第2話 運命の邂逅
神倭暦三二〇〇年。
先の大戦から幾年もの月日が流れた。
かつて国土を焼き、多くの命を奪った戦乱の傷跡は、今なお各地に残されている。それでも人々は日々の暮らしを取り戻し、光の国は仮初めの平和を享受していた。
だが、その平穏の裏側で、王都には人知れず陰謀の影が忍び寄っていた。
やがてそれは国そのものを揺るがし、一人の少年と、一人の少女の運命を交差させることになる。
これは――金色の獅子と白き狼、始まりの物語である。
* * *
光の国、王都。
城下町の大通りには、朝から大勢の人々が行き交っていた。
道の両脇には商店や露店が軒を連ね、威勢のいい呼び込みの声が飛び交う。色鮮やかな布地、磨き上げられた装飾品、焼きたての菓子。通りのあちこちから漂う香ばしい匂いが、行き交う人々の食欲を刺激していた。
その雑踏の中を、一人の少年が上機嫌に歩いていた。
「うめぇ!やっぱ王都はちげぇな。食いもんがうめぇ!」
少年の名は金太。
黒髪を揺らしながら、大きな肉まんにかぶりつく。口いっぱいに頬張ったまま、幸せそうに目を細めた。
その少し後ろを、黒い着物をまとった大柄な男が歩いている。
無造作に伸びた黒髪に、口元を覆う髭。腰には一本の黒い刀を差し、どこか近寄りがたい風貌をしていた。
男の名は黒獅子。
「ったく、お主はよぅ食うのぉ」
呆れたように言う黒獅子に、金太は振り返った。
「食べ盛りだからな。師匠は食べないのかよ?」
「儂か?儂は……ほら、今はダイエット中じゃ」
「ダイエット?」
金太は黒獅子の顔をまじまじと見つめた。
「その年で?今さらモテようってのかよ!」
「馬鹿たれ。漢とは幾つになっても、モテたいもんじゃ」
黒獅子が胸を張る。
「ははっ!師匠、そんなこと考えてたのかよ!」
「ふん、お主にもいずれ分かる時がくる」
「おいらはモテるから、分かんね〜な」
「ほぉ。儂はお主が女子に追いかけられとるところなど、一度も見たことがないがのぉ」
「そ、それは……おいらは寄ってくる女には興味がねえんだ!」
「ほっほっほ。そういうことにしておくか」
「なんだよ、その言い方!」
金太は悔しそうに肉まんへかぶりついた。
「待てぇぇっ!」
通りの向こうから怒鳴り声が響いた。
「そいつを逃がすな!」
何事かと金太が顔を上げた瞬間、人混みをかき分けて一人の少女が飛び出してきた。
白銀の髪が陽光を受けて輝く。
その胸には、白い鞘に収められた一本の刀が大切そうに抱えられている。
少女は後ろを振り返りながら走っていた。
そのため、目の前に金太がいることにも気づかない。
「うわっ!」
「……!」
二人は正面からぶつかり、金太は尻餅をついた。
ぽとり。
手に持っていた肉まんが地面に落ちる。
「いてて……」
金太は顔をしかめながら体を起こす。
ふと地面に目をやると、そこには泥だらけになった肉まんが転がっていた。
「お、お……おいらの肉まんがあああ‼︎」
悲痛な叫びが大通りに響き渡った。
黒獅子はそんな弟子を横目に、少女へと歩み寄った。
「金太がすまんかったな」
少女は警戒するように黒獅子を見上げている。
「おい、てめぇ!この肉まん、どうしてくれんだよ!」
勢いよく立ち上がった金太は、少女の顔を見て言葉を止めた。
透き通るような白い肌。
長く美しい銀色の髪。
そして、どこか寂しげな瞳。
「……か、可愛い」
思わず本音が漏れた。
「ほほぅ。お主……」
黒獅子が面白そうに口元を緩める。
「ち、ちげぇよ!」
金太は顔を真っ赤にして、慌ててそっぽを向いた。
「わかりやすいやつじゃのぉ」
「うるせえ!」
少女はそんな二人を、ただ黙って見つめていた。
「いたぞ!あそこだ!」
再び兵士たちの怒鳴り声が響き渡る。
少女の肩がびくりと震えた。
彼女は追ってくる兵士たちを見つけると、何も言わずに身を翻した。
「あっ、おい!」
金太が呼び止める間もなく、少女は人混みの中へ駆け出していった。
「どけっ!」
金太が走り去る少女の後ろ姿を目で追っていると、駆け抜けてきた兵士がその肩を乱暴に掴んだ。
「うわっ!」
次の瞬間、金太は地面へと引き倒される。
「いってぇ!なんなんだよ、さっきから!」
兵士たちは少女の後を追っていく。
「もう頭に来た!待ちやがれ!」
「おい、金太!」
黒獅子が止めるより早く、金太は走り出していた。
「ったく……仕方のないやつじゃ」
黒獅子は深いため息をつくと、金太の後を追った。
