2話 3歳児デバフなんて聞いてない!
『……』
あれから、数日の月日が経った。俺は見事な引きこもりになった。
ベッドの上で大の字になって、ただ天井を見つめ続ける。部屋にも出ず、遊びもせず、3歳児として有るまじきことだ。
俺が喋れないことで、会話が出来なくなったと気付いた両親の表情は、まるで昨日のことのように思い出せる。
翌日の朝。いつものように使用人が時間になって、俺の部屋を訪ねてきた。扉をノックして俺の名前を呼ぶ。
「ギルバート様、朝ですよ〜!朝食の準備が整っていますので身支度を…!」
その声に俺は勿論、返事をした。けれど、出たのは変わらずの不思議な音だけだった。俺は溜息をつきながら、自ら扉を開けに行った。使用人のメイドはソッと膝を付いて、俺に目線を合わせると笑顔で一言だけ
「おはようございますっ!」
そう元気よく挨拶した。いつも俺を起こしに来るブロンドの大きなドーナツのような形の髪をぶら下げたメイドがミア。彼女の俺に対する様子を見るに彼女は、大の子供好きで、毎日こうして彼女は俺に合わせるように、いつもゆっくりと優しく話しかけてくれる。
それに答えようと口を開こうとするが、昨日のことが脳裏に過ぎる。口にしたところで、どうせあの変な音に変換されてしまうのではないか。そう思うと、上手く話す気になれなかった。
そんな俺の様子を見て、違和感を感じたのか。彼女は数秒考えたような仕草をしてから、ハッとした様子で俺の肩に手を置いた。
「もしかして…旦那様と奥様にお叱りを受けるのが嫌なんですね!!」
そう自信満々に口にした。
いや…そうじゃない、そうじゃないんだよ!!と、心の声を叫びつつも、どう伝えればいいのかと思考を巡らせる。視線を少し周りに移すとふと、近くの棚の上にある1冊の絵本が目に入る。紙とペンがあれば、少し面倒ではあるが筆談で伝えることが出来る。そう思い、俺は彼女の服の袖を掴み、棚の上にある本を指さした。
「ん?えーっと…これ、ですか?」
彼女は絵本を1冊手に取ると、それを俺に渡した。
(よし、これで行ける!)
そう思った矢先、俺は重大な問題を忘れていたことに気が付いた。俺は思わず、小さな手の中の絵本を落とし、崩れ落ちる。
『くっ……(3歳児が文字を描けるはずがない!!)』
生まれて3年の小さなこの手で文字を書ける訳もなく、俺の天才的な妙策は見事に打ち砕かれてしまった。
こうなったら、とうとう本当に伝える手段がなくなってしまった。諦めて、両親か使用人が気付いてくれるのを待つべきなのか…
そんな葛藤に頭を悩まされながら、俺は使用人のミアと共に朝食へと向かった。
いつも家族で食卓を囲む食堂に入ると、正面に座っていた父とその斜め右に座る母が言う。
「おはよう!!ギル!」
「おはよう…今日は少し遅かったわね」
そう言って、笑った両親に挨拶を返したい。でも、返せないのではないか…という気持ちを抱きながらも、もしかすると今度は普通に話せるかもしれない。さっきのはたまたまだったのかもしれない。そう思って、口を開いた。
『あ"○彡ぅ✗ゞ(おはよう)』
だが、その期待はいとも簡単に崩れてしまった。父は一瞬、固まった。母は困惑したように俺を見た。俺が俯くと母が席から立ち上がって近付いてきた。母は優しく俺の頭を撫でるとゆっくりと優しい声色で言った。
「大丈夫…もう何も心配しなくていいのよ」
母のその優しさに居た堪れない気持ちになる。両親は俺を心配してくれている。心配してくれているのは純粋に嬉しいと思う。でも、そうじゃないんだ。ハッキリと伝えられないもどかしさがグルグルと俺の心を乱す。
『う○☆ゞ"ぇ☆(母上)』
そう口にするけど、ただ母は俺を包み込むように抱き締めるだけで俺の言葉は伝わっていないようだった。
『ぁ☆ゞ彡☆!(父上)』
小さな手を精一杯伸ばして、大きな声でそう口にした。頭では確かに『父上』そう口にしている。けれど、言葉から出るのは謎の異音ばかり。父は驚いたように目を見開くと、母と同じく席を立ってこちらにゆっくりと歩み寄った。父は何も言わずに俺の頭を大きな手で優しく撫でるだけだった。
父にも、母にも伝わらない。俺の言いたいこと、伝えたいこと。どうしたら、伝わるんだ?そんな考えが頭の中をグルグルと巡る。
「あの……ギルバート様は私達に何かを伝えたいんじゃ…?」
その言葉にまるで時間が止まったかのような気がした。両親は顔を見合せて、目を細めながらゆっくりと立ち上がるとミアに対して言った。
