#02 優しいセフレ
ランチを終えたあとの三限目は、後ろの方の席で眠気と戦っている。それも単位を取るためだけの授業だとしたら、欠伸を噛み殺すのに必死だ。
心理学は興味があるけど、先生の話し方が単調すぎて眠くなる。その九十分は長い。
周りを見ると、机に突っ伏して寝ている学生や、授業そっちのけでスマホをいじっている学生もいる。酒の匂いを漂わせ、二日酔いで頭を押さえる学生も。
私は一応ペンを握ってノートを開き、授業を聞いているふりをするけど、違うことを考えていた。
この後は空きコマだなーどう過ごそうかなーとか、久しぶりにサークルに顔だそうかなーとか、それとも一度アパートに戻ってベッドで仮眠してこようかなーとか。大学のすぐ近くのアパートにひとり暮らしをしている特権と言える。
最近、アパレルのバイトが忙しくて学校の授業やサークルの活動を疎かにしていたから、今日のタスクは〝真面目にキャンパスライフを再開させる〟と決めた。
それにしても私って自由だなーていうか大学生って自由でいいなー、と自分の身軽さを噛み締める。
私立大の三年生。昔から本や映画が好きで大学では文学を学んでいる。将来は映画の宣伝に関わる仕事ができたらいいな、なんてぼんやり考えているけど、まだ就活に追われる時期でもないから、もう少し自由に遊んでいたい。
キャンパスが綺麗なところに惹かれてこの大学を志望した。改築された新しい校舎も、充実した食堂やカフェも気に入っている。
小さな池もあり、そこで泳ぐカルガモの親子が可愛くてちょっとした写真スポットになっている。
大学生といえば男女混合グループに憧れて、一年の頃、一度はつるんでみたけれど、グループ内の男に告白されて即抜けた。
当時は彼氏がいたから、そういうのはいらなかった。
それからは長いことグループには入っていないが友達がいないわけじゃない。一緒に行動していないだけで気の合う友達はちゃんといる。
そもそも私は誰かとずっと一緒にいるより一人で気ままに過ごす方が性に合っている。
友達同士で授業を受けたり、グループで過ごす子達を見て少し羨ましく思うこともあるけれど、誰にも気を使わない自由気ままな大学生活も、私は結構気に入っていた。
スクリーンに映し出された資料をぼんやり眺めていると、教授の一声で授業が終わった。
みんな、ガタガタッと音を立てて立ち上がり散っていく。
見計らったようにスマホが短く振動した。
『仕事早く終わった。今から会える?』
大和からメッセージだった。 身体の奥が疼き始めた私はどうかしている。
一瞬にして今日のタスクが〝授業をサボって大和と会う〟に変わった。
『今、学校。もう帰るから迎えに来て。池袋にあるS大学。正門前で待ってる』
私からセフレを申し出たとはいえ、労力をかけてほいほい自分から会いに行くことは滅多にしない。
そうすることで私自身の付加価値が上がると思っている。それに大和は喜んで迎えに来たがるから、ウィンウィンの関係だ。
筆記用具をトートバッグにしまうと立ち上がった。
「あ、葉月ー!」
声の方に向くと、ここはキャバクラかと思うほどド派手に露出した服装の真鍋涼香が、授業が終わったばかりとは思えないくらい明るい顔で近づいてきた。
陰で〝天然サイボーグ〟と呼ばれる彼女は、顔立ちもスタイルも生まれつきとは思えないほど整っていて、キャンパス内ではちょっと有名な学生だ。
「葉月もこの授業出てたんだ。一緒に座ればよかった。ていうか会うの久しぶりじゃない?」
「涼香、久しぶり。うん、忙しくてあんまり学校来てなかった」
「なに、忙しいって。彼氏でもできた?まさか例の〝セフレ〟と付き合い始めたとか!?」
芸能人や大学内の噂話が大好きな涼香の目が瞬く間に光り輝くけど〝セフレ〟の部分だけは配慮したのか声を小さくしてくれた。
彼女ほど大学内のゴシップに詳しい学生はいないと思う。学部内の誰と誰が付き合ってて、こいつとあの子は元恋人同士で、あいつはあの子に気があってとか、なぜだか知り尽くしていてこっそり教えてくれる。
