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【愛情】

 

 私は5つの頃の記憶を覚えている。


「可愛い可愛い私のマリーちゃん」


 母がそう私を呼んでいたのを、覚えている。

 母は、弱い人だった。父は母を置いてどこかに行ってしまい、母は心の拠り所を小さな私に求めた。私はそれを愛情だと思い、母を喜ばせるために頑張った。


 私の10歳の誕生日の時に、母は男を連れてきた。母は嬉しそうだった、だから私も嬉しかった。

 その男は優しそうな人だった。だけど、その男にはある趣味があった。彼は、幼い女の子が好きだった。時々感じるその人からの視線。お風呂やトイレに偶然入ってくる事も多かった。けれど子供だった私は嫌な感じはしても、わざとじゃないと思っていた。


 ある日男は私を部屋に呼び出した。そして私に服を脱ぐように指示をした。私は嫌がった、すると男はますます嬉しそうな顔をする。


「お父さんの言うことを聞きなさい」


 優しそうな笑みを浮かべて男は言う。嫌だったけど、私は服を脱いだ。私と男が喧嘩をして、母が落ち込むのを見たくなかったからだ。服を脱ぐと、男は私の身体をじっくりと見ていく。


 男は、「綺麗だね」とか「まだ小さいね」とかなんとか言っていたと思うけど、私はあまり聞いていなかった。早く終われとそう思っていた。

 その後も、何回も男は私を部屋に呼びつけた。身体を見て、それが飽きると舌で全身を舐め回す。おぞましかった。


「お父さんと、呼びなさい」


 男は優しそうな笑みで、そう言う。私が嫌がると、男は私の頬をぶつ。仕方なく、お父さんと呼ぶと男は嬉しそうに私の身体を舐めた。


 そんな関係になってから1ヶ月が経った頃、私は男に犯されそうになった。それがどういう行為なのかは分からなかったけど、怖くて怖くて、私は大声で泣いて逃げ出した。男はそれを追いかける。

 私は母に助けを求めたのだ。母にあの男が私の身体を触ってくると、そう言った。


 私は母に期待した。母なら、私に愛情をくれる母ならきっと、守ってくれる。そう思っていた。だけど、母が全裸の私を見て、表した表情は、男への怒りでも、私への同情でもなく、『嫉妬』だった。


「なんでっ、あなたがっ、あの人に色目を使ってるのよっ!」


 母はそう言って私のことを叱った。私は訳がわからなかった。だけど、そんな母が怖くて仕方がなく私はごめんなさいと謝った。


 それから母は露骨に私の事を嫌うようになった。私はその時悟った。母が愛していたのは私ではなく、『母を依存させてくれる存在』だったということが。母の依存対象が私から男へと移ったことで、私の存在価値は無くなったのだ。


 そして私はほどなくして奴隷業者へと売られた。はした金だったと私を買った奴隷業者の男は言っていた。母は私に男を盗られるのを恐れたのだ。


 奴隷になって、まさに人間以下の扱いを受ける日々。そんな私にも買い手が見つかった。どこかの資産家だ。私はその時12歳だった。


 私はその時、やっと地獄のような環境から抜け出せると本気で信じていた。けど現実は違っていたのだ。


 前の環境よりも遥かに酷い地獄が私を待っていた。言葉に表せないようなこともたくさんされたし、私の心は音を立てて崩れていった。何度も死にたいと思った。けれど死ぬことすら許されなかった。


 ――何で私だけがこんな目に? 何を間違えたの? どこが駄目だったの? 私のどこが……お母さん。


 私は17歳になっていた。精神的にもすり減っていた。そしてある日私の飼い主は突然私に飽きたらしく、私を捨てた。驚くほど呆気なく、簡単に。奴隷として売るわけでもなく、森に捨てたのだ。


 やっと私の待ち望んでいた自由が手に入ったのだ。外の世界。だけど、既に私には生きる気力がなかった。


 ――このまま、死のう。


 そう思って私は森の中で何をするわけでもなく寝そべっていた。

 生きる意味なんてなかった。そう思うと、無性にこの世界に腹が立った。何故こんな世界が存在するのだろう。誰のための世界なんだろう。世界なんて、壊れてしまえばいいのに。


