#08 焦るセフレ
結局のところ萌は、
「元彼とのエッチは気持ちよかったけど浮気されました。やっぱり今の彼がいいんですかね!」
などと言って彼の良さをあっさり再確認してニコニコしていた。
こっちは自分の気持ちを考えさせられて少し滅入ってしまったというのに。
このまま大和のことばかり考えていても仕方ないと思い、DVDが詰まった棚から海外ドラマの〝FRIENDS〟を抜き取った。
映画研究会とはいえ、映像作品ならなんでも歓迎。棚には映画だけではなく海外ドラマやアニメのDVDまで並んでいる。
シーズン10まである作品。その中でも、友達同士だった男女が酔った勢いで寝てしまい、セフレのような関係になる中盤のシーズンを選んだのは正解だった。
おもしろおかしく描かれた〝セフレ〟の関係に、たくさん笑った。
途中で光太に、
「なんであえてこのシーズン?」と突っ込まれてドキッとしたが、「好きだから」その一言で強行突破した。
午後はそのままバイトへ。
自社ブランドの服を着て接客するのはもちろん、出退勤するのが決まりだ。だから今日は上から下までMuseのもので決めている。
黒のミニスカートにくすみピンクのシアー素材のオフショルダートップス。足元はDIANAの細いストラップの黒のヒールサンダルで、バッグはお馴染みの黒のイブ・サンローラン。
私の働くショップでは、お客様に見られる可能性がある以上、ブランドの世界観を崩さない服装が求められている。休日は完全に自由なのだけど。
私はまだ休日にお客様にばったり会ったことはないけれど、もしスッピンのスウェット姿でイメージを壊したら店の売り上げは落ちるのだろうか。私にそんな影響力はないと思うけど。
LUMINEへ着くと従業員入口から店内へ。
バックヤードの個人ロッカーに貴重品を入れ、鏡で髪とメイクを軽く整えると売り場へ向かった。
「あ~葉月~!昨日はごめんね~!」
レジの後ろの作業スペースで備品の整理をしていた美羽の甘ったるい声が、私を迎えてくれた。
店内を見るお客は一人。無駄話ができそうだった。
「一体どうなってて、どういうつもりだったわけ?」
目を細めて小さく睨む。
美羽は怯みもせずに人差し指を顎に当てたお決まりのぶりっ子ポーズをしながら口を開いた。
「えっとー。ネタばらしをするとね、尚人くんがなかなか二人きりで会ってくれないから『葉月が大和くんのこと好きだから協力して』って尚人くんに頼んだの」
「は!?なにそれ!?」
「だってそうすれば四人で会っても、葉月と大和くんを二人きりにして、私と尚人くんも自然と二人きりになれるでしょ?」
えへへ、と悪びれもなく美羽は笑う。
頭の中ふわふわそうに見えて知能犯だった。
「だから、偶然会ったふりして、ランチして、尚人くんに『葉月と大和くんを二人きりにさせてあげたいから、美羽と二人きりになりたいって言って』って伝えたの」
そういうことだったのか……とつじつまが合う。
「え、じゃあ尚人くんは、私が大和のこと好きって思ってるの?」
「うん、そうだよ。ごめんね、バラして」
罪悪感などちっとも感じていない笑顔で言う。
どこから突っ込めばいいのか。
「いや、私、大和のことべつに好きじゃないし、それにここはもっと、嘘言って悪かったーとか自分本位で悪かったーって顔見せようよ」
ん?と首を傾げる美羽を見て、何も通じないと私は悟った。
「だって葉月、本当は大和くんのこと好きでしょ?」
レジカウンターの備品を整理していた私の手が止まった。
「は?大和にそういう感情はないよ」
言いながら、また手を動かし始めた。
「えー?イケメンなのにぃ?」
「イケメンだから恋に落ちるわけじゃないの。で、美羽は尚人くんと進展あったわけ?」
あれだけ人を振り回したんだ。進展させてなきゃゲンコツものだ。
「『美羽ちゃんて友達思いなんだね、また四人で遊ぼうか』って言われたよ!」
美羽は顔を赤らめながら嬉しそうに言う。
生ぬるい。私と大和の関係に比べたら、ずっとぬるくて純粋で、焦れったいものだった。