『うちの大学の演劇サークルは実はヤリサー』なんてことまで教えてくれた時には驚いた。
大学内の学生たちの相関図を描けるのは彼女くらいだろう。
「違う違う。バイト。アイツとは相変わらず」
涼香は空振りを食らって「ふぅん」と漏らした。
涼香とは大学の入学式で入ったトイレで知り合った。
手を洗っていたら、個室の扉が開いて「タンポンかナプキンもっていませんか!?」と血相を変えた顔で尋ねられた。予備に持ち歩いていたナプキンを渡すと命の恩人のように感謝された。
その顔と言ったら。透き通るような白い肌に赤みの強いリップが浮いていたけど、猫みたいな目に涙を溜めて笑っているのが可愛くて、私はその瞬間、涼香のことが好きになった。
派手な見た目通りに性格も派手な彼女は、性に奔放。あけすけになんでも話してくれて、私もつられるように包み隠さず話すようになった。
普通の子なら引いちゃうようなセフレの話も、優しい顔で聞いてくれて、オススメのピルまで紹介してくれた。
涼香とは学部こそ違うけれど、彼女は大学で一番仲のいい友達だ。
「ねぇじゃあさ、今度するN大の男たちとの合コン来てよ!奴らかっこいいから、綺麗どころを集めるって言ってようやくOKもらったの。葉月が来れば絶対喜ばれるから!お願い!」
男の前ではSっ気たっぷりの女王様気質だと思う涼香が、顔の前で両手を合わせて懇願している。
きっと男が見たらたまらなく思うんだろう。私もそうだった。
「んー、考えとく」
そう言うと涼香はぴょんぴょん跳ねながら抱きついてきた。
「ありがと葉月ー!日程決まったら連絡する!」
行く前提の話になってて私は苦笑した。
「葉月、このあと授業あるの?ないなら少し話さない?私、四限目空いててさ」
あ……と思い出す。
「用あって帰るんだ。じゃ、またね」
私は慌てて教室を飛び出した。
黒いバイクがうるさい音を立てて目の前に滑り込んできた。私はスマホから顔を上げると運転手を睨んでやった。
「大和、遅い!何分待たせるのよ!」
実際待ったのなんて五分くらいだけど、校門の端に五分も突っ立って待っているのは苦行だった。
「仕方ねーだろ。葉月の大学なんてきたことねぇんだから」
「……大和、なんでスーツなの?」
よく見ると、大和はいつものラフな服装ではなく黒のスーツと白いワイシャツとネクタイでビシッと決まっていた。
「ああ、会社の会食パーティだったんだよ」
大和はエンジンを止めてヘルメットを脱いだ。
聞いてない。スーツで来ることも、スーツが似合うことも、おまけに、バイクとスーツの相性がこんなにいいことも。
「あー早く脱ぎてー。締め付けられてる感じがマジ苦手」
そう言って大和はワイシャツの第一ボタンを外し、その指先をネクタイに引っ掛けると左右に小さく揺らしルーズに緩めた。その仕草から目が離せなかった。
「へぇー。ここが葉月の大学か。綺麗だな」
私の胸をかき乱しているなんて知らないで、大和は校門と校舎に視線を向けて笑った。
「ねぇ、大和」
「ん?」
「私の部屋に行こう?ここからすごく近いの」
大和を真っ直ぐ見つめると、大和は呆気にとられたような顔をしてすぐ笑みを浮かべた。
「ああ……いいけど。葉月が自分の部屋に誘うなんて初めてだよな。部屋まで送っても入れてくれなかったじゃん。どうした?」
大和の穏やかな笑顔を見ていると、スーツ姿にムラムラしたなんて恥ずかしくて言えなかった。
でも私は面と向かって口走ってしまった。
「大和に、早く抱かれたいの」
目に見えない衝動が心を突き動かす。
きっとただの〝性欲〟。
その気持ちしか見つからない。
一秒でも早く大和に触れて欲しかった。
余程意外だったのか、大和は一瞬黙り、片方の口端だけ上げて笑った。
「へぇ。積極的」
そう言って大和は、これから向かう欲にまみれたデートへ誘うように、ヘルメットを差し出した。
部屋のドアが閉まると、どちらからともなく貪るようなキスをして、服を脱ぐ間も惜しんでそのまま欲に溺れた。
