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息ができる場所

 御岳(みたけ)が郵便受けを開けると、往復はがきが一枚入っていた。

 部屋に上がり、内容を確認する。

 高校の同窓会だった。

 御岳は無言のままはがきを手に、最後に同窓会に出席した時のことを思い返した。


 二十五歳の夏だった。

 あの震災の二年後で、皆、再会を喜び合い、話が弾んだ。

 御岳は店の隅で、時折り旧友と話しながら飲んでいた。

 ひとりしきり思い出話で盛り上がった後、誰かが「震災の時、どうしてた?」とぽつりと言った。

「俺は、避難所にトラック走らせてさ」

 食品工場の配送業者の男が、息をつきながら言った。

「首都圏に運ぶはずだった商品、全部被災地に回した。そしたら、避難所で」

「びっくりしたよ。偶然会ったんだよね」

 隣のテーブルから、学校教師になった女が声を上げる。

「避難所開設でバタバタしてたからさ、最初、気付かなくて」

「そんな再会あったんだね。私、店は断水しなかったから、断水地域の人の髪、洗いまくってた」

 美容師になった女がグラスを手にこぼした。

「俺は、店の前で炊き出し」

 飲食店勤務の男がぼそりと言う。

 隣の旧友が、「お前は?」と水を向けてきた。

 座敷の会話が、ふっと途切れた。

 御岳は杯を持つ手に力を込めた。

「俺は……」

 掠れた声が出る。

 胃の奥が、微かに引きつった。

「……何も」

 そう言って、日本酒の杯を飲み干した。

 味が判らなかった。

 ただ、アルコールが胃の腑を焼いた。

 その頃には、勤務先のダイビングスクールを畳む話が出ていた。

 海に出る仕事は、もう続けられないと判っていた。


 あれ以来、同窓会には行っていない。

 御岳ははがきを伏せ、欠席に印をつけようとして手を止めた。

 そのままはがきをごみ箱に放り込む。

 少しの後ろめたさに、御岳は顔を逸らした。


 仕事中は、体を動かしていれば余計なことを考えずに済む。

 利用者対応や設備の点検、プールの見回り、ロッカールームの水たまりのモップ掛け。

 やることは山ほどあった。

 だが、昨夜思い出した最後の同窓会の記憶に、不意に呼吸が乱れそうになる。

 御岳は閉館作業の途中、照明を半分落とした無人のプールで足を止めた。

 天井を見上げると、水面の揺らぎが反射している。

 静かな水面に、木崎と浮かんだ夜が重なる。

 呼吸が深くなり、楽に息ができた。

 隣の木崎と、知らぬ間に呼吸を合わせていた。

 無意識に掴んだ細い手首の体温。

 鼓動に合わせて、御岳の呼吸が落ち着いた。

 その感覚が、胸の奥に残っている。

 御岳は視線を水面から外した。

 照明を落としたプールは、もうすぐ夜の水になる。

 御岳は最後の点検を終えると、ジムの照明を落とした。

 施錠をして外に出る。

 七月の夜の空気は、この時間でもまだ蒸し暑い。

 駐車場に足を向ける。

 車の傍らに、人影が立っていた。

 御岳は目を細める。

「木崎……」

「御岳さん。お疲れ様です」

 木崎はいつもの、利用者としてジムで交わすような口調で言った。

「……今日は、来てなかっただろ」

 掠れた声で言いながら、御岳は彼のもとに歩み寄る。

「仕事があって。向かいのコンビニに夜食を買いに来たら、ちょうどプールの照明が落ちるのが見えたから」

 だから待っていたと言って、木崎は笑った。

「そうか」

「御岳さんもお腹減ってますよね。一緒に夕飯、食べませんか?」

「……もう、(がく)でいい。他に誰も残ってないから」

 そう言って、御岳は木崎の手を取った。

 指先を軽く握る。

 目を閉じる。

「……嶽?」

 木崎は握られたままの指を、そっと握り返した。

「少し、こうしてていいか」

 息を吐きながら、言葉を落とす。

「……何か、あった?」

 躊躇いがちの問いかけに、御岳は首を振った。

 呼吸が、ゆっくり整っていく。

 木崎はそれ以上、何も聞かなかった。

 深く息をついて、御岳は目を閉ざしたまま言う。

「お前といると」

 言葉が、夏の湿った夜気を揺らす。

「呼吸ができる」

 木崎は握り返した手に、そっと力を込めてきた。

 御岳は一度深く息を吸い、目を開けた。

「……行こう。いつもの店でいいか」

 握った手を離さないまま、木崎が頷く。

 御岳は車のキーを出し、ロックを外した。

 手を離し際、木崎が御岳を見上げる。

「嶽」

「なんだ」

 木崎は視線を揺らさず、まっすぐにこちらを見たまま言う。

「……なんでもない」

 夜風が、二人の間を通り抜けた。

 御岳は車のドアを開けた。

 助手席に木崎が乗り込む。

 御岳は一度、深く息を吸った。

 さっきより楽に空気が入る。

 エンジンをかけた。

 夜の街へ、車を出した。


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