#04 恋人みたいなセフレ
翌朝目覚めると、裸で大和の胸の中にいた。
もちろん大和も裸で、素肌と素肌が重なる温もりは心地いいのだけれど。
身動きが取れない。いつの間にこんな体勢になったのだろう。
昨夜はあれだけ、抑えきれない感情をぶつけるように私を抱いたくせに。今朝の大和は片方の手で私の頭を抱え、もう片方の腕は腰に回し、何か大切な宝物でも守るようにして眠っていた。
これではまるで恋人同士みたいだ。
私が思い描いていたセフレはもっとあっさりしていて、こんなふうに朝まで抱き締められる関係じゃなくて、することをしたらさっさと帰るって感じで。
男の部屋で交わったのなら「終わったらすぐ帰れよ」とか冷たく追い出されたりして……いや、それはむかつくか。
要するに、私が理想としたセフレは、相手の生活には立ち入らず嫉妬することも一切ない、もっと軽くて乾いた関係だ。
それなのに大和は、私の決めた境界線なんて初めからなかったかのように接してくる。
このままでいいのかセフレを解消すべきか悩むけど、手放すのは惜しい気がした。
それでも、この体勢は苦しくて私は身じろいだ。恋人同士なら、昨夜の余韻を楽しんでシーツに溶けるくらいこの幸せを味わうのだろうけど私は違った。
一刻も早く大和の檻から解放されたい。そう思った。
それなのに、大和は寝ぼけているのか目が覚めたのか私を強く抱きしめてきた。愛おしそうに。
「……おはよ、葉月」
眠気の淵から這い上がる大和の声は、いつもより気だるげで色気があってゾクッとした。
「おはよ、大和。ねぇ今何時……」
と言いかけたところにどこからともなく、ピッピッピッという電子音が聞こえてくる。
音の出処はおそらく、フローリングに脱ぎ散らかした大和のジーパンのポケットに入ったスマホだ。朝の目覚ましのアラーム音だろう。
「ん……六時……」
色っぽい吐息を漏らしながら大和が答えた。
「帰らなきゃ。今日一限目から必修で落とせないの」
大和の腕の中で顔だけ上げる。
「じゃあもう一回……」
大和はそう言って、眠そうに目を細めながら覆いかぶさろうとしてきた。
「しなくていいから!ねぇそれよりナポリタン作って」
突拍子のない私の言葉に、大和の目が開いた。
「は?」
「おいしかったから、また食べたいの」
セフレに甘えるなんて、私も大概だ。
大和は片手で目元を覆うと、嬉しそうに口元を緩めた。
「わかった」
ゆっくり起き上がり、フローリングに散らばった昨日の服を拾って着替え始める大和を目で追った。
見れば見るほどかっこよくて、一緒にいればいるほど優しい。こんな関係だけにしておくにはもったいない男だと思う。
もっと早く、大和と出会っていたら……。
ぼんやり浮かんだ気持ちを見て見ぬふりをして、私も起き上がった。
部屋に漂い始めたおいしそうな匂いを鼻からめいっぱい吸い込むと、朝からいい気分になれた。
食事を楽しみに待つ子供みたいに、丸テーブルの椅子に座っていると、程なくして目の前にコトッと音を立てて湯気が立ち上るナポリタンが置かれた。
千切りにされたピーマンと、斜めに切られたウインナー。この前と同じなのに、洒落た食器に盛られているというだけでワンランク上のナポリタンに見えた。
自然と笑顔がこぼれ「いただきます」と言ってフォークにパスタを絡ませる。
「大和は食べないの?」
「俺、朝食は抜くタイプ」
そう言って大和は向かいに座り、コーヒーをすすった。
私は「ふぅん」と言いながら巻き付けたパスタを口に運んだ。
コクのある甘みと酸味のソースが口の中に広がって、思わず歓喜の言葉が飛び出した。
「んー!おいしー!ほんと、絶品だよこれ」
「そりゃよかった」
大和は照れくさそうに笑う。
「どうしたらこんなに美味しく作れるの?何入れた?」
「愛情」
大和は無表情のまま、さらりと言った。
「げ、重っ」
私は苦笑しながらも、ナポリタンを食べる手は止まらない。
すると大和がおもむろに口を開いた。
「……なぁ、葉月」
「ん?」
「昨夜は悪かった」
「え?」
「あんなふうに抱いたりして……」