ベッドにもなだれ込まない。昼間だというのに日が差し込まない薄暗い狭い玄関で、声を押し殺してセックスした。
耳元で囁く「声出せば?」という大和の扇情的かつ意地悪な言葉を無視して全身で大和を感じた。
後ろから突き上げられる快楽に、私は思う存分身を震わせた。
大和のスーツ姿にこんなにも理性が飛ぶなんて。
裸で抱かれる時よりも興奮していた。
「葉月と会う時はいつもスーツ着ようかなー」
大和がベッドに寝そべり、ぼんやりと天井を見つめながら呟いた。
外はもう薄暗い。最後は服を脱いでベッドで体を重ねたあとのピロートーク。
セフレにそれはいらないでしょ、と大和の隣に寝そべって毎回思う。それでも大和はこの時間を結構大事にしていて、女かよと毒づきたくなる。
「え?なんで?」
「葉月、燃え上がってたから」
チラリと流し目で見られてドキッとした。
バレてる。
「そ、それはギャップに弱いだけ。べつに大和のスーツ姿なんて……」
苦しい言い逃れをした挙句、私は言葉を詰まらせた。
「ちょっとはかっこよかったけど……」
いや、雑誌でよく特集される〝国宝級イケメン〟ほどにかっこよかった。
でもそんな気持ち、知られたくない。
「調子乗ら、」
言いながら小さく睨むと、ギョッとして最後まで言えなかった。
大和が目を輝かせながら私を見つめ、感動していたからだ。
「葉月おまえ可愛いなぁ!すげぇ可愛い!」
大型犬が飛びつくみたいに、大和は大きな体で私を抱きしめてきた。
「ちょっとやめてよ!暑苦しい!うざいって!」
よしよしと頭を撫でられ、どちらが犬かわからないでうんざりしているとソファに放ったバッグの中でスマホが振動した。
涼香から合コンの日程を知らせるメッセージかなと思ったら、やけに長い。
「ねぇ大和、スマホ取ってきて」
「俺は犬か?」
捨てセリフを吐いても大和は従順に起き上がり、ベッドを降りて数歩先にあるソファへ気だるげに向かう。
相変わらず惚れ惚れする大和の引き締まったスタイルを目で追いながら、私は体を起こした。
バッグからスマホを取りだして画面を見た大和の顔が面白くなさそうに曇った。
「……男から電話」
大和は低い声で言って、スマホをベッドに軽く放り投げた。
手を伸ばし拾う。
画面を見ると〝小柳大介〟という名前。
サークルの友達からだった。
「もしもーし」
まさか数分前まで男とイチャついていたとは思わせない、いたって普通の明るい声を出した。
「あ、葉月?今日、学校来てたんだって?なんでサークルには来ないんだよ」
大介はサークルの中で一番仲がいい友達だ。
彼は一つ上だけど一浪していて同じ大学三年生。
誰とでもすぐに打ち解けられ、年上ともあって頼れるお兄さんといったところ。
初対面で彼が私に言った言葉は「ビジュ担だ!」だった。
サークルの華!という意味で言ったらしい。けれど、大介の方がよっぽど周りを笑顔にして目立っていた。
好む映画の趣味が合い、以前はよく二人で映画を見に行っていた。
でも私の元彼の束縛がひどくなったことや、大介に彼女ができたこともあって、いつの間にか二人で映画を見に行くことはなくなってしまったけど。
「あーごめん。行こうと思ってたんだけどちょっと急用入っちゃって帰ったの……!」
不意に後ろから大和に抱きしめられた。
素肌同士が重なる温もりからさっきまでの淫らな行為を思い出してしまう。
大和は胸を優しく触りながら遠慮なしに首元にキスをする。
「ちょっと、やめてよっ……」
スマホを下げて小声で言い大和を睨むと、またすぐにスマホを耳に当てた。
大和はお構いなしにちょっかいを出してくる。
「明日は来いよ。最近、全然じゃん。彼氏でもできたか?」
静かな部屋に大介の声が小さく筒抜ける。
「言ったでしょ、彼氏はもういらないって」
快感を無視してどうにか答えた。
「ふーん。俺が立候補したいくらいだけど」
一瞬、大和の動きが止まった気がした。
「何言ってるの、彼女いるでしょ」
「あー、こないだ別れた」
