部屋の明かりで輝いたように見えた。
『…(こんなロマン溢れるものを諦めきれるわけないじゃないか!)』