大和は気まづそうに頭をかいた。
昨夜、大和が見せた苛立ちや、私を誰にも取られたくない、と言わんばかりの熱い眼差しを思い出す。
「あの男にキスされてる葉月見たら、大事なもの取られたガキみたいな気持ちになって……俺のもんに触るなっつーか……。そういう関係じゃないのにな」
昨夜とは違う切なげな声音に、不覚にも心が惑わされる。
「頭ではわかってるつもりなんだけど、心が……つい踏み込みすぎた。これからは気をつける。ごめん」
大和は目を合わせようとしない。
その横顔は何かに耐えているような険しいものだった。
私はフォークを置いた。
「私、大和とはこのままの関係がいいの。喧嘩とか我慢することがなくて楽だから。でも大和がこの関係をしんどいと思ったり、彼女を作りたいなら身を引く」
私との関係があったら大和はロクに恋愛ができないかもしれない。
手放すのは気が進まないけど、依存するつもりはなかった。
二人の間に沈黙が落ちて、静かな部屋にエアコンのモーター音だけが響いていた。
「……俺は今、葉月といたい」
大和が目を合わせてきた。真っ直ぐで迷いがない眼差し。
なんだか胸がくすぐったくて、俯いてフォークを握り、パスタを絡めた。
「そっか……。それからさ、あんな抱かれ方も悪くなかったけどね」
チラリと視線を上げる。大和は一瞬目を見開いたあと、からかうような目で見てきた。
「へぇ。ああいうのが好きなんだ?覚えとくよ」
「わ、悪くなかったって言っただけよ」
変な性癖と思われたみたいで焦る私をよそに、大和はいつもの調子で笑った。
「それ食ったら送ってく」
このぼやけた関係の先には何があるのか。
喜びか苦しみか、笑顔か涙か。
私は考えない。薄っぺらい気持ちでいたいから。
大和の部屋でさっとシャワーを済ませ、軽くメイクを直す。
洗っていない髪を誤魔化すように、ポニーテールにしようと思ったけど、ヘルメットを被ったらどうせ崩れるなー、と思いブラシでとかすだけにした。
鏡に写った自分は昨日と同じ服だけど、気にしない。
一旦着替えに帰ろうかとも思ったけど、「昨日彼氏の部屋に泊まっちゃって、そのまま学校来たのー」なんていう子は一定数いるし、「カラオケでオールしてそのまま来たー」という子も多い。
かえって、大学生らしくていいのかもしれない。
マイケルコースのトートバッグには、ノートも筆箱も学生証も入ったままだった。
入学祝いに両親に買ってもらった、通学用のバッグ。まさか男の部屋のソファに無造作に置かれ、セフレとの朝帰りのアイテムになるなんて思ってもいないだろう。
それを肩にかけてヘルメットを被ると、朝の空気を切り裂くようにバイクは走り出した。
正門前。同じように一限を目指す学生たちが門の向こうへ吸い込まれるように歩いていた。
「じゃあな。頑張れよ、学生さん」
大和は正門の端の方にバイクを停めると、私が降りやすいようエンジンを切ってくれた。ついでにヘルメットを脱いで、イケメン度100%の素顔も見せてくれた。
「送ってくれてありがとう。大和も仕事頑張ってね」
ふと、大和が周りを気にしだした。
「……葉月、注目の的だな」
振り向くと、特に女子の学生たちが恋に落ちたような表情でこちらを振り返っていた。
今にも「キャー!」なんて黄色い声援が聞こえてきそうだった。
「違うよ。私じゃなくて大和が注目の的なの」
「俺?……あー、コイツのせいか」
大和は自慢げに笑ってバイクを軽く叩いた。
こいつ、全然わかってない。
「じゃあ私もう行くから。またね」
軽く手を振って歩き出す。
ほどなくしてエンジンがかかる音が聞こえ、それは少しずつ遠ざかっていった。
「葉月~!誰あのイケメン!彼氏?」
同じ必修科目を取っている菅原奈々未が、隣に座り興味津々に聞いてきた。
口が軽すぎて周りから〝歩くスピーカー〟と言われている彼女に「ただのセフレ」とは言えず、曖昧に笑った。
「ただの友達」
「友達?あんなイケメンと友達なんて無理。好きになって付き合うか、振られて疎遠になるかじゃない?白か黒、どっちかでしょ」
