風が通る庭
七月の庭は、草の匂いが濃かった。
御岳は首から下げたタオルで汗を拭い、飛び石の間に伸びた草をむしる。
土が乾いた音を立てた。
少し離れたところで、木崎が帽子のつばを押さえている。
庭の草が、風に揺れた。
庭は半分以上、草に埋もれている。
「飛び石、埋もれてるね」
「たまにしか来れないからな」
御岳は手を動かしながら答える。
「この庭、風が通る」
鉢の土を崩していた木崎が、風の匂いを嗅いだ。
「手入れしたら、もっといい庭になるね」
「……ああ」
御岳は手を止め、少し離れた木崎を見る。
帽子の影で、表情はよく見えなかった。
「お前、植物好きなのか」
作業を再開しながら、問いを投げる。
木崎が振り返る気配がした。
「うちの母親が、庭いじりが好きだったんだ」
「それで花の名前、良く知ってるんだな」
「園芸店とか、植物園とかにも、よく連れていかれたから」
「祖父が好きだった」
御岳は飛び石の脇の草を抜く。
「毎日、庭に出てた」
「じゃあ、この庭も」
「……昔は、きれいだった」
飛び石がひとつ顔を出す。
むしった草が山になる。
日差しが強くなってきた。
「暑いね」
手庇をして、木崎が首筋の汗を拭った。
「少し休憩するか」
御岳は腰を伸ばし、軍手を外した。
揃って縁側に上がる。
先に腰を下ろした木崎に、麦茶のペットボトルを差し出した。
「ありがとう」
笑って受け取った彼の隣に、御岳も腰を下ろす。
少し間が開いた。
タオルで汗を拭い、渇いた喉に麦茶を流し込む。
縁側の隅に、鉢が置かれている。
葉の間から枝が伸び、途中に小さな株がついている。
「あの鉢に植えてあるの、何て名前だ」
問うと、木崎が御岳の視線を追った。
「あれはオリヅルラン。ずいぶん伸びてるね。子株、切って植えつけてあげようか」
「子株って、あの枝の途中にあるやつか」
「そう。水に差しておくと、根っこが出てくるよ」
風が通り抜けた。
木崎が鉢に手を伸ばす。
枝にそっと触れた。
「子株、ひとつ貰ってもいい?」
「植えるのか」
「うん。書斎の窓際にあったらいいなって」
御岳はその横顔を見て口許を微かに緩めた。
「いいんじゃないか」
「じゃあ、帰りに切らせてもらうね」
「ああ」
木崎の指が、枝から離れた。
子株が揺れる。
夏草の匂いがする風が通った。
木崎の横顔に、御岳は少し身を寄せた。
唇に触れた。
数秒、時間が止まった。
木崎は逃げなかった。
御岳がそっと離れる。
木崎が瞬きをする。
「……嶽」
少し黙る。
「今の、庭仕事の報酬?」
御岳は答えなかった。
オリヅルランが揺れた。
夕方になって、御岳は客間に足を向けた。
あとから木崎が付いてくる。
客間は、昔泊まりに来ると御岳が寝起きしていた部屋だった。
押入れを開け、処分する座布団を出す。
ゴミ袋に押し込んでいると、木崎が声を上げた。
「この和箪笥、いいね。漆塗りだ」
部屋の隅の箪笥を見ている。
「仙台箪笥。母方の爺ちゃんが贈ったらしい」
「へえ。細工もきれい。……でも、曇ってるね」
木崎が表面を指でなぞる。
「もしかして、水拭きした?」
「ガキの頃。掃除の手伝いしようとしてやった」
木崎が苦笑する。
「怒られたでしょ」
「きつくは言われなかった。でも」
御岳は箪笥を見る。
「元に戻らないのを見て、反省したよ」
それから、祖父母の家のものに無暗に触れなくなった。
「でも、味は出てるよ」
木崎が箪笥の龍の鉄細工を撫でた。
「時間の色、って感じ」
御岳は少しだけ笑った。
御岳はゴミ袋を縛った。
客間を出て、帰り支度をする。
縁側に置いていた空のペットボトルを拾い上げる。
「木崎、帽子忘れるなよ」
「うん。あ、オリヅルラン、切っていい?」
脱いだまま置いてあった帽子を手にして、木崎が言う。
御岳は頷き、庭に出た。
祖父が使っていた剪定鋏を取り、縁側に戻る。
「使え」
受け取った木崎が、枝に刃先を入れる。
子株を切り落とし、手のひらにのせた。
「帰ったら、水に差すね」
「……それだけで根が出るなんて、強いんだな」
「環境が変わるから、根を出すんだよ」
御岳は黙って、木崎の手の中の子株を見た。
「……そうか」
新しい場所で、根を伸ばし、育つ。
御岳は子株から目を離さなかった。
夕暮れの風に、夏草と土の匂いが混じった。