「それは…どういうこと?ミア?」
母がそう言うと、ミアは俺の顔をジッと見つめた。ミアは俺の前にソッと膝を付いて、俺の手を取ると語りかけるように口にした。
「昨日から…どこか様子がおかしい…そうですか?」
その言葉に俺は必死にブンブンと首を縦に振った。その様子に両親は驚いたように声をあげ、また心配するような表情をした。
「おかしいのは声ですよね?」
ミアはそうハッキリと口にした。その言葉に俺は思わず、泣きそうになるのを堪えながら頭を縦に振った。何度も何度も、首が取れてしまうんじゃないかってくらいには。
その日の夜。両親がお抱えの医者を屋敷に呼び、俺は診察を受けることになった。
医者の診断結果は『原因不明』という、あまりに曖昧なものだった。医者曰く、頭では言葉を理解し、口も発しようとしている。しかし、声として音になった瞬間に別の音へと変わってしまっている…というものだった。
「…不思議な症状です。声帯にも、舌にも…異常はないにも関わらず、正しい音が出せない症状。こんな状態は初めてですよ。」
そして、これらの症状は現在の医療技術では治すことは不可能だという。
医者がそう口にした時、両親は酷く落ち込んだようだった。母は静かに涙を流し、俯いてしまった。父はそんな母の肩を優しく抱き寄せながら、俺をただジッと見つめた。僅かに青白くなった両親の顔色は酷いもので、心配、絶望、悲しみ…その他にも多くの感情が両親の中で蠢いていた。
それから数週間が経ち、俺は自分の部屋から殆ど出ないようになってしまった。
「部屋から出たところで使用人との会話も、両親との会話も出来ないから塞ぎ込んでしまった」
そう両親や使用人は思っているようだが、実際のところは真逆で寧ろ俺は、落ち込むどころか前向きな方だった。
確かに最初は文字も書けない、声で会話も出来ない、手話などの手段もない。そんな状況に絶望した。だが、自分の声が届かないという事実にいつまでも嘆いている訳にはいかない。そのままではいけないと前世の俺がそう言っているような気がしたからだ。
ここ最近、俺は夜中に人目を盗んで、少しずつ書庫から本を持ち出していた。それらを毎日、起きてから寝るまで部屋で読み漁っていた。それは絵本から、短編小説や図鑑など様々だった。今の俺の第一目標はこの世界の文字を書けるようにすることだった。
そして、今日はその予行練習で文字を書いてみようとしていた。3歳の誕生日でミアから貰った革細工のノートを机の上で広げる。ノートの紙は前世のうっすらとした記憶の中にある紙とは全く違うように感じた。前世では当たり前だった紙が、この世界とではこうも違う。改めて、前世との文明の差を実感した。いつかこの世界であのような綺麗な紙が普及するのかなぁ、なんて考える。
早速、書いてみよう!そう思って、ペンを手に取りインクを筆先に付ける。紙にソッとペンを当てて、ゆっくりと書いてみること数十分。
『あ"○✗☆彡ゞ〜!!(上手く書けない!!!)』
そう口で異音を発しながら、目の前のノートを勢いよくベッドの方へと投げ捨てる。
書き始めてから30分ほど。ベッドの上に飛んで行ったノートには、文字とは到底呼べない殴り書きのような線が何本も広がっていた。文字を書こうにも、この小さな手ではペンが握りづらい。それが一番の問題だろう。だが、残念ながらこればかりはどうにも出来ないことだ。
最初の目標に「文字を書けるようにする」と言ったものの…既にどうしようも無い壁にぶち当たってしまった。
どうしたのものか。そう考えていると、ふと前世の記憶を思い出したあの日の光景が脳裏によぎる。
『○✗彡"☆ゞ…(花…)』
あの時に見た綺麗な花…半透明で、光が透き通った不思議な一輪の花。あの花に触れた後だ。前世の記憶を思い出したのも。滑舌がおかしくなったのも。偶然とは思えない。それに普通に考えれば、半透明の花なんておかしいはずだ。そんなもの早々見られないはず…と思ったが、ここは異世界だ。前世では異常なことも、今世では普通という可能性は大いに有り得ることだ。
まぁ…ともかく、花について調べてみるのはありかもしれない。そういえば…書庫から持ってきた本の中に図鑑が…!
椅子から立ち上がり、歩き出そうとすると突然視界が揺れてバタリと地面に倒れる。足の指先にはツーンと痛みがやって来て、俺は思わず足を両手で抱えて地面に丸まった。
『(くっっそ…小指ぶつけた…!!)』
図鑑を取りに行くどころではなくなってしまった。