いや、もうそれは脈ナシとも言えたりして。
「大和にも協力させるから、待ち合わせ場所にはあんたたち二人だけが来たことにして二人で会いなよ」
「あ!それもいいね!」
美羽は目を輝かせ始めた。
「ところで葉月はどうだった?大和くんと二人きりで外でデートするなんて、初めてだったんじゃない?」
美羽は何かに期待しているようだった。
「うん。スタバ行って手持ち無沙汰になって二人でアパート帰ってそのまま」
「なんだぁ、進展なしかぁ。つまんない」
美羽は不満そうに唇を尖らせた。
大和と新しい関係性になったわけじゃないけど、小学生みたいなグループデートを提案する美羽たちよりは進んでいると思う。
彼女は、私と大和をどうさせたいのだろう。
大和とこれ以上の進展なんて、ないのに。
それから三日経ったある日。
いつものように行為を終えて着替えていると、背を向けている私に、大和は言いにくそうに静かに告げてきた。
「なぁ葉月。俺さ……来週の金曜の夜、合コン行くことになった。数合わせで」
ブラウスのボタンを閉めている手が止まったりなんかはしない。
驚かない。合コンなんて勝手に行けって感じだ。
「へぇ。楽しんできて」
「数合わせっつってもいい子がいたら、おってなるかもしれない」
私を試している言い方に、思わず反応してしまった。
「ああ……」
急に表情が暗くなった私を、大和はじっと見ているようだった。
私が動揺したとでも思っているのだろうか。そんなわけない。
好きな人ができたらこの関係は続けられない。そう考えてちょっと惜しい気がしただけだ。
「そしたら私と大和の関係は終わりだね」
「……え?」
予想外の言葉だったようで一瞬の間があった。
「だって気になる人ができたのにセフレがいるって、なんか不潔じゃない?」
そのへんの美徳やモラルはあるつもりだ。
ベッドの向こうにいた上半身裸の大和は、慌てながらベッドの上をどかどか進んで私のところまで来ると、ぎゅっと抱きしめた。
「やっぱ行くのやめる。葉月とここでこうしてる」
「え、行ってきなよ。べつに飲みに行くくらいなら気にしないよ。恋人じゃないんだから。でも誰かを好きになったら、その時はこの関係は終わりってこと」
大和は何も言わず、考え込んでいるようだった。
「余裕なんだな。その余裕、どうしたら消えんの」
不意に大和が首筋にキスをしてきた。一瞬にして別の意味の余裕が消えそうになる。
「んっ……大和……もう今日は……」
執拗なキスに、ぞくぞくする快感が身体を甘く痺れさせた。
「まだ終わらせる気ねーから……」
それはセックスのことなのか、この関係のことなのかわからない。
大和はそのままベッドに私を押し倒し、せっかく着た服を荒々しく脱がしていった。
7月も半ばを過ぎ、前期の授業も残りわずかになっていた。
そろそろ試験勉強しなきゃ!とか、レポートもあるし課題も終わってない!と、じわじわ焦る。
そんな焦りを抱え、学生ラウンジの大きな窓際のテーブルにノートを広げて、試験範囲を確認していた。視界の端では、青々とした木々の葉が風に揺れ、窓の向こうから元気に鳴くセミの声がわずかに聞こえてくる。
夏のど真ん中にいる。そんな気がした。
今日は午後から授業はなかったけど家で勉強する気にはなれず、大学のラウンジに残っていた。
スマホが振動した。涼香からメッセージだった。
『今日、学校来てる?』
『来てるよ。ラウンジにいる』
ほどなくして涼香が手を振りながら現れた。
相変わらず露出全開の派手な服装をしている。
下品に見えないのは、整った顔のおかげだなと思う。
「葉月~、いたいたぁ!元気ー?」
涼香と顔を合わせるのは三週間前の合コンの日以来だ。時々連絡はとっていたものの、なかなか顔を合わせず時間が過ぎていった。
でもそんなブランクを感じさせないまま涼香は向かいの椅子に座った。
「あれから涼香見かけないから死んじゃったかと思った」
軽く冗談を言って空気を温める。
涼香はげっそりした顔を浮かべた。
「死んでたよ。課題に追われ、レポートに追われ、慧くんにも追われて」