受話口の向こうでは大介がゴクッゴクッと何かを飲む音が聞こえる。さっきから大介の声の後ろではガヤガヤうるさい音も聞こえていた。
楽しそうに笑う声やグラスが触れ合う音。
「大介、居酒屋にでも……いるの?」
大和の唇が滑るように耳たぶに移動して少しビクッとなった。
「ああ、光太と飲んでる。葉月もよかったら来いよ。久しぶりに飲もーぜ。……葉月?おーい?」
大和に唇を塞がれ、呼吸さえままならなかった。
「……ん、あ、ごめん。ちょっと今、料理してて手離せなくて」
思わずそんな言葉が出た。
大和の指先が胸の先をつまみ上げ、優しく撫でる。そろそろ我慢できなくなってきた。
「んっ……火使ってて危ないから切るね。ごめん、じゃあまたね」
慌てて通話を切ると、肩で息をつく。
ジトッと睨むと大和は熱っぽい行為とは裏腹な爽やかな笑みを浮かべた。
「何?もっとして欲しい?」
スマホをベッドに放った私の手は流れるように大和の首の後ろに回り、私は返事をする代わりに無我夢中で大和とキスをした。
快楽を限りなく求めたあと、うっかり眠ってしまった。空っぽの胃袋が刺激されるようないい香りが鼻先をくすぐって目が覚めた。
薄暗かった外はもうすっかり暗い。
隣で一緒に横になっていたはずの大和は、ワイシャツとスラックス姿でキッチンに立っていた。
私は起き上がると、大きめのTシャツを頭から被り、コンロでフライパンを揺らす大和に恐る恐る近づいた。
「何してるの?」
料理をしているなんてことはわかってる。でもその意味がわからない。
「おお、わりぃ。勝手に冷蔵庫開けて、キッチン借りてる」
懐かしい、いい匂いがする。
それにしても、そんな格好でキッチンに立たないで欲しい。ワイシャツの第一ボタンを開け、腕まくりをして料理している姿なんて見たらまたシたくなる。
「こんな時間だし、葉月、腹減ったんじゃないかと思ってメシ作ってる」
メシ……。
フライパンの中を覗くと、具材と混ざりあって真っ赤に染まったパスタがおいしそうに湯気を立てていた。
ナポリタン。彼氏が彼女に作ってくれそうな素朴な料理の代表格。
「彼氏じゃないのに……」
私はぽつり呟いた。
「彼氏じゃないからダメなの?」
大和が少し寂しそうに笑うから、一瞬、罪悪感を覚えた。
でも放っておこう。大和は優しくてきっと誰にでも世話を焼くタイプなんだ。
「大和、料理できたの?」
「年の離れた料理人の兄貴に、いろいろ教わってな」
大和は火を止めて用意してある器に盛り付けた。
それをダイニングの小さなテーブルに静かに置いた。
大和に家族がいるのは当たり前のことなのに、兄の話を聞くのは初めてだった。少し意外だ。
「食えよ。イタリアンのシェフ直伝だからうまいはず」
大和はそう言ってイタズラっぽく笑った。
「大和は?食べないの?」
「洗いもんして帰るよ。明日も仕事だから」
「洗い物くらい、あとで私がやるよ」
「兄貴に口うるさく言われてきたんだよ。片付けまでが料理だってな。自分のした事に責任持てって」
大和は当たり前のように汚れたフライパンを洗い始めた。
料理ひとつで垣間見えた大和の生い立ち、思い出、そして価値観。
目の前に置かれたこんなポップで可愛らしい料理がなんだか神聖なもののように思えてしまう。
「いただきます」
普段はそんなことしないのに、手を合わせた。
そうしなきゃいけない気がした。
フォークで巻き付け口へ運ぶと、口の中でおいしさがほどけた。
「ん、おいしい!大和、これすっごくおいしいよ!」
大和は洗い物から顔を上げて安心したように笑った。
「よかった」
なぜかその顔に、私も安心した。
ナポリタンの優しい味と大和の思いやりに心が揺らぎそうになる。
「じゃあ俺、帰るわ。ゆっくり食べて」
大和はキッチンから出てくると、ソファの背もたれに置かれたジャケットを手に取った。
「ありがとう、大和」
「おう、またな」
そのままドアのノブに手をかけて、大和は部屋を出ていった。
燃えた行為が霞むくらい、ナポリタンの温もりを残して。




