#07 重いセフレ
外はまだ明るかった。
室内にいて忘れていた熱気が、容赦なく体にまとわりついた。
青空には白い雲が浮かんでいる。その夏空が爽やかであればあるほど、これから大和と身体を重ねると思うと、背徳感に襲われる。
でも夜中に食べるラーメンみたいに、期待も膨らむ。
大和と並んで明るい外を歩くなんて初めてのことだった。
いつもみたいにバイクだったら、会話も目線も気にすることなく、帰り道なんて録画番組のスキップみたいに飛ばせるのに、今日に限って電車で来たらしい。
サンシャインシティからアパートまで20分。果たして間が持つだろうか。
「ん、はぁっ……、暑い……」
思わず暑さに喘いでしまう。
首元にかかる髪を退け、首筋を夏の日差しに晒すと大和が視線を向けてきた。
「……煽るなよ」
余裕が消えかけた熱っぽい目で見下ろされる。
「こんなところで煽るわけないでしょ」
小さく睨んだけど、なんだか急に恥ずかしくなった。
「あれ?葉月?」
すれ違いざま、見覚えのある顔に声をかけられた。
「え、大介!」
映画サークルで一緒の大介だった。
明るめの茶髪と爽やかな笑顔はいつ見ても真夏の太陽のようだ。
「あ、デート?彼氏できたなら教えろよ」
大介が大和を見てから、私に向かってにやりと笑ってきたから焦った。
「ううん、ただの友達。ちょっと買い物付き合ってもらってるだけ」
慌てて否定した。
〝友達〟。嘘はついていない気がする。
「大介は何してるの?」
「サークルに顔出しててこれから一人で映画」
「へぇー!何見るの?」
大好きな映画の話。つい笑顔で飛びついてしまう。
「トイストーリー。ちなみに三回目」
私は吹き出した。
「見すぎ!」
「見る度に面白いんだって。なぁ、お互いフリーなんだから、今度また一緒に映画見に行こうぜ」
「うん!」
「じゃあな、またサークルで!」
大介はそう言って、手を振りながら人混みに紛れていった。
すると大和が小さく息をついたのが聞こえた。
「へぇ。あいつとは映画見に行くんだ。さっき俺が誘ったら断ったのに」
ぎくりとしてから、そんな後ろめたい気持ちになることないのにと気がついた。
「映画サークルの、一種の活動よ。それに大和とは映画を見に行く仲じゃないでしょ」
大和を見つめると、明らかに不機嫌そうな顔をして目を逸らした。
「普通のデートとか求めないで」
「……わかったよ。身体だけ求めてればいいんだろ」
「そうよ」
「じゃあ早く、部屋行こうぜ」
大和はぶっきらぼうに言って私の手を握り、足早に歩き出した。
映画を見に行きたい、ご飯を食べに行きたい。普通のデートがしたい。
ぎゅっと握る大和の手の力強さが、そう物語っているような気がした。
人が行き交う大きな道路沿いの道を、半ば引っ張られるように歩いていた。大和の手は指先まで熱い。
「大和。もう少しゆっくり歩いて」
「無理。早く葉月を抱きたい」
熱のある言葉なのに素っ気ない。
「怒ってる?」
「怒ってない」
「じゃあ、何考えてる?」
「葉月をどういじめるか」
身体だけの関係のような思考で、なんだか安心する。だって、大和の気持ちは夏の空気みたいに重いから。
かき氷が口の中でふわりと溶けるような、そんな軽い関係でいたい。
後腐れのない関係。そのはずだったのに。
大和の意図しない気持ちのせいで、狂い始めている。
アパートまでの道のりは静かだったくせに部屋へ入った途端、大和は私の手を引いて自分の胸の中へ力強く引き寄せた。
私は大和の腕の中にすっぽりと収まった。すると抱きしめる腕に力が込められる。
「大和、シャワー浴びてから……んっ」
顔を上げてそう言いかけた唇に、大和の唇が落ちてきた。
最初はそっと扱うキスだったのに、唇が少しずつ熱を持ち始め、息をつけない情熱的なキスに変わっていく。
靴も脱がないまま大和に酔いしれる。
唇が離れると、吐息が触れ合う距離で大和が言った。
「……じゃあ一緒にシャワーするか」
もちろんシャワーを浴びるだけじゃ済まない。
バスルームには床を叩くシャワーの音と、キスを交わす濡れた音が響き始めた。
不意に唇を離して大和を見ると、シャワーに濡れた前髪の先から水滴が落ちていた。
無駄な脂肪がない引き締まった身体にも水滴が流れ落ちている。その姿が色っぽくて息をのむ。
「……どうした?キスはもうおしまい?」
求めるような声まで色気を纏い、その声に引き寄せられるかのようにまた唇を重ねた。
次第に大和の唇は首筋をなぞり、温度を上げていく。
大和は私の体の向きを変え、バスルームの壁に腕をつく私の両手を片手で束ねた。
背中が沿って少しお尻が突き出た格好に恥ずかしさを覚える。
「大和……」
肩越しに見上げて大和の名前を小さく口にすると大和は妖艶に笑った。
「なに?恥ずかしい?」
大和は体を寄せ、耳に吸い付くと、身体の輪郭をなぞるように指先を滑らせながら聞いてきた。
ビクッと身体が震えた。
「かわいい。動画で撮りたいくらい。撮る?」
昼間と同じ甘い声が耳元をかすめる。
優しく愛撫してくる快楽に感じながら、私はふるふると首を横に振った。
大和は「残念」と言ったけど、そのわりには愉しむような声だった。
私の呼吸は上がり、吐息を漏らしながら大和に身を委ねた。
恋人として向き合うことは怖いくせに、身体を重ねるだけなら安心できる。
