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10−19 アララト山 (19)

 私はヒルデガルドを掴んでいる修道女二人に視線を向けた。それに従い修道女達はヒルデガルドの腕を離した。私はヒルデガルドをぎゅっと抱きしめた。

「聖女…私は…」

「今までのあなたなんて私は気にしないから安心して。私達はこれから二人で聖女なの。あなたは人を癒し、助ける事だけ考えれば良いの。過去はともかく、これから私達が救う人達は、私達に感謝などしないかもしれない。だけど、ささやかな人生を少しだけ健全に過ごす助けが出来れば、それはその人達をささやかに幸せにするの。そんなささやかな幸せを100人、1000人、1万人に与えて行くの。誰が認めなくても、そんな風に人々にささやかで穏やかな時間を与える。聖女ってそんな仕事なの。時には罵詈雑言すら返される事もあるでしょう。だから一人では挫けてしまうから、その時はあなたに叱責して欲しいの」


 ヒルデガルドの水気は青が薄まり、ほんのり黄色くなった。

「でも、私は…」

「私達は表と裏なのよ。それをこの聖女の試練は示していた。表と裏を向いているけど、やれる事は一緒なの。もちろん、あなたが私と別の道で同じことをしてくれるなら一緒に進もうとは言わないけど、あなたの家はそれを許さない。だから、私があなたを攫って私の好きにこき使うの。あなたは今から悲劇の主人公よ。自分は被害者だ、って思いながら他人の為に使役するの。それはそれで聖女の道だと思わない?」

ヒルデガルドは少しだけ私の方に体重を預けて来た。少しだけ私に心を開いてくれようとしている…


 ヨハンが近寄って来て言った。

「ヴァイツゼッカーは色々とやり過ぎた。戻っても待っているのは等しい滅亡だ。毒麦を仕込むヴァイツゼッカーは滅びる。お前は聖魔法で働くラインゼッカ―の始祖となれば良い」

良い事を言っているつもりらしいヨハンは、それでもまだ表情に仮面を被ったままだった。そんなに嫌か!?ヴァイツゼッカーの女が!


 そこにバルダッサーレ大司教が近寄って来た。

「ヒルデガルド候補、我々は毒の持ち込みが禁止されている事を事前にあなたに伝えました。にも関わらず毒を持ち込んだあなたは聖女失格です。ですが、これから聖女テティスを影から支えると言うなら、我々から聖女のアドバイザーというお墨付きを出しましょう」

ヒルデガルドはまだ少し腰が引けていた。毒剣を投げても罪悪感を持たない暗殺者の心から、普通の人の心に近づいているんだ。

「でも、私は…」

「今までどう生きて来たかも大事ですが、これからどう生きるか、それが一番大事です。懺悔をする事は必ずしも必要ではありません。ただ悔い改めて人の道を進む、そう誓うだけで構いません」

「私に、その資格があるの…?」

私はヒルデガルドの頬に私の頬を擦り付けた。

「必用な事は、どっちに進むか決める事よ。さあ、今、決めて」

ヒルデガルドは少し逡巡したけれど、水気の黄色が濃くなった。

「私は…出来れば聖魔法の知識を生かして生きてみたい…聖女になれるほどでは無くても、他の人よりは知識も力もあるのだから…」


「あなたの決断を祝福しましょう。聖女テティス、迷える子羊をお願いいたします」

「はい。私が誘ったのだから、二匹の子羊として一緒に迷いながら進みます」

私はぎゅっとヒルデガルドを抱きしめ、頬を擦り付けた。

「ちょっ、もう、良いから」

ヒルデガルドの頬が熱くなった。彼女の水気も黄色の中に桃色が混じっている。ふふん、多分、同じく姉に可愛がられなかった者同士、こんな風にぎゅっとされると嬉しいという感情は共通の筈だ。口には出さないけど、私のお姉様になってね。


 バルダッサーレ大司教は締めにかかった。

「それでは、地下通路を馬車で戻っていただきます。ハインリヒ殿下はお一人で、ヨハン殿下と聖女テティスはアドバイザー・ヒルデガルドを伴って戻って頂きます」


 私達は黒い布で大部分が隠されている太った馬が引く馬車に乗った。ブリアレオスは横道で20ft程度の身長の八本足の魔獣らしきものの首に跨った。多分、あれが従魔の一つなのだろう。


「奇妙に揺れない馬車だな」

ヨハンが言う。

「揺らさない様に動いているのでしょ」

「馬も作り物か?」

「水気がなくて、ここいらの壁の様なざわつきを纏っているからね。オートマトンの一種でしょ」

ヒルデガルドが恐る恐る口を開いた。

「差し支えなければ、何を話しているか教えて欲しいのだけれど」

「ヒルダ、鹿の魔獣ケリュネイアを多分毒殺したと思うけど、その後にメイドらしき者は現れた?」

「ケリュネイアに手古摺って、結局経路を外れてしまったから、その後に何が現れるかは知らないわ」

「私の場合、ケリュネイアを何とか手懐けて帰ってもらったんだけど、その後にメイドの姿をしたオートマトンが現れたの。ここではそのメイド型、今この馬車を引いている馬型、それにさっき部屋にいたヘカトンケイル型その他のオートマトンが稼働しているの」

「ヘカトンケイル?あのゴーレムには手が一組しかなかったけど?」

ここでヨハンが口を挟んだ。

「ほら、見ろ。百腕巨人に二本の腕しかなかったら、ただのゴーレムに見えるもんだ」

私は溜息を吐いた。

「とりあえず第一の従魔が見れて良かったわね」

「従魔と言うが、オートマトンなのだろう?」

「妙に滑らかに動いていたからね。水気も無かったし」

「奴が鳥の目を持つなら確かに役に立つな」

「持ってるでしょうよ。偵察するなら鳥が必用でしょ。方舟から陸地を偵察したのも鳥だったし」

 ヴァイツ:小麦、ゼッカー:労働者、従事者、という意味らしいです。ゼッカーにライン:清らか、を組み合わせた苗字はないらしいです…


 金曜はお休みします。土曜で10章終了、11章が最終章の予定。


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