「慧くん?」
「ほらぁ、N大のイケメン。仲良くなったんだけど常に連絡がくるマメ男でうっとおしくて。連絡に縛られて殺されかけてた」
手が早そうなキス魔の蓮といい、束縛男の慧。つまり曲者揃いのN大ってわけだ。
「ねぇ、ハーブスのケーキ奢ること覚えてる?」
「覚えてる。このあと、何限目?」
「ないよ。涼香は?」
「私もない。じゃあ、行く?」
涼香がいたずらっぽく笑う。それにつられ、私もニマッとして、ノートを閉じた。
池袋LUMINEのHARBSは平日の昼間でも行列が絶えない。三十分並んでどうにか店内に入れた。
大好きなミルクレープを注文。
大きくてフルーツたっぷりで、自然と笑顔がこぼれた。フォークを入れて、その一切れを口の中へ。幸せの瞬間。それなのに、涼香の一言で台無しになった。
「ねぇ。そのセフレくん、彼氏にしないの?」
思わず口から出そうになる。口元を手で抑えて大して味わいもせずに飲み込んだ。
ここにたどり着くまで、彼氏でもないのに優しい大和のことを話すと涼香は「それって葉月のこと好きじゃん!」と見抜いてきた。
「は?しないよ」
「なんで?」
「なんでって、ただのセフレだから」
「好きにならない?」
「ならない」
「私は好きになったよ。で、付き合った。長くは続かなかったけど」
涼香は上品な顔立ちとは似つかわない大きな一口を頬張った。
ブルーベリーチーズタルト。それも捨てがたくてぎりぎりまで悩んだ。
「身体の関係から始まる恋もあるよ?」
「うん。わかってる。でも今、彼氏欲しいって思わないからそんな気にならない」
「じゃあ夏休みは誰と過ごすのよ」
そう言われ、ミルクレープを口に入れたまま、きょとんとした。
そういえば、もうすぐ夏休みが始まる。
目の前に広がる50日を無駄に過ごしたくなくて、健全な大学生なら好きな人や彼氏との予定をあくせく詰め込むんだろう。
それに大学三年の夏ともなれば、インターンだの就活だのそろそろ将来を意識する時期でもある。
私はインターンの予定もないし、卒論も必須じゃない。就活も本格的に始まってないから、夏休みが真っ白で横たわっている。
何か予定を入れてほしそうに空っぽの夏休みが私を見てくるけど、目を逸らした。
「今年の夏は一人でのんびり過ごすよ。寝て起きてバイト行って大学の課題やってさ」
涼香は顔を歪めた。
「何言ってんの。三年の夏休みだよ?来年なんて就活とかで忙しいかもしれないじゃん。それで卒業したら社会人だよ?今みたいに自由に遊べるの最後かもしれないんだから、予定ないなら遊ばなきゃ損でしょ」
涼香は何も考えてなさそうに見えて結構現実的なことを言ってのけた。
何も考えてないのは私の方だった。
「ま、私はインターンシップで忙しくなりそうだけどね」
楽しげに語尾を弾ませる涼香の言葉に、私は少し目を丸くした。
「え、もうそんなこと始めるんだ?」
「まあね。ねえ、若さみなぎる最後の夏休みなの!何かしないと!」
若さみなぎる最後の夏休み。
インターンや就活もしないまま、ただ暇を持て余して過ごすなんて不毛だ。
有意義に過ごさないと本当に損に思えてきた。
「この際セフレとでもいいよ。花火大会とか海行ってさ、夏にしかできないことするのよ」
涼香の言霊みたいな言葉に私の心が操られる。
セックス以外に関係を広げるハードルを下げたら大和はどう思うだろう。
普通のセフレなら『めんどくせぇ』と一蹴するのだろうけど、大和は尻尾をブンブン振って喜びそうだ。
それで笑顔で言うんだ。『葉月かわいい』って。
そんな大和が目に浮かんで私は勝手に安心した。
価値のある夏を過ごすために。
頑なだったセフレの枠を一瞬でも取っ払って、『バイクで海へ連れてって』と大和に言ってみようか。
あーそれってきっと美羽が喜びそうな〝進展〟だな。というかこの気持ちになったことが〝進展〟かもしれない。
意を決したようにフォークをミルクレープに突き刺すと、私は豪快に口へ運んだ。
そんな私を見て涼香は笑った。