 数日経って、意識も朦朧とし、目も霞んできた。終わりの時が近づいていた。その時だった。誰かの足音が聞こえた。そして私に近づくと一言だけ呟いた。


「世界を壊したいか……?」


 私はただ頷いた。奴隷になってから一度も出なかった涙が頬を伝っていた。その男は自らをアナザーと名乗り、私に力を与えた。


 私は力を貰った後、私の飼い主だった人の屋敷に戻り、住んでいる人達を皆殺しにした。

 驚くほど何も感じなかった。そうか、私の心は既に死んでいたのだ。


 だから私は自分を作ることにした。精一杯明るい声で、可愛らしい服を着て、せめて世界が滅びるその時までは、私は偽り続ける。


 ♦︎



「――あなたに、あなたに何がわかるの? シオン。ねぇ、教えてよ」


 マリーは今までとは違い、ふざけたような声色ではなくなっていた。

 俺は、言葉が出なかった。マリーが話した内容は到底俺が即座に受け入れることのできるものではなかったからだ。


 マリーが奴隷だったこと、それは俺にショックを与えるのには大きすぎる事実だった。


「俺は、俺は……」

「私の何が間違ってたというの? 私の何がいけなかったのよ。教えてよ、教えてよシオン!」

「お前は……間違ってなんかない……」


 何を言えばいいかなんてわからなかった。

 だから俺は、ただそういうしかなかった。するとマリーは涙を流して続ける。


「じゃあ、どうすればよかったのよ……奴隷の時に、あなたに飼われてれば、私も幸せになってた……?」


 ドクンと心臓が鳴った。そうだ、そうなのだ。彼女は俺が救えなかった『レイ』だ。また、頭の中であの男の言葉が反芻する。


『助ける? ほぉ、じゃあお前さんはここにいる奴隷全てでも買うつもりか? あの小娘だけが可哀想だとか抜かすつもりはないよなぁ?』

『つまりだ! お前の言う助けるなんてのは所詮ガキの戯言! 自己中心的であまりに偽善だ!』


 そうだ。これはまさにその『結果』ともいえる。俺が『助けなかった』人達の末路。レイにだって、こうなっていた可能性はあるのだ。


「世界を壊す、それだけが残る私の生きがい。アナザーが消えて力も無い今、私はもう生きる気力なんて、ない……」

「マリー」

「ねぇシオン。少しでも私の事を想ってくれているなら……私を、殺して?」

「本当にそれしかないのか……」

「それが唯一、最期に残された望み」


 マリーは俺の目を見て、力強くそう訴えた。俺は、ゆっくりと剣を背中から引き抜く。


「私の死体は燃やしてくれると嬉しい。この世界に私を残したくないから」

「……そうか」

「うん、それじゃあ……お願い」


 マリーは目を瞑り、手を広げた。俺は目を瞑りそして決意する。俺は剣を構え、マリーの後ろにあった『木の箱』に突き刺した。箱はばらばらと音を立てて崩れる。

 マリーは驚いた顔をしていた。


「な、何を……シオン! なんで私を殺さないの!?」

「闇ギルドのマリーは、今死んだ。俺が殺したんだ。今俺の目の前にいるのは、ただの普通の女の子だよ」

「何よその理屈っ! なんで、なんでそんなことするのよっ……そんなこと私……頼んでないっ!!」

「そうだ。だからこれは俺のエゴだよ。俺はお前の命を奪う権利を貰った。お前の命はもう俺のものだ。だからその命は、俺のために使ってくれ」


 俺はそう言った。

 俺は殺したくなかった。本当は誰も殺したくなんかない。彼女は本当に死にたいのかもしれない。だけど俺は生きていて欲しかった。だからこれはただの俺のエゴだ。偽善ですらないんだ。


 彼女を助けようと思っても、助ける術が思いつかなかった。彼女の唯一の救いが『死』だと言うからだ。結局俺は、彼女を助けることが出来ずに、こうして生かしている。けど俺は……これ以外の選択肢を考える事はできない。


「私が、あなたのために……生きる?」

「そうだ。お前が死にたくても関係ない。お前は俺のために生きろ。勝手に死ぬ事なんて許さない」

「……そんな、そんなの……酷い……! なんで……なら自分で――」

「発動、精神支配マインド


 マリーが自分に剣を突き刺そうとしたのを見て俺はスキルを発動させる。このスキルは、今まで使ったことがなかった。圧倒的実力差のある相手に対して有効で、人の精神に踏み入り、文字通り支配してしまうからだ。


「な、んで? 刺せない……」


 マリーの腕がプルプルと震え剣を動かせないでいた。


「俺のスキルだ。お前はもう自分で死ぬ事はできない。暗示をかけた」

「嘘、そんな……死ぬ事すら、許されないの……!? 酷い……酷いよ」


 マリーは剣を手から離し、涙をこぼした。そのまま、俺の胸に向かって拳を弱々しく叩きつける。


「殺して……殺してよ……殺して……ぇ」


 裏路地にはそう呟き続ける少女のか細い声が響いていた。

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