10−20 アララト山 (20)
オートマトンの引く馬車は、地下通路を西部教会の建物まで進んだ。ここから宿舎までは歩きだ。馬車を降りた時から合流していたヨハンの兄王子に対し、ヨハンがしばらく顔を向けていた。彼はヨハンに声をかけた。
「先に行ってくれ。野暮用だ」
そう言って修道士の耳に囁いた兄王子は、修道士と共に横道に逸れて行った。
私達は自分達の宿舎に戻る前にヒルデガルドの宿舎に向かった。宿舎の入口の前ではシュバルツブルグ王家の騎士らしき者達と、別の制服を着た騎士達、そして侍女らしき者が一人立っていた。
ヒルデガルドが近づくと、王家でない者に忠誠を誓っているらしき騎士達が二歩前に出て、侍女はその二歩前に進んだ。ヒルデガルドが侍女に近づくと、侍女は礼をした。
口籠るヒルデガルドを見て、侍女が口を開いた。
「首尾は如何でしたか?」
ヒルデガルドの水気は薄い青が漂っていた。
「アングリアの聖女候補が聖女となったわ。彼女のお誘いで、私は彼女のアドバイザーになります」
「お家には戻らないおつもりですか?」
「…ええ」
侍女が前に出る時、私はヒルデガルトを後ろから抱き寄せた。直後に侍女が前に出した物は、私が瞬時に作ったアイスシールドに刺さった。それは小さな短剣で、それが削った氷は溶けて、短剣に付着していた物質が水に拡散した。それは毒だった。
呆然として動きが止まったヒルデガルドに対し、ヴァイツゼッカーの騎士達が走り寄ろうとした。そいつらは全員、私のアイスボールで横殴りにされ、地面に転がった。そして、近くに潜んでいた修道兵達が棒やさすまたで倒れた騎士達を取り押さえた。
一人の修道兵が私に歩み寄って言った。
「聖女様、お手数をおかけして誠に申し訳ありません」
「構いませんが、後はおまかせ出来ますか?」
「もちろんです」
「侍女には手加減をお願いします。彼女には何か理由がありそうです」
「承知いたしました」
ヒルデガルドが『家に戻らない』と告げた時に、侍女の水気は赤と青と黒の混じり合ったものになった。何か弱みを握られてヒルダの口封じをする羽目になった事が青色なのだろう。一方、騎士達は真っ黒な水気だった。ヒルデガルドを殺す事にためらいなどなかった。
背中からお腹に手を回した私に抱きかかえられているヒルデガルドは、ぶるぶる震え出した。
「…やっぱり、家は私を許す訳がない…」
だから私はもう少し強く彼女を抱きしめた。
「許さないだけなら構わないけど、こちらに向かってくるなら容赦はしないから、安心して」
ヨハンは溜息を吐いて、諦め顔で近づいて来て言った。
「こいつは他人の為なら敵を容赦なく叩く。だから安心しろ。王家もお前を守ってやる」
と言いながら、この騒動を予想して難を避けたヨハンの兄の様に知らんぷりをする者もいるだろう。ヨハンの父親が協力的なら良いのだけれど。
まだヒルデガルドは震えていた。長年刻み込まれた父親達への恐怖はそうそう抜けないだろう。だから、私は後ろから彼女の顎の後ろに私の頬を擦り付けた。
「ヒルダ、安心して。私達は二人で一つ、あなたの命は私の命だから、必ず守るわ」
ヒルダは頬を擦り付けられるのに弱い様だ。頬が熱を持って来た。
「聖女、もう大丈夫だから…」
彼女の水気は黄色と桃色になった。大丈夫だろう。
だから腕を話して彼女の前に回って言った。
「私の事はテティスと呼んで。二人で聖女なんだから、お互いを聖女と呼ぶ必要はないわ」
「そう…」
まだヒルダの頬は赤かった。
宿舎に戻ると侍女達もヨハンの騎士達も祝福をしてくれた。事情を話すと宿舎付きの修道女達はヒルデガルドの部屋の準備と、警備の手配をしてくれた。
湯浴みをした後、夕飯は質素な物だった。教会と聖女の組み合わせでは質素にならざるを得ないのか。私の目の前のヒルデガルドは黙って食べ物を取り込んでいた。だから、食後のお茶の時に話しかける事にした。
「何か引っかかる事でもある?」
「あなたは聖女として生きる事に戸惑いは無いのね?」
それに対してはヒルデガルドを見つめて答えた。
「ほら、目先の問題があるから、その後の事まで気が回らないの」
「済まないわね。そんな苦労をする必用などないのに…」
「大丈夫。必用な事だから」
「何故必用な事と思うの?」
「だって、同じく聖女候補として不安な思いも苦労もして来た同士だし、聖魔法の知識はずっと上の先輩じゃない。そんな人を仲間に出来るのと出来ないのとでは、今後の苦労が違うでしょ?」
「別の苦労が舞い込んで来たんじゃない」
「だから、あなたと私は表と裏。正体は違うけど、気苦労は一緒なんだから、同じ気持ちを持つ仲間を見捨てられないわ」
「救う価値があるのかしら…」
「生きていさえすれば、過去を何らかの行いで挽回できる事もあるわ。お互い聖魔法師だから特に。これからも色々ミスもするでしょうけど、前向きに進みましょう。二人いるんだから、片方が立ち止まる様なら、片方が励ましましょう」
「そんなに前向きになれる自信はないんだけれど」
「出来る範囲で構わないから、ね」
ヒルデガルドはまだ萎れていた。
殺意に晒された後、すぐに元気になれるものじゃないのは私も知っている。だから今は彼女を見て微笑む以外はしなかった。
と、言うことで、明日から11章になります。