* * *
少女は狭い路地を駆け抜けていた。
荒い息が喉を焼く。
石畳を蹴る足音が、建物の壁に反響していた。
「そっちに逃げたぞ!」
「逃がすな!回り込め!」
背後から兵士たちの声が迫ってくる。
少女は角を曲がり、さらに細い路地へ飛び込んだ。
しかし、その先にも兵士が待ち構えていた。
「いたぞ!」
少女は慌てて引き返そうとした。
だが、背後にも追手が迫っていた。
前にも、後ろにも。
逃げ道は、もうない。
「もう逃げられんぞ」
兵士の一人が剣を抜いた。
「大人しく捕まるか?さもなくば痛い目に遭わすぞ」
少女は一歩後ずさり、胸に抱えた白い刀を、ぎゅっと握りしめた。
迫りくる兵士たちを前に、ゆっくりと柄に手をかける。
だが――
抜けない。
抜こうと思えば抜けるはずなのに、どうしても手が動かなかった。
なぜなのか、自分でも分からない。
少女は白い刀を抱きしめたまま、じりじりと後ずさった。
「どうした?刀を抜く度胸もないのか?」
兵士が嘲るように笑った。
「ならば大人しく――」
「やいやいやいやい!」
突然、路地の入口から威勢のいい声が響いた。
「女子供に手を出すとは、光の兵士も地に落ちたもんだな!」
全員が声の方へ振り向いた。
そこに立っていたのは、金太だった。
腰に手を当て、堂々と胸を張っている。
「ガキは引っ込んでろ!」
兵士の一人が怒鳴った。
「誰がガキだってんだ!」
「邪魔立てすると容赦はせんぞ!」
「へん!それはこっちのセリフだ!」
金太は腰の刀を抜き放った。
「その子の代わりに、この金太様が相手してやるぜ!」
少女が驚いたように目を見開いた。
つい先ほど、肉まんを落として大騒ぎしていた少年。
その少年が今、自分を守るように兵士たちの前に立っている。
「生意気なガキだ」
兵士が剣を構えた。
「痛めつけてやれ!」
最初に飛び込んできた兵士の剣を、金太は素早く受け流した。
そのまま相手の懐へ踏み込み、柄で腹を打つ。
「ぐはっ!」
兵士がよろめく。
「へっ!どうだ!」
続く一人の斬撃をかわし、金太は軽やかに身を翻した。
その動きには、まだ荒削りながらも確かな剣の技があった。
だが、相手は戦い慣れた正規の兵士たち。しかも多勢に無勢。
「調子に乗るな!」
左右から兵士が襲いかかる。
「うおっ!」
金太は慌てて剣を受け止めた。
さらに背後から別の兵士が迫る。
「くそっ!」
一人を押し返したところへ、別の剣が振り下ろされた。
金太はなんとか受け止めたものの、力に押されて片膝をつく。
「この……!」
歯を食いしばって立ち上がろうとする。
しかし、兵士たちは容赦なく間合いを詰めてきた。
「威勢がいいのは口だけか!」
「うるせぇ!」
金太は剣を振るった。
だが、その一撃は簡単に弾かれた。
体勢が崩れる。
兵士の剣が、金太の頭上へ振り上げられた。
その瞬間――
キィンッ!
鋭い金属音が路地に響いた。
兵士の剣が、飛び込んできた黒い刀によって弾かれる。
「しっかりせんか、金太」
「師匠!」
金太の前に立ちはだかる黒獅子。
「貴様も死にたいか」
「すまんのぉ。これでも金太は大事な弟子じゃて、放っておけんのじゃ」
黒獅子は涼しい顔で答えた。
「構わん!まとめて斬り捨てろ!」
兵士たちが一斉に襲いかかった。刹那――
黒獅子の姿が、ふっと揺らぐ。
「なっ!?」
兵士が目を見開く。
黒い刀が閃いた。
一閃。
二閃。
三閃。
「ぐあっ!」
「ぎゃああっ!」
兵士たちが次々と倒れていく。
その動きは、金太の剣とはまるで違っていた。
無駄がない。
速さだけではない。
相手の動きを見切り、最小限の動作で確実に制圧していく。
最後の兵士が石畳に倒れ込むまで、ほんの数呼吸ほどだった。
「ひ、ひぃぃっ!」
倒れた兵士が自分の体を見下ろした。
「斬られた……斬られたぁ!母ちゃん……母ちゃん!」
しかし、血は流れていない。
「……あれ?」
兵士が恐る恐る体に触れる。
「き、斬れてない?」
「安心せい」
黒獅子は刀を肩に担いだ。
「峰打ちじゃ」
兵士たちは慌てて立ち上がった。
「まだやるか?」
黒獅子の目から、ふっと笑みが消えた。
その鋭い眼光に、兵士たちは思わず後ずさる。
「くそっ!覚えてろ!」
捨て台詞を残し、路地の向こうへ逃げ去っていく。
「へっ!ざまぁみろ!」
金太は得意げに鼻を鳴らし、黒獅子へ振り返る。
「さすが師匠!やっぱ強ぇな!」
ゴツンッ!
