#09 尽くすセフレ
風は突然吹いて、いたずらに髪を乱していく。
今週に入って、もう五日。一週間が終わろうとしているのに、大和と一度も会えていない。
週の始めに大和から突然、『悪い。今週は忙しいから会えない』とメッセージをもらっただけでぱったり音沙汰がない。バイト終わりの迎えも、私の日常にずかずか入ってむやみやたらに気にかけていた世話焼きもなかった。
今まで仕事が忙しくても、私を心配してくれていたのに。セフレの線引きとして、そういうことはやめたのだろうか。
会えない状況に心が乱れる自分が嫌だった。
だから私もそれなりに忙しく過ごしていた。
授業、サークル、バイト、ネイルサロン。涼香にまた誘われて合コンにも行った。
どんな繋がりかは知らないけど、相手は難関大学C大の法学部の学生で、六人が六人とも、育ちも頭も良さそうだった。でも顔は普通だったから、どこにでもいる男子学生に見えた。
ちゃんと盛り上がったはずなのに、誰からも連絡先を聞かれない合コンは初めてだった。
あとから涼香に聞いた話では、高嶺の花と思われていたらしい。嘘か本当か、さすが法学部。言葉選びがうまいなと思った。
そういえば大和は今夜、合コンだ。
今週はずっと忙しそうだった。さすがに今日は合コンどころじゃないかもしれない。
それとも行ったのかな……私とは今週一度も会えなかったくせに。
そんなことが気になって、嫉妬にも似た不満が心にずしっとのしかかる。
それはみっちり入った授業と立ちっぱなしのバイトで疲れた身体にはきつかった。
「ただいまー」
薄暗い部屋。ドアのすぐそばにあるスイッチを手探りで探して電気をつけた。
テレビボードに置かれたデジタル時計は二十一時を示していた。
ソファにトートバッグを投げるように置くと、沈むようにどかっと腰を下ろした。
あーあ、と宙を仰ぐ。
せっかく、今週会えた時に思いきって、夏休みの予定に大和を誘おうと思っていたのに。
すっかりその熱が冷めてしまって、涼香に頼んでN大の蓮でも紹介してもらおうかなーと思えてしまう。
こんなことならあの時、連絡先くらい交換しておけばよかった。そしたらキスの一つや二つ、大和の唇の代わりくらいにはなったかもしれない。
邪な気持ちを断ち切るように、バッグの中でスマホが振動した。
のそっと手を伸ばして取り出すと、画面には大和の名前。
私は目を丸くしながら通話ボタンを押して、スマホを耳に当てた。
「大和?」
「よぉ、久しぶり」
今週一度も聞いていなかった大和の声が、私の胸の奥に地味に刺さった。
「今日、合コンだよね?」
行ってるかもわからないけど聞いてみた。
「ああ。タバコ吸いに抜けてきた。で、葉月の声聞きたくなって電話した」
ふぅん、行ったんだ。そんな言葉を飲み込むと、気だるげにタバコを吸う大和が目に浮かんだ。
「タバコの匂い、女の子に嫌がられるよ。私は嫌じゃないけど」
「べつにいいよ」
煙を吐く、深い息遣いが聞こえた。
「葉月に嫌われなきゃ」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。
「大和、今すぐ会いに来て……?」
受話口の向こうから、大和の困ったように笑う声がした。
「無茶言うなよ。俺今、合コン中」
「……じゃあ、嫌いになる」
「葉月、何言ってんだよ」
自分でも何を言っているのか、よくわからなかった。
ただ、私とは会えないほど忙しいのに、合コンには行けるんだなと思ったら面白くなかった。
「もういい。ごめん。今言ったこと忘れて。じゃあね」
大和の言葉を待たないまま、突き放すような声音で早口に言って通話を切った。
スマホを手に持ったまま、ため息をついてソファに倒れ込んだ。
馬鹿げてる。身体だけの関係で彼氏でもない男に「今すぐ会いに来て」と言うなんて。
私を後回しにしていることが面白くないからだ。
おまけに彼氏みたいなことを言われたから錯覚しただけだ。
さもなければ性欲のせいだ。そうに決まってる。
きっと一回抱かれればこの気持ちは落ち着いて、また一週間くらい大和をポイッとできるんだ。
だいたい大和なんて、タバコの匂いで女の子に煙たがられればいいんだ。
薄れていく意識の中、そう思いながら、私は眠りに落ちた。
手の中で響く規則正しい振動で、ハッと目が覚めた。大和から着信だった。まだ寝ぼけている指先で通話ボタンを押した。
「ん……大和?」
「なんだよ、寝てたのかよ。合コン抜けてすっ飛んできたのに」
寝起きに心地いい声が、耳の奥をくすぐる。
言っている意味がわからないまま、とりあえず体を起こした。
「え?」
「窓。開けてみて」
大和は短くそう言った。
言われた通り窓を開けると、窓の下に見える駐車場に大和がいた。
街灯の光の先端にわずかに照らされて、佇んでいる。
「え……どうして……?」
「今すぐ会いに来てって言っただろ」
大和は当然みたいな口ぶりで言う。
それは昼間の灼熱の太陽みたいで、私の意地を溶かし始めた。
「出てこれる?酔い覚ましに、葉月と散歩したい」