大和とは服を着て明るい場所で会話するよりも、裸で会話をしたほうが、やっぱり心地よかった。
昨日は何度、絶頂を迎えたかわからない。
久しぶりの時間はあっという間に溶けていった。
「泊まっていけば?」と喉まで出かかったけど癖になったら嫌だから飲み込んだ。
夜遅く大和は帰っていき、高揚感を抱えたまま私は眠りについた。
夢の中でも大和とシていて、翌朝目が覚めた瞬間、苦笑した。夢にまで出てこないで欲しい。
それだけ生活に入り込んだ関係性になってきたということだろうか。
ただのセフレなのに。
それにしても大和とはいつまでこの関係を続けるんだろう。
とくに期間を決めたわけでもないし条件を決めたわけでもない。
きっとお互いに恋人ができたら消滅する関係だろうけど、私は今のところ彼氏はいらないし、大和は私に気がありそうだから、当分はまだこの関係が続きそうだ。
でもいつか大和に彼女ができた時、私は簡単に大和を手放せるのだろうか。手放すべきなのか。
「そんな人、絶対手放しちゃダメ!」
学生会館の部室のドアを開けると熱のこもった声が飛んできた。
「そんな優しい人、なかなかいないんだから!」
声の主は部長の小川塔子だった。
一瞬、自分のことを言われたようで焦ったけれど、私にではなく向かいに座る一年生の長谷部 萌へ向けた言葉だった。
「わかってますよぉ。イケメンで嫉妬もしてくれて優しすぎて、理想的なんですけど……」
萌は途方にくれた顔でため息をついて俯いている。
イケメンで嫉妬して優しすぎる。心当たりがあって、私は話の続きが気になった。
「よお、葉月!」
萌の隣に座って頬杖をつきながら先輩と萌の話を聞いていた白羽光太が、私に気がついて手を挙げた。光太は二年生で、可愛い弟みたいな存在だ。
すると先輩と萌も、私に目を向けて柔らかく笑った。
映画研究会。
部室で映画を見たり、新作映画の情報交換、月一回みんなで映画館へ行ったり、学園祭で上映会をするゆるい文化系のサークルだ。
毎週水曜日の午後が活動日だが活動日以外でも部室は空いていて誰かしらいる。
今日もそうだった。
週初めの月曜日の午前中。今日は授業がなかったけれど、なんとなく部室へ足が向き、ふらっと立ち寄ったらこのありさまだった。
「葉月、聞いてよ。萌が彼氏と別れたいって」
「だって、あれがすごく下手くそなんですもん」
壁に貼られた何枚もの名作映画のポスターとDVDやBlu-rayがぎっしり並んだ棚に囲まれて、浮ついた恋愛相談。
このサークルではよくあることだった。
恋愛ものの映画の感想を言い合っていると、気づけば誰かの恋愛相談になっている。
「あれって?」
先輩の隣のパイプ椅子に座って半べその萌に尋ねた。
「セックスですよぉ。身体の相性が最悪なんです」
おお……そんな話だったとは。
萌は恥ずかしげもなく言葉を続けた。
「セックスの時だけ気持ちが通わないというか。愛撫が痛いんです。彼、一生懸命なんですけどね……それに優等生のセックスって感じで内容が淡白で物足りないんです。普段は車で迎えに来てくれたりデート代を全部払ってくれたりすぐ駆けつけてくれたり、すっごく優しくて申し分ないんですけどね」
無意識に大和と重ねてしまう。
大和は普段から優しくて、セックスの時もスマートだ。
焦らされたり、少し意地悪されたい私の好みと大和の距離感はよく噛み合っている。
特になんとも思っていなかったけど、萌の話を聞くと、イケメンで優しくて身体の相性もいいとなると私は恵まれているのかもしれない。彼氏じゃないけど。
「あーあ。これで身体の相性がよかったら絶対手放さないんだけどなー。手放したら、それってバカですよね」
キャハハ、と萌が無邪気に笑う。
あー私はバカなんだ。そんな大和を手に入れようとしないし、大和に彼女ができたら手放す気でさえいるし。
「難しい問題だけどさぁ。彼が一生懸命ならそんな彼の気持ちも汲んであげなきゃ可哀想だよ。それが愛情じゃない?」
先輩が年上らしく窘める。
萌は聞く耳を持たないで「えーでもぉ」なんて言っている。
むしろ先輩の言葉は私に刺さった。
大和はいつでも一生懸命に私の世話を焼き、大切に扱いながら私を抱く。大和の気持ちに寄り添わなくても、大和はそんな私の気持ちを汲み取ってそばに居る。
私は一度も大和の気持ちを汲み取ったことがない。いや、そもそもセフレなのだからそんな優しい気持ちはいらないのに、大和の優しさのせいで自分が欠陥人間に思えてしまう。
警戒心の欠片くらいは無くして、大和の愛情の矛先が私に向けられていることに少しは喜ぶべきなのかもしれない。
そうじゃなきゃ私はまた間違ったものを愛だと思い込んでしまう。
「いやーでも、身体の相性って結構大事じゃないっすか?」
存在感が消えていた光太がここぞとばかりに口を挟んだ。
「いくら一生懸命でも痛いのは苦痛っしょ」
砕けた語尾は話の深刻さも砕いてくれた。
光太はいつもそうだ。語彙力がない話し方で難しい話を簡単にしてくれる。
「はい、そうなんですけど……葉月先輩はどう思いますか?」
急に話を振られ、うーん、と言葉を探した。
「……元彼と比べてみたら?不満があっても、彼の良さに気づくかもしれないじゃん」
うーん?と宙を見上げて考える萌を見ながら、私は元彼の柊一と大和を比べてしまった。
今まで気付かないふりをしていた大和の優しさが、じわりと胸に染み込んだ。




