6話 物語のようには行きません。
カチッ、カチッ…木製の盤上にチェスの駒がぶつかり、音を立てる。紙の匂いが充満する書庫の窓際で俺は一人、チェス盤に向き合っていた。
相手は当然いない。盤の前に居るのは俺だけだ。前世の記憶を頼りに駒を動かしていく。
(こういうものはこっちにもあるんだな…)
この世界で前世の記憶を思い出してから、もうすぐ1年が経とうとしていた。
俺は少しずつ、この世界について知り始めていた。
魔物、騎士、王族、魔法。
前世の時代や世界では、所詮物語の中の想像でしかなかった存在がここでは当たり前のように存在している。
(…魔法、か)
ふと、前に訓練所へ行った時の光景を思い出す。
剣を振るい、汗を流す騎士達。この世界には剣だけじゃない…魔法も存在している。
異世界人の血を引くこの身体なら、俺も魔法が使えたりするのだろうか。丁度、一人ぼっちチェスに飽き始めていたところだ。魔法について書かれた本でも探して読んでみようか。
そう思って、立ち上がると扉がバンッと大きな音と共に開かれた。そこにはヤケに汗だくで、息切れをしたミアが居た。
「ギルバート様!お、奥様が……!!!」
「本当…本当なのね??」
「えぇ、間違いないですよ。奥様。」
大きなベッドを取り囲んで、多くの人が1つの部屋に集まっていた。白衣を着た男性がそう答えると、ゆっくりと頬を一滴の水が流れた。
三回のノックが響く。
近くにいた使用人がソッと扉を開けると、そこにはミアに連れられたギルバートが立っていた。すぐさま、黒髪の小さな少年──ギルバートが走り出した。ベッドの上に寝転がったディアンヌに小さな手を伸ばした。
「ギル…!」
そう言って、目元の涙を拭うとギルバートの脇腹に手を入れるとベッドの上へ座せた。そして目を細め、口角を上げると
「貴方に弟が出来るのよ…!」
そう柔らかい笑みを浮かべた。目元は微かに拭ったはずがまた水滴が帯びていた。
ベッドで驚いた様子で固まったギルバートを見て、ディアンヌは笑い声を零す。その声を聞いて、1歩と母に近付くと母の腹部を見た。ゆっくりと視線を上にずらし、母の顔を見るとギルバートの瞳がキラキラと輝いたように見えた。
「んふふ、これからは兄としてもっとお利口さんにならなきゃいけないわね?」
そう言って、ギルバートの頭を優しく撫でるディアンヌ。その言葉に何度も小さくギルバートは頷いた。
その空間からは間違いなく、優しく暖かい平和な時間が広がっていた。ズズズと鼻を啜りながら、2人を見つめていると隣にいたミアがソッとハンカチを差し出した。俺はそれを掴み取ると、鼻をかんだ。
『うっ…うぅ…俺の家族、幸せすぎる…!!』
思わず、そう大きな声で言うと目の前の2人が俺を見て2人で笑い出した。その2人の笑顔とこれから生まれてくる小さな命を思い、俺は年甲斐もなく、滝のように男涙を流した。
「ちょっと…旦那、泣きすぎよ。ギルが引いてしまっているわ」
ディアンヌのその言葉にギルバートが頷く。
そ、そんなこと言われたって…
『嬉しいんだから仕方ないだろ〜!!』
俺は顔を父の威厳、公爵という面子を気にする間もなくぐちゃぐちゃにしながらも2人に抱きついた。
翌日の昼間。俺は昼食を終え、今はテラスで魔法について書かれている本を広げていた。最初は苦戦した異世界の文字にも慣れて、今ではスラスラと読めるようになっていた。
(まぁ……描くのはまだ厳しいんだけど。)
目を細めて、ジッとページを見つめて読み進める。だが、数秒して本から目を離して空を見上げてしまう。
この本は魔法についてかなり細かく書いてくれていて、文章や図などがびっちりと描き示されていた。お陰で長時間読み続けると途中で行があやふやになったり、目がチカチカしてくるような気がする。これを読み切るのは至難の業だ…気が遠くなる。
(でも、読まないままだと魔法なんて……)
深呼吸をして、両手で自分の頬をパンッと叩く。ヒリヒリと両頬の痛みを感じながら覚悟を決め、また本へと向き合った。
最後まで読み切れなくとも、少なくとも基礎までは読み切ろう。
(その先を読むかどうかはまたその時考えればいい!)
そうして、俺は魔法基礎のすゝめ、そう書かれたページを指でなぞりながら読み始めた。
魔法とは、魔力という、一部の生物が保有するエネルギーを使用することで特殊な事象を引き起こす現象。魔力は種族や個体によって魔力量は様々である。現在の調査では種族はやや魔力量に影響するとされているが、定かではない。
魔法はまず最初に全部で6つの種類に分けられる。
炎、水、風、土、光、闇
これらのことを基礎属性と呼び、これらの属性は全ての魔法の根源たる属性である。全ての魔法の根幹には基礎属性の6種のどれかが必ず当てはまるのだ。
全ての魔法はそれぞれ7つの階級で分かれており、下位から
相、域、境、門、稜、冠、生
とされている。
(なるほど……さて、次は……って基礎これで終わり!?)
ページを戻っては、捲るを繰り返す。やはり、魔法基礎のすゝめはそこで終わっており、次のページには「実践あるのみ!魔法基礎実践編」と描かれたページになっていた。
普通、もうちょっと細かく基礎について説明してからやるもんだろうに…この本はどうやら、思ったよりも脳筋というか少し頭があれな作者が作ったようだ。まぁ、だが、作者の言う「実践あるのみ」という言葉は賛成だ。実践でしか得られないものがあると俺は前世に身をもって経験している。
実践あるのみ!魔法基礎実践編、そう書かれたページにはいくつかの絵に文字が添えられてやり方が簡単に書かれていた。
その一、体内の魔力を感じるべし。
深呼吸をして、自身の身体の各所を触り、意識を手に集中させ、何処か体内が暖かい感覚がある場所を探す。主によくある箇所として心臓、喉などが一般的である。それでも、見つからない場合は魔力量が微量である可能性があるため、手の甲、瞼、口の周りなどの皮膚が薄い箇所を探すと良い。
『…(暖かい場所……まずは試しに心臓を……)』
心臓の位置に手を当てて、大きく息を吸って、ゆっくりと息を吐く。すると、心臓がドクドクと揺れ動いてるのと同時に暖かいようなものを感じた。
その二、魔力を己のものにすべし。
魔力を感じた部分がその者の体内で最も多く魔力が保存されている場所になる。その場所から指先や足に魔力を移動させ、それを問題なく出来るようにすべし。
これらを魔力操作と言い、魔法を使う上での基本となる。
目を閉じて、集中する。魔力を右手へ移動させようと意識する。数分間、何も変わらずに苦戦していると…
『ん……!?』
一瞬、魔力が動いた感覚がした。その一瞬の感覚を頼りに右へと動かすが…何故か、魔力は逆の左へと進んでいく。
瞼に力が籠る。呼吸を止め、拳を握り、足に力が籠る。顔が見る見るうちに暖かくなっていくのを感じる。
右だ、と何度も何度も動かすが変わらず魔力は逆の左側へと進んでいった。遂に息が持たなくなり、力んでいた身体の力が一気に抜け、椅子にぐったりと倒れ込んだ。
『……(そう上手くは行かないもんだなぁ…)』
その日は、俺の苦労とは反対に快晴で雲一つない空が広がっていた。