「……うん」
私はそう返事をして、窓も閉めないまま、急いで玄関に走った。
「大和!」
頼りない街灯の光が零れる暗闇の中、大和に駆け寄ると、大和は私の頬を両手で包み込み、唇を重ねた。
強引に舌が滑り込んできて、甘い吐息が漏れてしまう。
静かな夜に淫らな音が響いて頭がおかしくなりそうだった。
「……ん、部屋、行こうよ……」
どうにか唇を離して息も絶え絶えに口にすると、呼吸がわずかに乱れている大和を見つめた。
「いや……葉月が愛おしくて、今日はいつもより手荒に抱きそうだからやめとく」
愛おしくて。私たちの関係には似合わない言葉をサラリと口にした大和は、私の目線まで屈むと、頭にぽんと手を置いた。
抱き方なんてどうでもいい。そんなに大切に扱わなくていい。私たちは、セフレなんだから。そう思って私は呟いた。
「それでもいいのに……」
「そういうこと言うな。マジでそうしたくなる」
大和は軽く前髪をかきあげると視線を泳がせた。そのあと一息ついて私を見てきた。
「俺、葉月のこと大事にしたい」
えーっと。あなたはセフレなんだから、彼氏みたいなこと言わないで。
そう目で訴えるも、大和には伝わらない。
「俺のこと嫌いにならないで」
大和が私のことを好きなのは知っている。
でも私はその気持ちに応えたことはないし、答えるつもりもないと思っている。
だから、私が離れていくことを恐れる大和のすがるような目には困ってしまう。
大和は返事に困っている私の手をそっと取った。
「歩こうぜ」
私の指の間に自分の指を滑り込ませて、大和は笑った。
それは、セフレの枠を超えてしまうんじゃないかと不安になるくらい、ごく自然に。
「今週、出張行ってたんだ。三泊四日で名古屋と北海道に」
「え?出張?」
薄暗い道で聞かされたその話は、寝耳に水で私は少し驚いた。
「ああ。先週末に突然決まって先輩と二人で」
よく見ると大和の横顔は、いつもより疲れているように見えた。
「先輩とは常に一緒で、夜は毎晩飲みに連れて行かれてホテル帰ったら疲れて即寝。こっち帰ってきたら後輩のトラブル片付けて。だから葉月に連絡する隙がなかった」
なるほど、そういうことだったんだ。
てっきり、忙しい時は私に構うのをやめたのかと思った。思わず緩みそうになる口元を必死に押し隠して、私は責めるような口調で言った。
「でも合コンはちゃんと行った」
「世話んなってる先輩の誘いのだったから行かないわけにいかなくて。まぁ途中で抜けてきたから参加してないも同然だけど」
大和は小さく笑うと、繋いでいる手の指先にわずかに力をこめた。
「葉月に『会いに来て』って言われて、いてもたってもいられなくなった」
大和を困らせたくてぶつけた言葉だった。
まさか本当に会いに来るなんて。
どう処理していいかわからない気持ちを抱えて、私は前を向いたまま返事をしなかった。
「寂しかった?」
「全然。充実してたもん。バイトとか合コンとか」
イタズラっぽく聞いてきた大和の言葉を、私は無表情で突っぱねた。
「葉月らしいな。だから追いかけたくなる。でも寂しかったって言われても、それはそれですげー可愛いんだけどな」
大和が、くくっと笑う。
私が強がっても、素直になったとしても、大和にとってはどちらも可愛いんだ。
そんな愛され方、私は知らない。
だからだろうか。大和の言葉がひどく心地よかった。
街灯と、ぽつぽつと灯された玄関の灯り以外はない暗闇で、シャッと走り抜ける自転車とすれ違った。
家が立ち並び、生活している気配はあるのに、外を歩くのは私たちしかいない。
人通りが少ない住宅街で、大和と手を繋いで歩いていると、私は変な気持ちになってきた。
気持ちが昂って、心臓がドキドキする。大和をもっと近くに感じたくて体を少し寄せた。
今なら、言える気がした。
「ねぇ、大和。私、八月から夏休みなんだ」
「へぇ。いいな。社会人になったらなかなか遊べねーから、遊べる時は思いっきり遊んどけ。でも、男遊びはほどほどにな」
からかうような口調とは裏腹に、大和の目はどこか切なげだった。
また合コンでも行くんだろうな、とでも言いたげな、少し呆れたような目だった。
「うん。それでね、夏休みの思い出を作りたくて、大和にバイクで海に連れて行って欲しいの。海に沈む夕日を、一緒に見たくて」
歩いていた大和の足が止まった。
それに気づいて私も立ち止まり、振り返った。
大和は瞬きも忘れて私を見ていた。
「え?だめ?」
ハッとしたように大和の睫毛が小さく揺れた。
「いや……、どこへでも連れて行く。今すぐにでも」
そう言った大和の顔が次第に綻んでいく。
私は吹き出した。
「なにそれ」
「そんな可愛いこと言われたら今すぐ連れていきたくなるだろ」
可愛いことを言ったつもりはないけどまぁいい。大和が単純で。
これで夏休みは充実できそうだ。
「あー。嬉しすぎてやべぇ」
照れた顔を隠すように手で口元を覆い、ニヤける大和を横目に見ながら、私は満たされた気持ちを抱えていた。