「いってぇぇぇ!」
黒獅子の拳骨が、金太の頭に落ちた。
「ったく!お主は、いつもいつも騒ぎを起こしおって!」
「だからって、殴らなくてもいいだろ!」
「殴られんと分からんじゃろが!」
「ガキじゃねぇんだから、言えば分かる!」
「毛も生えてないくせにか?」
「あ……ば、ばか!女の子の前で言うんじゃねえ!」
「がははは」
黒獅子は愉快そうに笑うと、少女へと向き直った。
「さて、お嬢さん。怪我はないか?」
少女は何も答えなかった。
ただ、黒獅子と金太を交互に見つめている。
「なんだてめぇ」
金太が不満そうに口を尖らせた。
「助けてもらって礼のひとつも言えねぇのか?」
少女は黙ったままだ。
「それと、肉まん返せ!」
「お前は少し黙っとれ」
黒獅子が金太を押しのけた。
「だってよぉ……」
黒獅子は少女へと向き直り、穏やかな表情で語りかけた。
近くで見ると、少女の衣服はあちこち汚れていた。
長い間、まともに休めていないのだろうか。
その顔には疲労の色が浮かんでいる。
「見たところ、身寄りもないようじゃな」
少女の瞳がわずかに揺れた。
「どうじゃ。儂らと一緒に来んか?」
「おい、師匠」
「なんじゃ、嫌なのか?」
「べ、別に……」
金太は少女を見た。
少女もまた、金太を見ている。
「……嫌じゃねえけどよ」
金太は照れくさそうに顔を背けた。
ぐぅぅぅ……。
静かな路地に、間の抜けた音が響く。
少女のお腹からだった。
「……」
少女は俯いた。
黒獅子は一瞬きょとんとしたあと、豪快に笑った。
「がっはっは!なんじゃ、腹が減っとるのか!」
少女はますます顔を伏せた。
「そうかそうか。ならば飯も食わせてやるぞ」
黒獅子はにっこりと笑った。
「どうじゃ?」
少女はしばらく考えていた。
見知らぬ二人。
一人は口が悪く、騒がしい少年。
もう一人は恐ろしいほどの剣の腕を持ちながら、どこか温かい笑顔を見せる男。
信用していいのか。
それは分からない。
それでも――
少女はゆっくりと、小さく頷いた。
「そうか!来るか!」
黒獅子は嬉しそうに笑った。
「儂は黒獅子じゃ。こっちのうるさいのが金太」
「うるさいは余計だろ!」
「よろしくの」
少女は二人を見上げた。
少女の唇がわずかに動いた。
だが、言葉になるより早く――
「いたぞっ!」
路地の入口から再び兵士たちが現れた。
「げっ!またてめぇらか!」
金太が顔をしかめる。
「しつこいっての!」
しかし、兵士たちは先ほどとは様子が違っていた。
誰も剣を抜こうとはしない。
むしろ、何かを待つように道を開けた。
「青龍様!こちらです!」
その声とともに、一人の男が姿を現した。
堂々とした足取り。
隙のない身のこなし。
そして、その身にまとった静かな威圧感。
男は少女を一瞥すると、黒獅子たちへ視線を移した。
「なんだ、てめぇは?」
金太が男を睨みつけた。
「無礼者!」
兵士の一人が怒鳴る。
だが、男は片手を上げてそれを制した。
「よい」
落ち着いた声だった。
「先ほどは部下が失礼した」
男は静かに頭を下げた。
「我が名は青龍。光の四神が一人」
「四神……?」
黒獅子の目がわずかに細くなった。
青龍は少女へ視線を向ける。
「王命である。その者を渡していただこう」
「ほぉ……四神まで出てくるのか……」
黒獅子は少女をちらりと見た。
「この娘、いったい何者じゃ?」
「へん!」
金太が一歩前へ出た。
「四神だか三振だか知らねぇが、誰が渡すかっつーの!」
「金太」
黒獅子が低い声で呼び止めた。
だが、金太は構わず青龍を睨みつけている。
「どれだけ偉いか知らねえが、この金太様が相手になってやるよ!」
青龍の表情が変わった。
「……後悔しても知らんぞ」
青龍の手が剣の柄へ伸びる。
速い。
金太が反応するより早く、白刃が眼前へ迫った。
「っ!?」
キィィンッ!