セフレっていうグレーゾーンもあるよ、と教えたい。
「そんなことないと思うけど」
「それにしてもめちゃくちゃかっこよかったね。周りの子達、みんな見てたよ」
「へぇ、そうなんだ」
なるべく感情を乗せないように答えた。
ちょっと優越感。
あのイケメンに抱かれてます。世話焼かれてます。嫉妬もされてます。
もれなく、面倒くさいけど。
「送ってもらったってことは、一緒にいたってこと?何者なの?詳しく教えなさいよ~」
奈々未の目がキラリと光る。私は思わずたじろいだ。
その時、講義室の扉が開いて教授が入ってきた。
助かった。奈々未に大和のことを話すつもりはない。……と思ったら。
「続きは後でね」
狙った獲物は逃がさないとでも言うように奈々未はウインクをしてきた。
授業が終わったら即、逃げよう。
今日はこのあとバイトもあるし、ちょうどいい。
「いらっしゃいませー」
店内にふらりと立ち寄ったお客が目に入ると、私は乱れて置いてある服をたたみ直しながら声を出した。
自然と近寄って、感じよく声をかける。
「気軽にご試着されてくださいね」
私と同じ年頃の女性客は聞こえないフリをしたのか、本当に聞こえなかったのか、完全にスルーだった。
話しかけられるのを嫌がるお客もいるけど、こちとらそれが仕事だ。
「うざー」じゃなくて「この人ちゃんと仕事してるんだな」と思って欲しい。
私も、無理やり買わせようとする推しの強い店員は無視するけど。
今の私の接客はほどよい距離感だと思うんだけどなーと気にしながらレジへ入ると、入荷したばかりの新作商品の検品をしている美羽が笑顔で話しかけてきた。
「ねぇねぇ、最近、大和くんとはどうなの~?」
ここでも大和の話を振られる。
あれから学校では、授業が終わると急いで筆記用具を片付け「私バイトあるから帰るね」と早口で言い、奈々未から逃げてきた。
トイレで髪をポニーテールに結んで、暑い中駅までダッシュして電車に飛び乗った。
バイト先は、新宿のLUMINE。
池袋から四駅。新宿駅直結なので雨の日も濡れずに出勤できるところが気に入っている。
それになんといっても「新宿でショップスタッフとして働いている」なんてちょっとかっこいい。
三階にある、20代前半の女性が背伸びをして着るような大人っぽいデザインを扱うショップ〝Muse〟。
服の雰囲気も、白を基調とした明るく綺麗めな店内も、洗練されたコーディネートを纏ってディスプレイされたマネキンも気に入っている。
「順調に大和の彼氏面がエスカレートしてるよ。合コン行ったの知られて嫉妬された」
私はレジカウンターの下にあるショッパーを補充しながら美羽の隣に立ち、呆れた顔を浮かべた。
「えーなにそれ!大和くん可愛い!」
「可愛くないよ、面倒くさい。これからは気をつけるって言ってたけど」
「もう付き合っちゃえばいいのに。こっちなんて尚人くんのガードが意外と堅くてなかなか友達以上になれないよ」
「酔っ払わせてHして、セフレに誘い込んじゃえば」
小声で笑いながらふざけたことを言ってみた。
「私は普通に付き合いたいのー。ていうか、重~い愛で縛って欲しいの」
美羽は顔の下で手を組んで、束縛男に目を輝かせている。
「元カレ紹介しようか」
私は苦笑いしながらレジ周りの整頓を始めた。
「ねぇ、冗談抜きで今度四人で遊ぼうよ!ダブルデートみたいな!」
美羽は目を輝かせたまま楽しそうに話すけど、その話題は苦手だ。
いつだかカフェで逃げきれたと思ったのにまだ言っているなんて。
「い、や」
デートなんてセフレの枠をはみ出し過ぎている。
美羽はグロスで濡れた唇を尖らせた。
「ふーんだ。いいもーん。作戦考えてあるんだから」
「……作戦って、なに?」
レジ台を軽く拭いていた手を止めて怪訝そうに美羽を見ると、彼女はふふっと笑った。
「なんでもないよーだ」
意味深に弾む語尾が怪しい。
するとそこへ、スッと一人のお客様が一枚のブラウスを手にしてレジに来た。
「これ試着してもいいですか?」
「はい、ご案内いたします」
私はパッと営業スマイルに切り替え、レジから飛び出した。