凄まじい金属音が響いた。
黒獅子の刀が、青龍の剣を受け止めていた。
「師匠!」
金太が息を呑む。
青龍は黒獅子を見つめた。
「……我が剣を止めるとは」
その目が、黒い刀へと向けられる。
「黒き刀。この剣気……」
青龍の表情が険しくなった。
「百人斬りの黒獅子殿とお見受けいたす」
黒獅子は口元を緩めた。
「ほぉ。光の四神にまで名が知られとるとは」
肩をすくめる。
「儂も有名になったものじゃな。がはは!」
「百人斬り……!」
「前大戦で光の陣営に一人で乗り込み、将軍を殺したっていうあの男か⁉︎」
「闇の国の英雄じゃないか!」
兵士たちに動揺が走る。
「騒ぐな」
青龍の一喝に、兵士たちは口をつぐんだ。
しかし、その声には先ほどまでとは違う感情が滲んでいた。
「まさか、このような場所で実際にお目にかかれるとは」
剣を握る手に力がこもる。
「光栄の至り」
青龍は一歩踏み込んだ。
「同胞の仇――討たせてもらう!」
鋭い斬撃が黒獅子へ襲いかかった。
「おっと!」
黒獅子は刀で受け流した。
しかし、その衝撃に足元の石畳が軋む。
「……ほぉ」
黒獅子の表情から、笑みが消えた。
「こいつは強いのぉ」
青龍が間髪入れずに攻め込む。
黒獅子はその剣を受け、弾き、反撃する。
二人の刀がぶつかるたび、火花が散った。
金太は思わず息を呑んだ。
師匠と互角に渡り合う剣士。
そんな相手を見るのは、初めてだった。
「金太!」
黒獅子の声が響く。
「その子を連れて逃げろ!」
「でも……」
「早くせい!」
黒獅子は青龍の剣を弾き返した。
「その子を守るんじゃろ?」
金太は黒獅子を見た。
師匠がここで敵を引きつけ、自分が少女を逃がす。
その意図を悟り、金太は力強く頷いた。
「……分かった!」
金太は少女の手を掴んだ。
「行くぞ!」
少女は驚いて金太を見上げたが、その手を振りほどくことなく駆け出した。
「逃がすな!追え!」
兵士たちが一斉に駆け出した。
「行かせん!」
黒獅子が素早く回り込み、兵士たちの行く手を塞ぐ。
だが、その眼前に青龍の剣が閃いた。
キィンッ!
「ぬっ!」
黒獅子は咄嗟に刀で受け止める。
「貴殿の相手は私だ」
青龍は黒獅子を牽制しながら、兵士たちに命じた。
「追え!」
「はっ!」
兵士たちは二人の脇をすり抜け、金太たちの後を追っていった。
黒獅子が黒い刀を構え直す。
「しつこいのぉ」
「行かせるわけにはいかぬ」
「はは〜ん、さてはお主、女子にモテんじゃろ?」
「なっ⁉︎」
青龍が動揺した隙をつき、黒獅子が踏み込む。
鋼と鋼が激しくぶつかり合った。
「しつこい男は嫌われるぞ」
黒獅子の重い斬撃を、青龍が巧みに受け流す。
青龍の鋭い突きを、黒獅子が紙一重でかわす。
互いに一歩も譲らない。
その激しい攻防の中、黒獅子は金太たちが消えた路地へちらりと目を向けた。
(金太……しっかり守れよ)
青龍が再び斬り込んできた。
黒獅子はその一撃を大きく弾いた。
「くっ!」
青龍の体勢がわずかに崩れる。
黒獅子はその隙に距離を取った。
「悪いのぉ」
「?」
黒獅子は刀を構えたまま、にやりと笑った。
「勝負はまたの機会じゃ!」
言い終わると同時に、黒獅子は身を翻した。
「待て!」
青龍が叫ぶ。
だが、黒獅子は振り返らない。
金太たちが消えた路地へ向かって、一気に駆け出した。
「ふっ……さすがだな」
青龍の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
そして自らも黒獅子の後を追った。
金太と少女を追う兵士たち。
その後を追いかける黒獅子と青龍。
それぞれの思惑を胸に、一行は王都の入り組んだ路地へと消えていった。
この小さな出会いが、やがて国の運命を大きく変えることになるとは――
まだ誰も知る由もなかった。




